元F1ドライバーのガイ・エドワーズが83歳で死去 ニキ・ラウダ救出の英雄

F1では計11戦のグランプリに出場しただけだったが、その勇敢な行動とモータースポーツ界への貢献によって、今なお高く評価される存在だった。
F1と耐久レースで活躍したキャリア
チェシャー州マックルズフィールド出身のエドワーズは、1974年から1976年にかけてヒル、ヘスケス、BRMからF1に参戦し、計11回のグランプリに出場した。
1974年にはヨーロッパF5000選手権でタイトルを獲得。また、世界耐久選手権、ヨーロッパF2選手権、英国ツーリングカー選手権など幅広いカテゴリーで活躍した。
さらに英国のオーロラF1選手権では1979年、フィッティパルディ製F1シャシーに唯一の勝利をもたらしている。
ル・マン24時間レースには1971年から1985年まで計10回出場。ジョン・フィッツパトリック・レーシングから参戦した最後の出場では総合4位を獲得し、これが自身の最高成績となった。
ラウダ救出で歴史に名を刻む
エドワーズの名を世界的に知らしめたのは、1976年ドイツGPのニュルブルクリンクで発生したニキ・ラウダの大事故だった。
高速走行中にクラッシュしたラウダのマシンは炎上。現場に最初に駆け付けたドライバーのひとりだったエドワーズは、アルトゥーロ・メルツァリオ、ブレット・ランガー、ハラルド・エルトルとともに燃え盛るマシンからラウダを救出した。
この勇敢な行動により、エドワーズには英国王室からクイーンズ・ギャラントリー・メダル(Queen's Gallantry Medal)が授与された。
危険と隣り合わせだった時代のF1を象徴する存在として、エドワーズは「最後のジェントルマンレーサー世代の一人」とも称されていた。

引退後はスポンサー獲得の第一人者に
現役引退後、エドワーズはモータースポーツ界でスポンサーシップ・コンサルタントとして成功を収めた。
優れたビジネス感覚を発揮し、多くのチームに重要な資金提供先を紹介。モータースポーツの商業化が進む中で大きな役割を果たし、多くの関係者から信頼を集めた。
その手腕はパドック内でも高く評価され、数多くのチームやドライバーを支える存在となった。
息子ショーンを失う悲劇も経験
晩年には大きな悲劇にも見舞われた。
息子のショーン・エドワーズはポルシェ・スーパーカップで活躍した実力派ドライバーだったが、2013年にオーストラリアのクイーンズランド・レースウェイで若手ドライバーを指導中のテスト事故で命を落とした。
それでもエドワーズはモータースポーツ界との関わりを続け、その人生をレースとともに歩み続けた。
勇気、先見性、そして情熱。ガイ・エドワーズが残した功績は、1976年のニュルブルクリンクでの英雄的な行動とともに、モータースポーツ史に永遠に刻まれることになる。
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