F1 ホンダF1
F1公式サイトが、ホンダF1の歴史を振り返る動画『Honda's Greatest Hits in F1』を公開した。

1964年にF1に初参戦したホンダは、1965年にF1初勝利。2度の撤退を経て、2015年に再びエンジンサプライヤーとしてF1に復帰。2019年からは3強チームであるレッドブル・レーシングにパワーユニット供給を開始。再びF1の頂点を目指す。

1965年: HONDA RA272
1964年にホンダはフルコンストラクターズとしてF1への参戦を開始。それから1年後の1965年の最終戦メキシコGP、リッチ・ギンサーがスタートからチェッカーフラッグまでトップを快走し、ホンダに史上初のF1優勝をもたらしました。

1984年: WILLIAMS FW09
1983年、15年の時を経て、F1の技術的な進化が再びホンダを呼び戻す。1984年を迎えると、徐々に結果が出始める。ダラスGPでは、ケケ・ロズベルグがホンダエンジンを搭載したウイリアムズのマシンで優勝。ホンダは久しぶりに表彰台の中央に戻ってきた。

1986年: WILLAMS FW11
V6ターボエンジン「RA166E」が徐々にコース上を席巻し始める。ウイリアムズ・ホンダFW11は1000馬力を超え、1986年シーズンで最もパワフルなマシンの一つとなった。ナイジェル・マンセルがわずか2ポイント差でドライバーズタイトルを逃したものの、ウイリアムズがコンストラクターズチャンピオンに。ここからホンダにとっての黄金時代が始まる。

1988年: McLAREN MP4/4
1988年シーズンは連勝に次ぐ連勝の年となった。数年にもわたる成功を収めてなお、ホンダのV6ターボエンジン「RA168E」を積んだマクラーレンのマシンは向かうところ敵なしだった。このマシンを駆って、稀代の名ドライバーであるアラン・プロストとアイルトン・セナは、実に16戦中15勝を挙げる快挙を成し遂げた。セナがドライバーズチャンピオンに輝き、ホンダは再び、コンストラクターズの頂点に立った。

1991年: McLAREN MP4/6
1989年シーズンから、レギュレーションによりターボエンジンが禁止されることに。競争相手がV8やV12に移行する中、ホンダはV10エンジンを選択。すぐにその選択が正解だったことが明らかにった。マクラーレン・ホンダがシーズンを席巻し、コンストラクターズチャンピオンに輝いただけでなく、プロストがドライバーズタイトルも獲得してみせた。

2004年: BAR 006
BARホンダとして4年目のシーズンとなったこの年、ホンダはコンストラクターズ・チャンピオンシップで2位となった。ジェンソン・バトンはシーズンを通して10度の表彰台に登壇し、ドライバーズランキングで3位につけた。

2006年: HONDA RA106
2005年、ホンダはBARを買収し、それまでの50年の間で初めて、F1専用のファクトリーを建設する。それは大きな決断だったが、このプロジェクトに関わった者すべてのあくなき努力は、ジェンソン・バトンがハンガリーGPでキャリア初勝利を飾ったときに労われることとなった。第一期・第二期よりも時間はかかったものの、開発が成果を上げていることは明らかだった。バトンの愛機として優勝を勝ち取ったRA106は、V8デザインの中でも最もパワフルなマシンの一つとして認知された。バトンが劇的なウエットレースを制したあとも、ホンダはレースに挑み続け、コンストラクターズチャンピオンシップでは4位となった。

2019年: RED BULL RB15
ホンダは、2019年からレッドブル・レーシングへのF1パワーユニット供給を開始。再びF1の頂点を目指す。



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カテゴリー: F1 / ホンダF1 / F1動画