ホンダF1、田辺豊治のテクニカルディレクター就任を発表
ホンダF1は、2018年シーズンに先駆けて田辺豊治が新たに設置されたテクニカルディレクターに就任し、現場の指揮を行うことを発表。F1の運営体制を変更し、これまで技術開発とレース現場指揮監督の責任を担ってきたF1プロジェクト総責任者のポジションを廃止することを発表した。
2015年にマクラーレンのパートナーとしてF1復帰したホンダだが、今シーズン限りで3シーズンのパートナーシップを解消し、2018年からはトロ・ロッソにF1パワーユニットを供給することが決定している。
2015年以降、ホンダは、F1プロジェクト総責任者が技術開発とレース現場指揮監督の責任を担ってきたが、今後は開発とレース・テスト現場それぞれが、よりスピーディーに業務を遂行できる体制へと進化。現場の指揮に専念するテクニカル・ディレクターを新たに設置し、初代テクニカル・ディレクターには田辺豊治が就任する。
田辺豊治(57歳)は1984年に本田技研工業に入社。入社直後の1年間を除き、常にF1、CARTなどのレース現場の第一線で活躍している。
ホンダF1の第2期となる1990~92年にはマクラーレン・ホンダでゲルハルト・ベルガーの担当エンジニアに就任。1993年から2003年までインディカーのエンジン開発やレースエンジニアを務めた後、ホンダF1の第3期となる2003年からはB・A・Rホンダでジェンソン・バトンのチーフエンジニアに就任。2008年にはF1開発責任者を務めた。ホンダがF1から撤退して以降は本田技術研究所で量産エンジン開発を担当し、2013年からはHPD シニア・マネージャー 兼 レースチーム チーフエンジニアを務めていた。
なお、2016年からF1プロジェクト総責任者を務めていた長谷川祐介は、2018年1月1日付で本田技術研究所の主席研究員となる。
本田技研工業株式会社の執行役員 ブランド・コミュニケーション本部長を務める森山克英は「これまで、F1プロジェクト総責任者が担っていた技術開発とレース現場指揮監督の責任範囲を分離し、開発とレース・テスト現場それぞれが、よりスピーディーに業務を遂行できる体制へと進化させます」とコメント。
「開発現場とレース現場が各々の役割をしっかり果たすことで、トロ・ロッソホンダが上位争いをする姿を一日でも早くお見せできるよう挑戦を続けてまいります。引き続き皆さまの応援をよろしくお願いします」
カテゴリー: F1 / ホンダF1 / トロロッソ
2015年にマクラーレンのパートナーとしてF1復帰したホンダだが、今シーズン限りで3シーズンのパートナーシップを解消し、2018年からはトロ・ロッソにF1パワーユニットを供給することが決定している。
2015年以降、ホンダは、F1プロジェクト総責任者が技術開発とレース現場指揮監督の責任を担ってきたが、今後は開発とレース・テスト現場それぞれが、よりスピーディーに業務を遂行できる体制へと進化。現場の指揮に専念するテクニカル・ディレクターを新たに設置し、初代テクニカル・ディレクターには田辺豊治が就任する。
田辺豊治(57歳)は1984年に本田技研工業に入社。入社直後の1年間を除き、常にF1、CARTなどのレース現場の第一線で活躍している。
ホンダF1の第2期となる1990~92年にはマクラーレン・ホンダでゲルハルト・ベルガーの担当エンジニアに就任。1993年から2003年までインディカーのエンジン開発やレースエンジニアを務めた後、ホンダF1の第3期となる2003年からはB・A・Rホンダでジェンソン・バトンのチーフエンジニアに就任。2008年にはF1開発責任者を務めた。ホンダがF1から撤退して以降は本田技術研究所で量産エンジン開発を担当し、2013年からはHPD シニア・マネージャー 兼 レースチーム チーフエンジニアを務めていた。
なお、2016年からF1プロジェクト総責任者を務めていた長谷川祐介は、2018年1月1日付で本田技術研究所の主席研究員となる。
本田技研工業株式会社の執行役員 ブランド・コミュニケーション本部長を務める森山克英は「これまで、F1プロジェクト総責任者が担っていた技術開発とレース現場指揮監督の責任範囲を分離し、開発とレース・テスト現場それぞれが、よりスピーディーに業務を遂行できる体制へと進化させます」とコメント。
「開発現場とレース現場が各々の役割をしっかり果たすことで、トロ・ロッソホンダが上位争いをする姿を一日でも早くお見せできるよう挑戦を続けてまいります。引き続き皆さまの応援をよろしくお願いします」
カテゴリー: F1 / ホンダF1 / トロロッソ