F1 ニキ・ラウダ
F1のレジェンド、ニキ・ラウダの葬儀が5月29日(水)に彼の故郷オーストリアのシュテファン大聖堂で営まれた。

3度のF1ワールドチャンピオンであるニキ・ラウダは、今後20日(月)、腎臓の治療を受けていたチューリッヒの病院で家族に見守られながら70歳でこの世を去った。

雨が降るなか、数百人のファンが1時間以上も列をなして棺が大聖堂に到着するのを待った。

棺は大聖堂の中心にキャンドルに囲まれて安置され、ニキ・ラウダの妻ビルギット、息子のルーカス、マティアスによって、赤いヘルメットが据えられた。

午後には鎮魂ミサが開かれ、晩年にニキ・ラウダが非常勤取締役を務めていたメルセデスのモータースポーツ責任者トト・ヴォルフ、現役ワールドチャンピオンのルイス・ハミルトン、バルテリ・ボッタス、ニコ・ロズベルグらが大聖堂に入った。

マクラーレン時代にニキ・ラウダのチームメイトだったアラン・プロストがセレモニーで弔辞を読み、オーストリアのアレクサンダー・ファン・デア・ベレン大統領とセバスティアン・クルツ元首相、祖国を訪れていた俳優アーノルド・シュワルツェネッガーらが短いスピーチを行った。

ニキ・ラウダの最後のチームメイトのジャッキー・スチュワート、ナイジェル・マンセル、ジャック・ラフィット、ジャン・アレジ、ネルソン・ピケ、ゲルハルト・ベルガーといった往年のドライバー、F1会長のチェイス・キャリー、ロス・ブラウン、FIA会長のジャン・トッド、ニキ・ラウダの親友ヘルムート・マルコ、レッドブルのチーム代表クリスチャン・ホーナーを始めとする各F1チーム代表、元フェラーリ代表のルカ・ディ・モンテゼーモロ、フラビオ・ブリアトーレなど、F1界から多くの仲間たちが参列した。

ニキ・ラウダは、1976年にレース中の事故で大やけどを負いながら6週間後に“奇跡の復活”を遂げ、“不死鳥”と呼ばれた。

1975年にフェラーリで初のF1ワールドチャンピオンを獲得したニキ・ラウダは、1976年にニュルブルクリンクで開催されたドイツGPでのクラッシュでマシンが炎上。頭部に大火傷を負い、FRP製のボディーワークが燃えて発生した有毒ガスを吸い込んだため、肺に深刻なダメージを受け、生死の境をさ迷った。

しかし、事故発生から6週間後のF1イタリアGPで奇跡のレース復帰を果たし、4位入賞を果たした。後に「恐怖心を消し去ってレースをできるようにするため、早めに出場することが最良と考えた」と語っている。

その年はジェームス・ハントと1ポイント差でタイトルを逃したものの、翌1977年に2度目のタイトルを獲得。1984年にはマクラーレンで3度目のF1ワールドチャンピオンを獲得。通算25勝、54回の表彰台、24回のポールポジションとファステストラップという戦歴を残した。

ニキ・ラウダは、ウィーン市内の墓地に埋葬されるという。

ニキ・ラウダ 葬儀ニキ・ラウダ 葬儀①ニキ・ラウダ 葬儀②ニキ・ラウダ 葬儀③ニキ・ラウダ 葬儀④ニキ・ラウダ 葬儀⑤ニキ・ラウダ 葬儀⑥

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カテゴリー: F1 / メルセデスF1