F1 エイドリアン・ニューウェイ フェラーリ レッドブル・レーシング
レッドブルの技術責任者を務めるエイドリアン・ニューウェイが、過去3度にわたるフェラーリからオファーについて詳しく語った。

エイドリアン・ニューウェイは、ウィリアムズ、マクラーレン、レッドブルでタイトルを獲得し、名実ともにF1で最高のデザイナーに数えられているが、フェラーリで働いたことはない。

しかし、フェラーリは過去3回にわたってエイドリアン・ニューウェイにオファーを出している。

「フェラーリ加入に近づいたことが3度ある」とエイドリアン・ニューウェイは Sky Sports F1 にコメント。

「当初、私のインディカーのキャリアで、フェラーリがインディカーを製造することに決めた際にチーフデザイナーとしてプロジェクトに加入するオファーを受けたが、正しいと感じられなかったので、そのオファーを断った」

「そのあと、1996年にッジャン・トッドからテクニカルディレクターとして加わるようさらに真剣なオファーがあった。その時点で、私はウィリアムズ残留、マクラーレン加入、フェラーリ加入というオファーを受けていた」

「しばらく真剣にそれについて考えたが、当時は家族が若く、英国に留まりたいと考えた」

もしエイドリアン・ニューウェイが2度目のオファーを受けれていれば、ロス・ブラウンのフェラーリ加入とその後のキャリアはなかったかもしれない。1997年にテクニカルディレクターとしてフェラーリに加入したロス・ブラウンは、9年間で6つのコンストラクターズタイトルを獲得している。

しかし、エイドリアン・ニューウェイにとって最も魅力的なフェラーリからのオファーは、2014年のものだった。ニューウェイは、レッドブルとタイトルを4連覇していたが、レッドブルは新しいエンジン時代の幕開けにエンジンパワーに苦戦を強いられていた。

エイドリアン・ニューウェイは、フェラーリが“映画スターのようなライフスタイル”とレッドブルの給料の2倍以上“のとてつもなく巨額”をオファーしてきたと説明。その一方でメルセデスとも交渉の場があったと明かす。

「2014年の春は、トンネルの先に光がまったく見えない気のめいるような時代だった」とエイドリアン・ニューウェイは語る。

「ルノーは、特にメルセデスにかなり遅れを取っており、フェラーリとも程度の差があり、終わりが見えない状況であることが明らかになった。ルノーは資金を投入して本気で問題を解決しようとしているようには思えなかった。それは気が滅入るほどの心配事だった」

「私は少し難しい立場にいた。レッドブルを離れたくはなかった。自分の家のように感じていたし、クリスチャン(ホーナー:チーム代表)と一緒にスタートから大きく関与し、ジャガーの灰から今日の場所までチームを造り上げてきたからだ。そこを離れたくはなかった。だが、同時にエンジン部門に片手を縛られて仕事をするようなポジションにいたいとは思わなかった」

「メルセデスのニキ・ラウダからアプローチがあり、自分のオプションを考えた。メルセデスの加入について一連の話し合いが始まった。ニキはそれを議論するために家に2度訪れた。誘惑はされたが、それほどではなかった。2014年のチャンピオンシップがほぼ確実なメルセデスに事実上のロス・ブラウンの後任として移籍することは正しいとは感じなかったし、トロフィーハンターのように感じた。ニキには感謝しているが、そのオファーは断った」

「LMP1のスポーツカーのチームからもアプローチがあった。原則としてそれは非常に興味深いものだった。ル・マンに勝つという目標をもったチームに関与することは私の死ぬまでにやっておきたいことリストに残っている。だが、チームはドイツを拠点にしており、そこが魅力的ではなかった」

「そのあと第3のアプローチがあり、それがフェラーリからのものだった。以前には彼らから嫌われていたが、今回はビジネスだった。私は当時のフェラーリの会長ルカ・ディ・モンテゼーモロを訪問し、トスカーナ近郊の彼の農場内の家屋で彼に会った。我々は真剣な話し合いを行ったし、彼らのオファーは素晴らしかった。ルカは私にフェラーリの市販車とレースカーの全権を与えることを望んでいた。映画スターのようなライフスタイルと、レッドブルで受け取っていたすでに豊富な給料の倍以上の本当に途方もないような金銭オファーが約束された」

「私は非常に難しい決断を迫られたし、家族、文化、仕事の違い、成功もしくは失敗の可能性、その反響など、様々な要素を何度も繰り返し考えながら多くの眠れぬ夜を過ごした」

「だが、最終的に私はルカに感謝を伝え、断った」

このエントリーをはてなブックマークに追加

カテゴリー: F1 / レッドブル・レーシング / スクーデリア・フェラーリ