F1がアメリカで成功した要因 ザク・ブラウン「舞台裏を見せた」

F1は近代以降の大半の時代において、アメリカでの開催を即席の仮設コースや不適切な場所に頼り、プロモーターやファンの支持を得られなかった。唯一の例外は2000年から2007年にかけて8回開催されたインディアナポリスだったが、2005年に発生した壊滅的な事件によってカレンダーから姿を消した。
ブラウンはポッドキャスト「How Leaders Lead」で、アメリカ市場でのF1の苦戦は主に3つの要因にあったと説明した。それは「一貫性のない開催地」「継続性の欠如」「ファンを排除するイメージ問題」だという。
度重なる失敗の歴史
「ひとつは、1970年代にさかのぼっても、我々は恒久的な開催地を見つけられなかったことだ」とブラウンは振り返る。
「ロングビーチ、ワトキンスグレン、ダラス、2年間のラスベガスの駐車場、そしてフェニックス。5〜8年も離れた時期もあった。
インディアナポリスに戻ったと思えば『タイヤゲート』が起きて、良いショーを見せられなかった。そして再び消えた。
北米で人気を得ようと思ったら、存在しないか、開催日や開催地の“積み重ね”がないという状況ではうまくいかない」
この不安定さによって、アメリカで忠実なファン層を築くことはほぼ不可能だったとブラウンは指摘した。2012年にサーキット・オブ・ジ・アメリカズ(COTA)が誕生し、ようやくF1に恒久的な拠点が与えられるまで状況は改善しなかった。
排他的から包括的へ
ブラウンはもうひとつの問題として、F1が「排他的で閉ざされた世界」というイメージを持たれていたことを認めた。
「我々は非常に排他的、あるいはそう見られていて、決して包括的ではなかった」とブラウンは語る。
「リバティがスポーツを買収したとき、彼らは『このスポーツは巨大だが、NBAやNFL、MLB、プレミアリーグのようにファンベースと本当に関わっていない』と気づいた。
長い間はそれでよかったかもしれないが、今は“認知”ではなく“エンゲージメント”の時代だ。我々はファンと関わっていなかった。彼らを中に入れようとせず、『見るだけ、触れるな』という姿勢だった」
2017年にリバティ・メディアがF1を買収すると、ファンとのつながりとアクセス拡大を最優先にした。その後、Netflixのドキュメンタリー『Drive to Survive』が登場し、アメリカでのF1のイメージを転換させる大きなきっかけとなった。

「舞台裏を見せる」ことの効果
「リバティが買収し、Netflixが参入して“舞台裏を見せる”ようになると、人々は『このスポーツはすごい。今まで見たことがない。近づいたこともなかった』と思うようになった」とブラウンは説明した。
「その後、オースティンから始まり、カレンダーには3つのレースが加わった。オースティンは我々のカレンダーの中でも最高のグランプリのひとつだ。
つまり、存在しなかった、排他的だった状況から、存在し、包括的になり、エンゲージメントに非常に注力するようになった」
その変化により、マイアミ(2022年)、ラスベガス(2023年)が加わり、アメリカはF1にとって最も重要な市場のひとつに変貌した。
エンターテインメントとしての自覚
ブラウンはさらに、F1全体が「スポーツはエンターテインメントの一部である」と受け入れた文化的変化を強調した。
「F1が学んだこと、そして今も学んでいることは、スポーツはエンターテインメントだということだ」とブラウンは語る。
「F1の中には『我々はエンターテインメントじゃない』という声もある。しかし、映画、モーターレース、野球、ロックコンサート、花火大会のためにチケットを買って席に座るなら、それはエンターテインメントだ。
今やスポーツ自体が、我々がやっていることにはエンターテインメント的側面があると受け入れるようになり、ファンもそれに応じている」
ブラウンにとって成功の方程式は明快だ。会場の安定性、ファンとの交流によるアクセス性、メディアによる可視性。その組み合わせによって、F1はアメリカでニッチな存在から急成長するスポーツへと変貌した。
そしてリバティ・メディアによる商業的な推進力が中心であった一方で、最も重要な変化は文化的なものだとブラウンは示唆する。それは「F1がようやく人々に舞台裏を見せるようになった」という点だ。
カテゴリー: F1 / マクラーレンF1チーム