佐藤琢磨 インディ500
佐藤琢磨が、インディ500の2週間の出来事を公式サイトで振り返った。

佐藤琢磨(アンドレッティ・オートスポーツ)は、5月28日(日)に開催された伝統のインディ500で日本人初優勝という歴史的偉業を成し遂げた。

レースの53周目、クラッシュしたジェイ・ハワードにスコット・ディクソンが接触してマシンが宙を舞うアクシデントが発生。クラッシュしたマシンを排除するために赤旗が提示される。

この時点で佐藤琢磨は3番手につけていた。

「アクシデントは僕の直後で起きました」と佐藤琢磨は振り返る。「1周回って事故現場にやってきたとき、マシンはモノコックだけになっていて、破片があたり一面に飛び散っていたので、僕は強いショックを受けました。だから、ディクソンが自力でマシンから降り立ったと聞いたときにはホッとしました。ただし、この事故でコースとSAFERバリアがダメージを受けたため、レースを中断する必要がありました。もちろん、僕にはまったく問題ありませんでした」

作業が行われていた佐藤琢磨は・・・眠りに落ちていたと明かす。

「眠りに落ちてしまったのです。まるで2002年日本GPの予選のときのように……。あのときは130Rでアラン・マクニッシュが大クラッシュして赤旗が提示されました。それでデータを見ていたのですが、だんだん眠くなってきて、短いパワーナップをしました。おかげですっきりとしました。これと同じことが土曜日に起きたのです」

「たしか夢を見たはずなんですが、どんな内容だったかは覚えていません。そしてはっと目が覚め、自分がインディ500を戦っている途中で、大観衆に囲まれてコクピットに腰掛けていることに気づきました。本当に奇妙な気分でした! けれども、一眠りしたおかげで楽に意識を集中させることができました」

その後、佐藤琢磨は一時トップに浮上。だが、その後の数回のイエローコーションで佐藤琢磨は徐々に後退。一時は17番手まで順位を落とす。

「勢いを失いました。しかも、これがリスタート後に起きると、誰もがニュータイアを履いているため、簡単に順位を落とすことになります。結局、僕は17番手まで転落してしまいました。こういうときに大切なのはパニックに陥らないことです。16番手とか17番手ではタービュランスがひどいので、たしかに困難でフラストレーションの募る状況ですが、どのスティントでも15ラップを過ぎるとライバルたちにはタイア・デグラデーションが起きてスロットルを踏めなくなるため、相対的に僕たちのマシンは最強となります。そこで、ひとつずつ順位を上げていくことにしました」

そして、次のピットストップまでに佐藤琢磨はトップ10まで巻き返した。その後、イエローが出てピットストップを行ったとき、佐藤琢磨は5番手へと挽回。その間にマックス・チルトンとエド・ジョーンズのふたりが首位に浮上していた。ここから佐藤琢磨の猛反撃が始まる。

レース終盤に出た2回のコーションまでに、佐藤琢磨はマックス・チルトンの直後にあたる2番手まで駒を進める。そして5台が絡む事故で提示されたイエローが解除になったとき、レースは残り12周となっていた。

佐藤琢磨が2番手にジャンプアップできたのは、残り22ラップのターン1でエリオ・カストロネヴェスとエド・ジョーンズをアウト側から一気に仕留めたおかげだった。このスリリングなオーバーテイクは佐藤琢磨をトップ争いのポジションに押し上げただけでなく、優勝を予感させるきっかけともなった。

「あの男はきっとやってくれる」 レース後、チーム代表のマイケル・アンドレッティは語った。

「彼は素晴らしいレースを戦ってくれた。アウトサイドから2台をまとめてオーバーテイクしたことがあったけれど、あれは重要なシーンだった。なにしろ、これでトップに続く2番手のポジションを手に入れられたのだから。僕は、あのときレースの流れが変わったと思う。その瞬間、僕はこんな具合だった。『ワォッ! 僕たちはどうやら優勝することになりそうだ!』 もちろん、佐藤琢磨は僕らをがっかりさせなかった。彼のドライビングは本当に最高だった」

残り9周でリスタートされた際、佐藤琢磨は首位浮上を狙ってアウトからターン1に進入したが、反対にこれで勢いを失い、ターン3でカストロネヴェスにパスされてしまう。その2周後、エリオ・カストロネヴェスは同じ作戦でマックス・チルトンをオーバーテイクして首位に浮上。このとき、佐藤琢磨もターン1でチルトン攻略に成功する。そして次の周、佐藤琢磨はターン4で鮮やかにエリオ・カストロネヴェスを抜き去り、トップに立つ。残りは5周、12.5マイル(約20km)。

「僕たちは本当にいいポジションにつけていて、最後の10周は『ワイルドなレース』ができる準備が整っていました。強敵だったチルトンを攻略しようとするとき、僕はあと何周でカストロネヴェスがチャージを始めるかを計算していました。マックスがポジションを守ろうとして急減速したので、僕も慌ててスロットルペダルから足を離しましたが、おかげでエリオにすんなりと抜かされてしまいました」

「インディアナポリス・モーター・スピードウェイで倒さなければいけない相手はエリオです。これまで彼とレースを戦うなかで、僕はたくさんのことを学んできました。僕たちはコース上でもコース外でもとてもいい関係で、彼との間に問題が起きたことは一度もありません。彼は勇敢なレーサーですが、常に相手に敬意を払ってくれます。エリオがマックスをオーバーテイクしたあとで、2012年のインディ500とよく似たことが起きました。ダリオ・フランキッティがスコット・ディクソンを抜いたとき、僕もダリオについてディクソンをパスし、2番手に浮上したのです。でも、今回はレースがまだ6周残っていた。僕の目の前にいるのはエリオだけ。僕は彼の走りを注意深く見つめながら、残り数周をどうやって戦うべきかを考えました」

「僕たちが使っているエアロ・コンフィギュレーションでは順位の入れ替えが比較的容易で、前を走っていられるのはせいぜい1周か2周です。そこで残り5周となったところでエリオをパスし、僕を抜き返すのに何周かかるかを確認することにしました。そして、もしも彼が2周で僕から再びリードを奪うようであれば、僕は残り2周でじっくりとエリオを攻略する時間があると考えたのです。このとき、僕の脳ミソはフル回転していました! 僕が残り5周でオーバーテイクすると、彼は案の定、2周で僕に追いつきました。そして残り2周となったターン1で彼は仕掛けてきます。『OK、ここで僕がリードを守り切れれば、彼が追いつくには再び2ラップが必要になる』 できることはすべてしました。イン側のラインを守り、彼をアウトサイドに追いやりました。そこからの2ラップは、まるで予選のように全開で攻め続けてエリオを引き離しにかかりました。これは本当に濃密で、長い長い2ラップでしたが、彼を抑えることに成功します。僕のスポッターが無線を通じて教えてくれました。『エリオは3バック、2バック、諦めずに攻めている!』 おかげで僕には彼との位置関係が正確に把握できました。そして最終ラップのターン4を立ち上がったとき、僕は勝利を確信しました」

「本当に素晴らしいチームワークでした。チェッカードフラッグを受けたときはメチャクチャ嬉しくて、ヘルメットのなかで大声で叫びました! そしてスロットルペダルを戻すと、観客たちの大歓声が聞こえてきました。ただただ信じられないような気持ちで、本当に嬉しかったです。ピットレーンに戻ってくるとみんなが声援を送ってくれましたが、途中で(佐藤琢磨を2013年から2016年まで走らせていた)No.14のクルーが姿を見せました。そこで僕は2mph(約3km/h)までスピードを落として、かつての仲間全員とハイタッチしたのです。あれは最高の気分でした。まるで夢を見ているようでした。みんなが叫び声を挙げて、大騒ぎをしています。アンドレッティ・オートスポーツのメンバーが見せたエネルギーにはとても驚かされました。本当に信じられないような経験でした」

「最高のマシンでした。僕を選んでくれたマイケル・アンドレッティには心からお礼をいいたいと思います。エンジニアのギャレットも素晴らしい仕事をしてくれました。No.26のメカニックも文句の付けどころがありませんでした。そしてミルク……。僕が選んだのは脂肪分2%でよく冷えているもの。あんなにおいしい牛乳は初めてでした! 素晴らしい瞬間でした。あの気持ちは一生忘れないでしょう。スマイル、エネルギー、そして35万人の大歓声」

「インディ500で勝つには、すべてを手に入れていなければいけません。最高のマシン、最高の環境、ミスがないこと、そしてすべてが自分の思い通りに運ぶことです。レースが終わってから、燃料タンクなどにいくつかトラブルが起きていたことが判明します。もしもあれほどイエローが出なかったら、フィニッシュできなかったかもしれません。そうでなくても右リアタイアに燃料がかかり、スピンしていた可能性もあります。IMSのひとたちからは『コースがウィナーを選ぶ』といってもらいました。僕は運がよかったのでしょう。でも、誰だって自分を信じて、チャレンジし続けなければ夢はかないません。たとえ40歳になっても夢はかなうのです。それにしても嬉しい瞬間でした!」

佐藤琢磨はフェルナンド・アロンソとも素晴らしい時間を共有していた。フェルナンド・アロンソは、インディ500初参戦ながらトップ争いを演じたが、最終的にホンダのエンジンにトラブルが発生してリタイアとなった。

「フェルナンドと一緒にいると、いつでも最高に楽しいですよ。彼は目の覚めるようなスピードと、期待どおりの才能を発揮しました。フェルナンドのレースは素晴らしいもので、彼と一緒にできて本当に楽しかった。彼が毎日、微笑んでいるのを見られてよかったし、彼も充実した日々を過ごしていたようです。きっと、またインディに戻ってくると思いますよ」

そして、ウィナーとなった佐藤琢磨の人生は一転する。

「本当に信じられませんでした。インディ500で勝つって、こんなにすごいことだったのですね。ウィナーズ・サークルに立ってからは、もうノンストップでした。最初に記者会見をして、メディア向けのインタビューをしましたが、国際的なメディアが10社、さらに衛星放送のテレビ局などが列をなしていました。フィニッシュした直後で、レーシングスーツも濡れたままだったのに、3時間もそれが続いたのです。それからチームのディナーに顔を出して、ベッドに入ったのが午前3時頃。4時間ほど寝て翌朝を迎えたとき、昨日のことが夢だったのか現実だったのか確信が持てなくなりましたが、マネージャーが電話をかけてきてこう言いました。『いますぐ準備をするんだ。あと10分でテレビの生中継でインタビューだ』 ああ、夢じゃなかったんだ! それから恒例のウィナー撮影会があって、インタビューを受けて、インディ500バンケットに出席して、プライベートジェットに乗り込んでニューヨークに着いたのが火曜日の午前2時30分でした。イベントはさらに続きます。メディアの取材が11時間続いて、100媒体を招いたパーティが午後9時に始まって、そのまま飛行機に乗ってテキサスに向かい、水曜日にも様々なイベントに参加しました」

週末にはデトロイトでのダブルヘッダーレースも控えていたが、佐藤琢磨は木曜日になっても数多くのインタビューを受けていた。

インディカ500優勝の快挙は、佐藤琢磨の母国にとっても大きな意味を持っていた。2011年に東日本大震災が発生して以来、彼が慈善活動の“With you Japan”を意欲的に進めてきた。

「僕が優勝したことは日本にとっても大きなニュースで、各メディアを賑わせているようです。これは本当に嬉しい成績ですし、自分の国のことを心から誇りに思います。僕が優勝したことはとても大きな意味を持っています。2011年に起きた東日本大震災の影響で、いまも20万人を越す被災者が仮設住宅などでの生活を余儀なくされています。このニュースで、そうした多くの人々が励まされ、勇気づけられることを願っています。おそらくテキサスの後で帰国すると思いますが、そこで様々なメディアから取材を受け、たくさんの人たちと会えることを楽しみにしています」

テキサスでの戦いを終えた佐藤琢磨は12日(月)に帰国。13日(火)には記者会見、14日(水)にはウエルカムプラザ青山でファンイベントに参加する。


関連:佐藤琢磨、ついに掴み獲った“頂点” 「人生を変えたインディ500」 (前編)

このエントリーをはてなブックマークに追加

カテゴリー: F1 / 佐藤琢磨