トヨタ 豊田章男社長
今年のニュル24時間耐久レース、そして6月23日は豊田章男にとって、そしてチームにとっても特別な日となった。また、新型スープラで走ることは、トヨタの社長である豊田の悲願でもあった。

158台がグリッドに並んだ2019年のニュル24時間耐久レースは、22日(土)午後3時半にスタート。GRスープラはモリゾウ選手(トヨタ自動車社長の豊田章男)がスタートドライバーを務めた。

6月23日(日)。実はこの日は、TOYOTA GAZOO Racingにとって決して忘れることのできない日だった。モリゾウ選手の運転の師匠であり、TGRの原点となった「GAZOO Racing」をともに立ち上げたトヨタ自動車のマスタードライバー、故・成瀬弘氏がニュルブルクリンク近郊で急逝した日が、9年前の6月23日だった。

「もっといいクルマづくり」を追い求め、「GAZOO Racing」を立ち上げた豊田章男(当時は副社長)がニュルブルクリンクでの走行トレーニングを始めたのが2001年。その翌年、スープラは生産終了となる。

その後しばらくトヨタからスポーツカーが発売されることはなく、多くのカーメーカーが発売前のプロトタイプを走らせるニュルブルクリンクにおいて、豊田章男をはじめとしたトヨタ自動車のテストドライバーたちは、既に生産を終えた“中古の”スープラで走らざるを得ない日々が続いた。

「他社は数年後に世に出すクルマを鍛えている場で、自分たちには中古のスープラしかない」。このことが本当に悔しく、いつの日かスープラを復活させ、ニュルブルクリンクの厳しい道で鍛えて世に出したいと豊田章男は想い続けてきた。

そんな想いを乗せたGRスープラは、午後3時半、GRスープラは総合41位(クラス3位)、LCは総合54位(クラス1位)でチェッカーを迎えた。

「まず最初に皆さん、ありがとうございました」と豊田章男はコメント。

「今日は、成瀬さんの命日でありました。私が午前中、10時から乗るということを聞きまして、実は予定では9時でした。それが10時になったという意味を自分なりに考えますと、ちょうど6月23日の現地時間10時にくらいに事故が起きて、亡くなった時間だったんですね。それで私が成瀬さんの事故の時間にハンドルを握ることになるんだということで、非常に緊張をいたしました」

「このスープラのカムバック、そして、ニュル13年目の挑戦。いろんな思いが、その3回目のスティントで頭に入って、正直運転どころではなかったというのが正直な感想でありました。ただ、今日、皆さんが話してくれたことを成瀬さんは聞いてます。成瀬さんが亡くなった時、葬儀に行きました。そこでやりたいと思うやつだけでいい、ついてきてくれということで続いてきたGR活動です。これが多くの方に応援され、もっといいクルマづくり、クルマづくりの人材育成のど真ん中に、この活動が入ってきたというふうに思います」

「本当にここまで支えてくれた皆さんに感謝申し上げると共に、私は、この話になると涙ぐむんですね。なぜかとクルマの中で考えてみました。多分、悔しさです。13年前、トヨタも名乗れず、このニュルで、成瀬さんとほぼ2人でプライベーターよりもプライベーターらしい、本当に手づくりのチームでここに来ました。その時の誰からも応援されない悔しさ、何をやってもまともに見てくれない悔しさ、何をやっても、ハスに構えて見られてしまう悔しさ。そして生産中止になったスープラで練習をしてる悔しさ。全ての悔しさが、私自身その成瀬さんが亡くなった6月23日に社長に就任した時からの、ずっと私のブレない軸でもあります」

「ですから、私がもっといいクルマをつくろうよということだけしか、社長になって言わないのは全てその悔しさであります。そして今日も、悔し涙を流した。その悔しさは絶対に自分を強くするし、この活動の目的である『良い仲間』をつくるし、そしてもっといいクルマをつくると思います。そんな思いを持って、冒頭『ありがとうございましたと皆さんに申し上げました」

「本来はこのレース、(ずっとスープラの開発を担当してきた)矢吹が出るレースだったと思います。それをスタート、フィニッシュ含めた4スティントを担当させていただきましたが、こういう日でなければ、『矢吹お前乗れよ』と言ってたと思います。私自身も、この日、スープラ、ニュルというもので成瀬さんから、『いやいやお前乗れ、俺と一緒に乗ろう』と言ってくれたんだと思います」

「今日の話は間違いなく、成瀬さんは聞いてくれているし、この天気も、成瀬さんだったんだと思います。ドライバーとしては足を引っ張りましたが、他のプロたちがカバーしてくれました。ありがとうございました」

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カテゴリー: F1 / トヨタ