佐藤琢磨、接触によりリタイア (インディカー第11戦)
佐藤琢磨は、インディカー第11戦ポコノの決勝レースを接触によるリタイアで終えた。
3列目イン側グリッドからスタートした佐藤琢磨は、スタートからトップグループにつけ、1回目のピットストップを終えた時点で3番手に浮上していた。そのあと、1つポジションを落とした佐藤琢磨だったが、マシンの仕上がりがよく、優勝の期待が高まった。
しかし、61周を終えて2回目のピットストップへと向かった際に、佐藤琢磨はブレーキングポイントを見誤り、ピットレーンを走行していたライアン・ハンターレイ(Andretti Autosport)に後方から接触。チームはマシンをガレージに運んで修理を試みましたが、長時間の作業が必要となるダメージが発見され、リタイアを決意した。
優勝は、スコット・ディクソン(Chip Ganassi Racing)。この優勝は、ホンダにとって今シーズン4勝目。2位にはチャーリー・キンボール(Chip Ganassi Racing)、3位にはダリオ・フランキッティ(Chip Ganassi Racing)が入り、Chip Ganassi Racingはチームとして初の1-2-3フィニッシュを達成した。
ホンダは1994年にアメリカのインディカーへ参戦を開始し、95年にニュー・ハンプシャー・インターナショナル・レースウェイで初優勝を記録。そして、今日の勝利はホンダにとってインディカーでの200勝目となりました。
佐藤琢磨 (22位)
「スタート直後からバトルを制してポジションを稼ぎ、リスタートでもさらに順位を上げて、いいポジションで戦うことができていました。あの時点で先頭に出るのは厳しかったかもしれませんが、トップはみえていましたし、同じペースを保つことも可能でした。1回目のピットストップのときにコースがグリーンで、あのときはピットロードへ入るところで減速し過ぎたほどでした。そこで、2回目はピット入口までもう少しプッシュしました。前を走っていたマシンをピットストップで抜いて順位を上げようと考えていましたが、ターン3からピット入口へのアプローチがオーバースピードになり、リアタイヤがロックしてマシンが横を向いてしまいました。あれは私のミスでした。勝てる可能性があったレースだけに本当に残念です」
カテゴリー: F1 / 佐藤琢磨 / インディカー
3列目イン側グリッドからスタートした佐藤琢磨は、スタートからトップグループにつけ、1回目のピットストップを終えた時点で3番手に浮上していた。そのあと、1つポジションを落とした佐藤琢磨だったが、マシンの仕上がりがよく、優勝の期待が高まった。
しかし、61周を終えて2回目のピットストップへと向かった際に、佐藤琢磨はブレーキングポイントを見誤り、ピットレーンを走行していたライアン・ハンターレイ(Andretti Autosport)に後方から接触。チームはマシンをガレージに運んで修理を試みましたが、長時間の作業が必要となるダメージが発見され、リタイアを決意した。
優勝は、スコット・ディクソン(Chip Ganassi Racing)。この優勝は、ホンダにとって今シーズン4勝目。2位にはチャーリー・キンボール(Chip Ganassi Racing)、3位にはダリオ・フランキッティ(Chip Ganassi Racing)が入り、Chip Ganassi Racingはチームとして初の1-2-3フィニッシュを達成した。
ホンダは1994年にアメリカのインディカーへ参戦を開始し、95年にニュー・ハンプシャー・インターナショナル・レースウェイで初優勝を記録。そして、今日の勝利はホンダにとってインディカーでの200勝目となりました。
佐藤琢磨 (22位)
「スタート直後からバトルを制してポジションを稼ぎ、リスタートでもさらに順位を上げて、いいポジションで戦うことができていました。あの時点で先頭に出るのは厳しかったかもしれませんが、トップはみえていましたし、同じペースを保つことも可能でした。1回目のピットストップのときにコースがグリーンで、あのときはピットロードへ入るところで減速し過ぎたほどでした。そこで、2回目はピット入口までもう少しプッシュしました。前を走っていたマシンをピットストップで抜いて順位を上げようと考えていましたが、ターン3からピット入口へのアプローチがオーバースピードになり、リアタイヤがロックしてマシンが横を向いてしまいました。あれは私のミスでした。勝てる可能性があったレースだけに本当に残念です」
カテゴリー: F1 / 佐藤琢磨 / インディカー