ウィリアムズ、中嶋一貴はリタイア
2008年6月9日
ウィリアムズは、F1カナダGP決勝で、ニコ・ルズベスルが10位完走。中嶋一貴はリタイアに終わった。
一時は2位を走行していた中嶋一貴だが、ピットストップで後方集団に順位を落とし、終盤にジェンソン・バトンと接触。フロントウィングを損傷し、ピットに戻ろうとしたが、フロントウィングがマシンの下に入りこんでしまい、コーナーを曲がりきれずにピットウォールに突っ込んでしまった。
スタートをうまくきめたニコ・ロズベルグだが、セーフティカー導入後のピットレーンでライコネンに接触したハミルトンのマシンに衝突。レースには復帰でき、10位で完走したが、この事故が審議にかけられ、次戦フランスGPでは10グリッド降格のペナルティが決定した。
一時は2位を走行していた中嶋一貴だが、ピットストップで後方集団に順位を落とし、終盤にジェンソン・バトンと接触。フロントウィングを損傷し、ピットに戻ろうとしたが、フロントウィングがマシンの下に入りこんでしまい、コーナーを曲がりきれずにピットウォールに突っ込んでしまった。
スタートをうまくきめたニコ・ロズベルグだが、セーフティカー導入後のピットレーンでライコネンに接触したハミルトンのマシンに衝突。レースには復帰でき、10位で完走したが、この事故が審議にかけられ、次戦フランスGPでは10グリッド降格のペナルティが決定した。
ウィリアムズ:F1 カナダGP予選 中嶋一貴は12番手
2008年6月8日
ウィリアムズは、F1カナダGP予選で、ニコ・ロズベルグが5番手、中嶋一貴は12番手だった。
ニコ・ロズベルグ (5位)
「とても困難だったから、予選でのポジションには満足している。トラックは昨日からかなり変化したし、今朝からでさえ変わったからね。グリップは落ちていったから、今日の狙いはミスをしないことだった。ほんの5cmまたは10cmが命取りになるからね。とにかく、なんとかすべてを完全にコントロールし続けて、オフラインを避けて、5位になった。明日のスタートのために素晴らしいポジションだ」
ニコ・ロズベルグ (5位)
「とても困難だったから、予選でのポジションには満足している。トラックは昨日からかなり変化したし、今朝からでさえ変わったからね。グリップは落ちていったから、今日の狙いはミスをしないことだった。ほんの5cmまたは10cmが命取りになるからね。とにかく、なんとかすべてを完全にコントロールし続けて、オフラインを避けて、5位になった。明日のスタートのために素晴らしいポジションだ」
ウィリアムズ:F1 カナダGP初日 中嶋一貴は11番手
2008年6月7日
ウィリアムズは、F1第7戦 カナダGPのフリー走行でニコ・ロズベルグが8番手、中嶋一貴は11番手だった。
中嶋一貴
フリー走行1回目 9位 1分18秒971
フリー走行2回目 11位 1分17秒242
「今日は僕たちによって良い一日だったと思う。昨年ここで運転したので、トラックを覚えるの時間が少なくて済んだのは明らかにアドバンテージとなったし、多くの時間をセットアップ作業に費やせた。今朝はじめじめした天候で難しかったけど、午後はセットアップで多くのことを試せたし、有意義なタイヤ比較を完了できたので、良いセッションだった。」
中嶋一貴
フリー走行1回目 9位 1分18秒971
フリー走行2回目 11位 1分17秒242
「今日は僕たちによって良い一日だったと思う。昨年ここで運転したので、トラックを覚えるの時間が少なくて済んだのは明らかにアドバンテージとなったし、多くの時間をセットアップ作業に費やせた。今朝はじめじめした天候で難しかったけど、午後はセットアップで多くのことを試せたし、有意義なタイヤ比較を完了できたので、良いセッションだった。」
ニコ・ロズベルグ(カナダGPプレビュー)
2008年6月2日
モナコで大クラッシュを起こしたニコ・ロズベルグだが、モナコでのウィリアムズのペースに自信を持っており、カナダGPでも力強いレースができることを期待している。
ニコ・ロズベルグ
「モナコは僕にとって難しいレースだった。週末すべてで競争力があったから本当に残念だ。レース序盤の2つの事故のあと、リズムは落ち着いた思ったけど、タバココーナーのあとのスイミングプールに来たとき、突然マシンのリアが引っ張られた。たぶん水の部分の上だった。そしてモナコは起こった。現場で医師の意見を聞いたあと、念のため検査を受けるために病院にいくことに決めた。幸いにも、日曜の午後に解放されたように明らかに元気だったよ。2日休んだ後、カナダの準備のため、通常のトレーニングプログラムを再開したよ。」
ニコ・ロズベルグ
「モナコは僕にとって難しいレースだった。週末すべてで競争力があったから本当に残念だ。レース序盤の2つの事故のあと、リズムは落ち着いた思ったけど、タバココーナーのあとのスイミングプールに来たとき、突然マシンのリアが引っ張られた。たぶん水の部分の上だった。そしてモナコは起こった。現場で医師の意見を聞いたあと、念のため検査を受けるために病院にいくことに決めた。幸いにも、日曜の午後に解放されたように明らかに元気だったよ。2日休んだ後、カナダの準備のため、通常のトレーニングプログラムを再開したよ。」
中嶋一貴(カナダGPプレビュー)
2008年6月2日
モナコGPで日本人初ポイントをあげ、これまでに3度の入賞を果たしている中嶋一貴。カナダGPでのF1レースは初めてとなるが、気負いは感じられない。
中嶋一貴
「ノースアメリカは一度、去年のレースでカナダにいって、金曜日の午前中にプラクティスセッションで走っただけです。だから、いくらかトラックの経験はあるけど、初めての完全なレース週末になります。サーキットは壁と高い縁石があってとてもチャレンジングです。簡単なトラックではないけど、運転するのが楽しみですね。」
中嶋一貴
「ノースアメリカは一度、去年のレースでカナダにいって、金曜日の午前中にプラクティスセッションで走っただけです。だから、いくらかトラックの経験はあるけど、初めての完全なレース週末になります。サーキットは壁と高い縁石があってとてもチャレンジングです。簡単なトラックではないけど、運転するのが楽しみですね。」
ニコ・ロズベルグ、クラッシュの影響はなし
2008年5月29日
モナコGPで大クラッシュを起こしたニコ・ロズベルグ。しかし、事故の影響はなく、ロズベルグは今、カナダGPへ向けて準備の真っ最中である。
「モナコGPの60週目のプールサイドシケインでの僕のクラッシュは大きなものだった。でも、ダメージはない。いずれにせよ、僕にはね」
「医師の意見を聞いたあと、念のため、モナコでプリンスグレース病院に行くことに決めた。病院でのあらゆる検査が、すべて完璧に元気なことを示したから、むしろ早く家に帰るよう解放されたよ。2〜3日休んで、僕は今、カナダGPのためにいつものように準備とトレーニングをしているよ。」
「モナコGPの60週目のプールサイドシケインでの僕のクラッシュは大きなものだった。でも、ダメージはない。いずれにせよ、僕にはね」
「医師の意見を聞いたあと、念のため、モナコでプリンスグレース病院に行くことに決めた。病院でのあらゆる検査が、すべて完璧に元気なことを示したから、むしろ早く家に帰るよう解放されたよ。2〜3日休んで、僕は今、カナダGPのためにいつものように準備とトレーニングをしているよ。」
ウィリアムズ、中嶋一貴が7位入賞
2008年5月26日
ウィリアムズは、F1 モナコGPで、中嶋一貴が7位、ニコ・ロズベルグはリタイアだった。
中嶋一貴が7位入賞を果たした。多くの接触、リタイアがあった荒れたレース展開だったが、中嶋一貴は、粘り強い走りで7位完走。日本人初となるモナコでのポイント獲得。今季3度目のポイントフィニッシュを達成した。
中嶋一貴が7位入賞を果たした。多くの接触、リタイアがあった荒れたレース展開だったが、中嶋一貴は、粘り強い走りで7位完走。日本人初となるモナコでのポイント獲得。今季3度目のポイントフィニッシュを達成した。
ウィリアムズ:モナコGP予選 ロズベルグが6番手
2008年5月25日
ウィリアムズは、F1 モナコGP予選で、ニコ・ロズベルグが6番手、中嶋一貴は14番手だった。
Q1から速さをみせたニコ・ロズベルグ。Q2では、マッサに次ぐ2番手タイムを記録した。Q3では6位となったが、Q2のペースを考えていると、燃料を積んでいることが可能性もある。
Q1から速さをみせたニコ・ロズベルグ。Q2では、マッサに次ぐ2番手タイムを記録した。Q3では6位となったが、Q2のペースを考えていると、燃料を積んでいることが可能性もある。
ウィリアムズ歴代ドライバーが600戦を祝福
2008年5月24日
ウィリアムズの代表であうフランク・ウィリアムズは今シーズン、F1の歴史で最も長い間F1に関わった人物となる。2008年のF1 モナコGPは、フランク・ウィリアムズにとって、通算600戦目となる。ウィリアムズの歴代ドライバーがフランク・ウィリアムズに祝福のコメントを寄せた。
フランク・ウィリアムズは「ほとんどの人々が予想するだろうけど、600戦に達するということは私にとっては非常に小さなことだ! だが、この40年間レースをして、多くの輝かしい瞬間であったことを認めなければならない。また、非常に悲しみも瞬間もあった。ほとんどの時間はとても楽しい経験だったよ。もし私が40歳若ったら、今日まで歩んできた道のりを再び歩むだろうね」と語った。
フランク・ウィリアムズは「ほとんどの人々が予想するだろうけど、600戦に達するということは私にとっては非常に小さなことだ! だが、この40年間レースをして、多くの輝かしい瞬間であったことを認めなければならない。また、非常に悲しみも瞬間もあった。ほとんどの時間はとても楽しい経験だったよ。もし私が40歳若ったら、今日まで歩んできた道のりを再び歩むだろうね」と語った。