トヨタ 歴代F1マシン
トヨタは、2009年限りでF1撤退を発表。8年間にわたるトヨタのF1活動は幕を閉じた。
2002年からF1参戦したトヨタは、140戦に出場。2位5回、3位8回で13回の表彰台を含め87回の入賞を果たし、合計で278.5ポイントを獲得したが、悲願の優勝を遂げることはなかった。
8年間のトヨタF1の歴史を2001年のTF101を含めた歴代F1マシンとともに振り返る。
トヨタ初のF1マシンとなるTF101。TF101は、19カ月かけてゼロから設計された。トヨタはこのTF101で、V10エンジンに変更となる2002年からの参戦に向け、ミカ・サロとアラン・マクニッシュのドライブにより各国の11のサーキットで8カ月間、3000ラップ以上、累計20,967kmに及ぶテストプログラムを実施した。TF101のデザインは、トヨタのル・マンマシンであるTS020を手掛けたアンドレ・デ・コルタンツが担当したが、デザインは古臭く、テスト結果も思わしくなくなかったため解雇された。
TF102は、2001年5月にミナルディから引き抜いたグスタフ・ブルナーによって設計が進められた。ドライバーは、ミカ・サロ(カーナンバー24)とアラン・マクニッシュ(カーナンバー25)。開幕戦オーストラリアGPでは、ミカ・サロが6位入賞と幸先のよいスタートを切ったが、その後は第3戦ブラジルGPでサロが再び6位に入った以外はノーポイント。合計2ポイントで、コンストラクターズ10位で参戦初年度を終えた。
TF103は、TF102の正常進化版といえるマシン。デザインは引き続きグスタフ・ブルナーが担当した。しかし、TF103は、前年のフェラーリマシンF2002に酷似しているとしてスパイ疑惑騒動に発展した。新エンジンRVX-03 V10は、ルカ・マルモリーニ(現フェラーリ)を中心に設計・制作された。2003年はドライバーを一新し、オリビエ・パニスとクリスチアーノ・ダ・マッタが担当。16ポイントをあげ、コンストラクターズ8位でシーズンを終えた。
TF104は、TF103のコンセプトをベースにしながらも、シャシーを含めた全エリアを再設計。デザインは引き続きグスタフ・ブルナーが、シャシーはマイク・ガスコイン(現ロータス)が取りまとめた。ドライバーは前年と同じオリビエ・パニスとクリスチアーノ・ダ・マッタでスタートしたが、第12戦ドイツGP終了後にダ・マッタは解雇。中国GPまではサードドライバーのリカルド・ゾンタが、日本GPからはヤルノ・トゥルーリがカーナンバー16のドライブを担当。またオリビエ・パニスが最終戦を待たず日本GPで引退しため、最終戦ブラジルGPでは、リカルド・ゾンタがカーナンバー17のマシンに座った。9ポイントを獲得し、コンストラクターズ8位だった。
2005年はラルフ・シューマッハがチームに加わり、ヤルノ・トゥルーリとコンビを組んだ。TF105は、マイク・ガスコインが本格的に設計に加わり空力を強化。第2戦マレーシアGPではヤルノ・トゥルーリがチーム初となる2位表彰台を獲得。トヨタはこの年、ポールポジション2回、表彰台計5回をはじめ88ポイントを獲得。コンストラクターズ4位でシーズンを終えた。また、この年からジョーダンへのエンジン供給を開始した。参戦当初からマシンを設計してきたグスタフ・ブルナーは、年末に解雇された。
エンジンがV8エンジンへと変更になったこの年、トヨタはタイヤをミシュランからブリヂストンに変更。しかし、TF106はブリヂストンタイヤをうまく使いこなすことができず低迷。4月にはマイク・ガスコインを解雇。モナコGPからフロントサスペンションをゼロキール化したTF106Bを投入して復調をみせたが、35ポイントでコンストラクターズ6位に終わった。
TF107は、V8エンジンに合わせてモノコックを新設計。前年の反省から、ブリヂストンタイヤにあわせてサスペンション周りが大幅に見直された。またギアボックスにはシームレスシフトが導入された。しかし、TF107は昨年より低迷。信頼性も乏しく、一度も表彰台に上ることなく13ポイントで、コンストラクターズ6位でシーズンを終える。この年からエンジンを提供したウィリアムズを下回った。また、2007年をもって3年間在籍したラルフ・シューマッハがチームを離脱した。
2008年はラルフ・シューマッハの後任としてティモ・グロックがチームに加入。サードドライバーには小林可夢偉を起用した。TF108は、TF107からエアロコンセプトを劇的に変化させてはいるが、相対的にみれば近年のトレンドを組み込んだスタンダードかつコンサバティブなマシンだったといえる。TF108はシーズン当初からパフォーマンスを発揮し、フランスGPではヤルノ・トゥルーリが2006年以来となる3位表彰台を獲得。ティモ・グロックもハンガリーGPで2位表彰台を獲得するなど、56ポイントを獲得し、コンストラクターズ5位でシーズンを終えた。
開幕戦からダブルディフューザーを搭載したTF109は、開幕から強さをみせ、ヤルノ・トゥルーリが3位、ティモ・グロックが4位と幸先の良いスタートをみせる。第4戦バーレーンGPではチーム初となるフロントローを独占。他チームの開発が進んだ中盤戦は低迷するも第14戦シンガポールではティモ・グロックが、第15戦日本GPではヤルノ・トゥルーリが2位表彰台を獲得。最終2戦では負傷したティモ・グロックに代わりトヨタ初の日本人ドライバーである小林可夢偉が出走。最終戦アブダビGPでは6位入賞を果たした。59.5ポイントを獲得し、コンストラクターズ5位でトヨタのF1活動は幕を閉じた。
カテゴリー: F1 / トヨタ / F1マシン
2002年からF1参戦したトヨタは、140戦に出場。2位5回、3位8回で13回の表彰台を含め87回の入賞を果たし、合計で278.5ポイントを獲得したが、悲願の優勝を遂げることはなかった。
8年間のトヨタF1の歴史を2001年のTF101を含めた歴代F1マシンとともに振り返る。
トヨタ TF101 (2001年)
トヨタ初のF1マシンとなるTF101。TF101は、19カ月かけてゼロから設計された。トヨタはこのTF101で、V10エンジンに変更となる2002年からの参戦に向け、ミカ・サロとアラン・マクニッシュのドライブにより各国の11のサーキットで8カ月間、3000ラップ以上、累計20,967kmに及ぶテストプログラムを実施した。TF101のデザインは、トヨタのル・マンマシンであるTS020を手掛けたアンドレ・デ・コルタンツが担当したが、デザインは古臭く、テスト結果も思わしくなくなかったため解雇された。
トヨタ TF102 (2002年)
TF102は、2001年5月にミナルディから引き抜いたグスタフ・ブルナーによって設計が進められた。ドライバーは、ミカ・サロ(カーナンバー24)とアラン・マクニッシュ(カーナンバー25)。開幕戦オーストラリアGPでは、ミカ・サロが6位入賞と幸先のよいスタートを切ったが、その後は第3戦ブラジルGPでサロが再び6位に入った以外はノーポイント。合計2ポイントで、コンストラクターズ10位で参戦初年度を終えた。
トヨタ TF103 (2003年)
TF103は、TF102の正常進化版といえるマシン。デザインは引き続きグスタフ・ブルナーが担当した。しかし、TF103は、前年のフェラーリマシンF2002に酷似しているとしてスパイ疑惑騒動に発展した。新エンジンRVX-03 V10は、ルカ・マルモリーニ(現フェラーリ)を中心に設計・制作された。2003年はドライバーを一新し、オリビエ・パニスとクリスチアーノ・ダ・マッタが担当。16ポイントをあげ、コンストラクターズ8位でシーズンを終えた。
トヨタ TF104 (2004年)
TF104は、TF103のコンセプトをベースにしながらも、シャシーを含めた全エリアを再設計。デザインは引き続きグスタフ・ブルナーが、シャシーはマイク・ガスコイン(現ロータス)が取りまとめた。ドライバーは前年と同じオリビエ・パニスとクリスチアーノ・ダ・マッタでスタートしたが、第12戦ドイツGP終了後にダ・マッタは解雇。中国GPまではサードドライバーのリカルド・ゾンタが、日本GPからはヤルノ・トゥルーリがカーナンバー16のドライブを担当。またオリビエ・パニスが最終戦を待たず日本GPで引退しため、最終戦ブラジルGPでは、リカルド・ゾンタがカーナンバー17のマシンに座った。9ポイントを獲得し、コンストラクターズ8位だった。
トヨタ TF105 (2005年)
2005年はラルフ・シューマッハがチームに加わり、ヤルノ・トゥルーリとコンビを組んだ。TF105は、マイク・ガスコインが本格的に設計に加わり空力を強化。第2戦マレーシアGPではヤルノ・トゥルーリがチーム初となる2位表彰台を獲得。トヨタはこの年、ポールポジション2回、表彰台計5回をはじめ88ポイントを獲得。コンストラクターズ4位でシーズンを終えた。また、この年からジョーダンへのエンジン供給を開始した。参戦当初からマシンを設計してきたグスタフ・ブルナーは、年末に解雇された。
トヨタ TF106 (2006年)
エンジンがV8エンジンへと変更になったこの年、トヨタはタイヤをミシュランからブリヂストンに変更。しかし、TF106はブリヂストンタイヤをうまく使いこなすことができず低迷。4月にはマイク・ガスコインを解雇。モナコGPからフロントサスペンションをゼロキール化したTF106Bを投入して復調をみせたが、35ポイントでコンストラクターズ6位に終わった。
トヨタ TF107 (2007年)
TF107は、V8エンジンに合わせてモノコックを新設計。前年の反省から、ブリヂストンタイヤにあわせてサスペンション周りが大幅に見直された。またギアボックスにはシームレスシフトが導入された。しかし、TF107は昨年より低迷。信頼性も乏しく、一度も表彰台に上ることなく13ポイントで、コンストラクターズ6位でシーズンを終える。この年からエンジンを提供したウィリアムズを下回った。また、2007年をもって3年間在籍したラルフ・シューマッハがチームを離脱した。
トヨタ TF108 (2008年)
2008年はラルフ・シューマッハの後任としてティモ・グロックがチームに加入。サードドライバーには小林可夢偉を起用した。TF108は、TF107からエアロコンセプトを劇的に変化させてはいるが、相対的にみれば近年のトレンドを組み込んだスタンダードかつコンサバティブなマシンだったといえる。TF108はシーズン当初からパフォーマンスを発揮し、フランスGPではヤルノ・トゥルーリが2006年以来となる3位表彰台を獲得。ティモ・グロックもハンガリーGPで2位表彰台を獲得するなど、56ポイントを獲得し、コンストラクターズ5位でシーズンを終えた。
トヨタ TF109 (2009年)
開幕戦からダブルディフューザーを搭載したTF109は、開幕から強さをみせ、ヤルノ・トゥルーリが3位、ティモ・グロックが4位と幸先の良いスタートをみせる。第4戦バーレーンGPではチーム初となるフロントローを独占。他チームの開発が進んだ中盤戦は低迷するも第14戦シンガポールではティモ・グロックが、第15戦日本GPではヤルノ・トゥルーリが2位表彰台を獲得。最終2戦では負傷したティモ・グロックに代わりトヨタ初の日本人ドライバーである小林可夢偉が出走。最終戦アブダビGPでは6位入賞を果たした。59.5ポイントを獲得し、コンストラクターズ5位でトヨタのF1活動は幕を閉じた。
カテゴリー: F1 / トヨタ / F1マシン