F1で2勝を挙げたパトリック・タンベイが73歳で死去
元F1ドライバーのパトリック・タンベイが73歳で亡くなったことを彼の家族が日曜日に発表した。

パーキンソン病に苦しんでいたフランス人のパトリック・タンベイは、ほぼ10年間続いたF1キャリアの中で2つのグランプリを勝利を挙げた。

ヨーロッパF2で印象的なパフォーマンスを見せた後、パトリック・タンベイはF1にステップアップし、1977年フランスGPでサーティースの1回限りの出場を果たしたが、予選を通過することはできなかった。

同じ年にエンサインに移籍したパトリック・タンベイは、シーズンが終わる前に3ポイントを獲得。翌年のマクラーレンのシートを獲得するのに十分な活躍だった。だが、その時代のマクラーレンは低迷期を迎えており、1978年は5回のポイントフィニッシュで8ポイントを獲得したものの、1979年はノーポイントに終わる。

1980年にはF1を離れてCan-Amシリーズに参戦し、2度目のチャンピオンシップを獲得した。

1981年にセオドールと共にF1に復帰し、1982年にF1ベルギーGPで亡くなった友人のジル・ヴィルヌーヴの後任としてフェラーリにドラフトされた。

ホッケンハイムで開催されたF1ドイツGPで初勝利を収め、ブランズハッチで3位、フェラーリの本拠地であるモンツァで感動的な2位を獲得した。翌年、イモラで開催されたサンマリノGPで優勝し、再びティフォシを喜ばせた。

日曜日、スクーデリア・フェラーリは元ドライバーに敬意を表し、彼を「80年代の真のスターの1人」と呼んだ。

フェラーリを去った後、ルノーとチーム・ハースで1986年までF1に参戦した後にグランプリレースから完全に撤退し、その後、1989年にル・マン24時間レースで4位フィニッシュ。ダカール・ラリーでは三菱自動車チームなどから参戦し、2回のトップ3フィニッシュを果たしている。

レースを引退した後は、フランスのテレビのコメンテーターとして働き、南フランスのルカンネの副市長も務めた。

また、パトリック・タンベイは、1997年のF1ワールドチャンピオンであるジャック・ヴィルヌーヴのゴッドファーザーでもあった。

パトリック・タンベイ F1

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カテゴリー: F1 / F1ドライバー