F1の“黄金世代”はどの年? 21世紀の歴代ルーキーイヤーを格付け

アントネッリはマイアミでスプリントポールを獲得し、その潜在能力を示し、ハースで走るベアマンも好印象を与え続けている。ハジャーやボルトレトにも注目すべき瞬間があり、ドゥーハンのルーキーシーズンは短命に終わったものの、その代わりに高く評価される“準ルーキー”フランコ・コラピントが起用されている。
このように、注目株が揃った2025年は、F1新世代の飛躍の年として語り継がれる可能性がある。
The Raceが21世紀の“ルーキーイヤー”をランキング化した。なお、対象とした「ルーキー年」の定義は、シーズン中に少なくとも3戦に出走し、前年以前の出走が3戦以下だった年とする。たとえばロバート・クビサは2006年を、セバスチャン・ベッテルは2007年をルーキー年と見なしている。また、このルールにより、リアム・ローソンは「ルーキーではない」と扱っている。
10位:2023年
■ フル参戦:オスカー・ピアストリ、ローガン・サージェント
■ 部分参戦:リアム・ローソン、ニック・デ・フリース

サージェントとデ・フリースは短命なキャリアに終わったものの、ピアストリとローソンは2023年の注目株だった。
マクラーレンのピアストリは、一部でルイス・ハミルトンのデビューイヤーにたとえられるほど印象的なルーキーシーズンを過ごした。ローソンはリカルドの負傷により5戦のみの出走だったが、見事にチャンスを掴み、昨年終盤の復帰へとつながった。
ピアストリは今や2勝を挙げ、タイトル争いの筆頭候補にもなっており、“クールかつ非情な一面”を併せ持つ存在として頭角を現している。
9位:2011年
■ フル参戦:ポール・ディ・レスタ、セルジオ・ペレス、パストール・マルドナード、ジェローム・ダンブロジオ
■ 部分参戦:ダニエル・リカルド

この年のルーキーからチャンピオンは生まれなかったが、3名のレースウィナーを輩出した点は評価に値する。
中でもパストール・マルドナードの2012年スペインGP勝利は“幻だったのでは”と思えるほどに伝説的な一発屋となった。ポール・ディ・レスタも、評価の分かれるドライバーではあるが、もう少しチャンスが与えられていてもおかしくなかった。
ちなみに現在もF1に“関与している”のは、フェラーリ副代表の座に就いたダンブロジオのみというのは何とも皮肉な話だ。
8位:2018年
■ フル参戦:シャルル・ルクレール、セルゲイ・シロトキン
■ 部分参戦:なし

F2王者としてサウバーからF1入りしたルクレールは、アゼルバイジャンGPで6位に入りブレイク。その後もポイント獲得を重ね、最終的に「雨のインテルラゴスQ3進出」という伝説的なラップも記録した。
ルクレールはその後、フェラーリのエース格に成長したが、チーム事情もあり継続的な成功には至っていない。2024年現在もタイトルへの扉は閉ざされておらず、“未完の大器”を抜け出す瞬間が待たれる。
7位:2002年
■ フル参戦:フェリペ・マッサ、佐藤琢磨、マーク・ウェバー、アラン・マクニッシュ
■ 部分参戦:なし

前年(2001年)のインパクトに比べるとやや見劣りする年だが、原石の輝きは随所に見られた。
マーク・ウェバーはデビュー戦の母国オーストラリアGPで、当時のミナルディに5位入賞という“奇跡”をもたらした。シーズン通してポイントはこれ1回だけだったが、将来性は十分に示した。
フェリペ・マッサは非常に荒削りなルーキーで、ミスも多かったがスピードは非凡だった。シーズン中に10グリッド降格のペナルティを回避するため、一時的にサブに下げられたほどだったが、2004年に復帰し、最終的にはフェラーリでミハエル・シューマッハの“弟子”に。
佐藤琢磨もまた“生の素材”だったが、鈴鹿での入賞(5位)は日本人ファンに強烈な印象を残した。アラン・マクニッシュはF1では正当に評価されなかったが、後のスポーツカーキャリアがその実力を証明している。
6位:2000年
■ フル参戦:ジェンソン・バトン、ニック・ハイドフェルド、ガストン・マッツァカーネ
■ 部分参戦:なし

19歳のジェンソン・バトンをBMWとの提携が始まったばかりのウィリアムズが抜擢したのは、当時としては思い切った決断だった。
デビュー戦の開幕戦オーストラリアGPでは21番グリッドからポイント目前まで迫ったが、惜しくもエンジントラブル。それでもすぐに6位入賞を果たし、スパでの3番グリッド、鈴鹿での5位予選など、随所に光る才能を見せた。
一方、より“本命”と見られていたのはF3000を席巻していたニック・ハイドフェルド。しかしプロストのマシンが酷すぎて、その潜在能力を引き出せなかった。最終的には13回の表彰台を経験するものの、期待されたタイトルには届かなかった。
ミナルディのガストン・マッツァカーネは期待通り……というべきか、特に印象を残さずF1を去っている。
5位:2006年
■ フル参戦:ニコ・ロズベルグ、スコット・スピード
■ 部分参戦:ロバート・クビサ、井出有治、山本左近、フランク・モンタニー

この年のルーキーでワールドチャンピオンになったのは1人だけだが、最も才能に満ちていたのは別の男だったかもしれない。
ニコ・ロズベルグはバーレーンでのデビュー戦で、1周目に最後尾に落ちながらも7位フィニッシュし、ファステストラップも記録。その後のキャリアはメルセデス移籍により開花し、2016年にはワールドチャンピオンとなった。
だが、真に才能を感じさせたのはロバート・クビサ。フリー走行での速さを買われ、BMWザウバーが当時の王者ジャック・ヴィルヌーヴをシーズン途中で降ろしてまで起用。その判断は正解だった。3戦目で早くも表彰台を獲得し、将来のチャンピオン候補と見なされていたが、不運なラリー事故により道は閉ざされてしまった。
スコット・スピードは“レッドブルのアメリカ人計画”の失敗例となり、スーパーアグリ勢のモンタニーや山本はF1という舞台では厳しかった。
4位:2015年
■ フル参戦:マックス・フェルスタッペン、フェリペ・ナッセ、カルロス・サインツ、ウィル・スティーブンス
■ 部分参戦:ロベルト・メリ、アレクサンダー・ロッシ

この年は何と言ってもフェルスタッペンとサインツという主役2人が全てを持っていった。
ナッセも注目株だったが、マーカス・エリクソンを相手に決定的な差をつけられず、F1での評価は伸び悩んだ。だが、その後IMSAでトップドライバーとなり才能を開花。
ロッシは短期間ながら好印象を残し、その後インディ500初参戦初優勝という快挙でアメリカのレース界のスターに。
マノーのスティーブンスとメリは、F1での足跡は薄く、1年限りで終了。スティーブンスはその後スポーツカーで成功を収めた。
3位:2019年
■ フル参戦:アレックス・アルボン、ランド・ノリス、アントニオ・ジョビナッツィ、ジョージ・ラッセル
■ 部分参戦:なし

この年は、近年まれに見る「豊作年」だった。
ノリスはデビュー直後からマクラーレンの再建の一翼を担い、現在は2度目の現実的なタイトル争いの最中。ラッセルはウィリアムズで苦しいマシンながらもチームをけん引し、ついにハミルトンを下してメルセデスの“顔”に。
アルボンも序盤は好印象で、トロロッソからレッドブルへわずか半年で昇格。当時の評価は極めて高かった。現在はウィリアムズで再評価の声も。
ジョビナッツィはF2やデビュー戦では輝いたが、F1でその才能を継続的に証明するには至らなかった。
2位:2001年
■ フル参戦:フアン・パブロ・モントーヤ、キミ・ライコネン、エンリケ・ベルノルディ、フェルナンド・アロンソ
■ 部分参戦:ルチアーノ・ブルティ、トーマス・エンゲ、アレックス・ユーン

モントーヤとライコネンが大きな注目を集めたシーズン。モントーヤはシューマッハに真正面から挑み、イタリアGPでは初勝利。ライコネンは、ほぼ経験ゼロでのF1参戦ながらサウバーで華々しいデビューを飾った。
しかし、真の“天才”は下位チームミナルディにいた。フェルナンド・アロンソは最下位常連チームに乗りながら、非凡な走りを連発。結果こそ出なかったが、その才能は明らかで、後に2度の世界王者に。
ベルノルディ、ブルティ、エンゲらはF1では大成できなかったが、ドライバーとしての実力は十分あった。
1位:2007年
■ フル参戦:ルイス・ハミルトン、ヘイキ・コバライネン、エイドリアン・スーティル、アンソニー・デビッドソン
■ 部分参戦:セバスチャン・ベッテル

ドライバーズタイトル11回分を抱えるこの年が1位に輝くのは当然だろう。
ルイス・ハミルトンはF1史上最も衝撃的なデビューイヤーを過ごした。9戦連続表彰台、チャンピオン争い、チーム内抗争、そして伝説的な中国・ブラジルの“惜敗”――1年目から歴史に残る存在だった。
ベッテルはハミルトンに次ぐインパクトで、トロロッソでの4位入賞(上海)は鮮烈だった。
コバライネンは本来なら賞賛されるべき内容で、フィジケラを打ち負かしマクラーレン昇格。スーティルも当時は“将来のレースウィナー候補”と評されていた。
アンソニー・デビッドソンは、スーパーアグリでの1年だけでは評価されるにはあまりにも材料が足りなかった。
カテゴリー: F1 / F1ドライバー