キャデラックF1参戦 ボッタス&ペレス起用は正しい選択か?
キャデラックが2026年のF1参戦に向け、バルテリ・ボッタスとセルジオ・ペレスを起用する見通しだ。経験豊富な2人を選んだこの決断は、果たして最適解なのか。

The Raceのコラムニスト陣が、それぞれの視点からこの人選を検証する。

どれだけ遅れているかを知ることが重要
スコット・ミッチェル=マルム

キャデラックが初年度にどれほど苦戦するかを過小評価してはいけない。このプロジェクトは、どれだけ改善できるか、そしてどれだけ早く改善できるかがすべてだが、短期的には非常に厳しいものになる可能性がある。

この現実を踏まえると、キャデラックが若手ドライバーを起用しても失うものはない、という考え方もできる。アレックス・ダン、ポール・アーロン、ジャック・クロフォードのような選手、あるいはフェリペ・ドルゴヴィッチやジャック・ドゥーハンのような「ハイブリッド型」の選手でもいい。「彼らはチームとともに成長し、貴重な経験を積むことができる」と主張する人もいるだろうし、「もし予選で107%ルールにかかるリスクが現実にあるなら、キャデラックには速さを持つ若手の1〜2コンマのアドバンテージが必要なのではないか?」とも言えるだろう。

これらの議論には妥当性がある。だが同時に、誤った優先順位をつけてキャデラックの長期的な成長を損なうリスクもある。事実、正しい若手ドライバーであれば、ボッタスやペレスよりもすぐに速くなる可能性はある。だが、彼ら二人が実際にどれほど優秀かを軽視するのは愚かだ。彼らのキャリアを阻んだのは非常に高いレベルの相手だったのだから。

ボッタスとペレスであれば、キャデラックの初年度や2年目であっても、ほぼ最大限の力を引き出すことは十分可能だ。その時点でキャデラック(と我々)は、どれだけ遅れているかを把握できる。彼らは補完的なスキルを持ち、予選での一発の速さやレースでのタイヤの扱いなど、シーズンを通じてマシンの実力を明らかにし、チームのプロセス、システム、シミュレーター作業、その他すべてのパフォーマンス要素にフィードバックを与えることができる。ルーキーは未知数であり、キャデラックが不要な余計な変数を抱えることになる。

結局のところ、キャデラックは当面の間、細かい差を争う立場にはない。もし3年目になってもボッタス=ペレス体制に固執しているようなら残念だが、それまではできるだけ早く大きな進歩を遂げる必要がある。今のキャデラックには、新人をF1の非常に困難な環境に適応させることよりも、あらゆる助けが必要なのだ。

キャデラックは若手スターを見つける必要がある
ゲイリー・アンダーソン

新チームがF1に参戦するにあたり、経験豊富なドライバーの存在は非常に重要だ。これは主にサーキットテストの制限と、新チームには過去のマシンが存在しないためオペレーションを最適化できないことによる。すべてをプレシーズンテストでこなさなければならないが、その時間はあっという間に消えてしまう。そして気づけば開幕戦を迎えることになる。

もっとも、必要なシミュレーション設備を備えていれば多少は楽になる。だからこそ、私は経験豊富なドライバー1人と、将来有望な若手1人という組み合わせが正しいと思う。

キャデラックは、チームが軌道に乗ったときに結果を残せるドライバーを1〜2年かけて育てる必要がある。最初の2シーズンで奇跡的に数ポイントを獲得できれば御の字だ。

しかしキャデラックが本気で勝負に出られる頃には、ボッタスとペレスは賞味期限切れになっている可能性が高い。その段階で新たな才能を探し始めたのでは遅すぎて、いつまでも追いかける立場になってしまう。

1991年にジョーダンがF1に参戦したとき、アンドレア・デ・チェザリスとベルトラン・ガショーというドライバーを起用したことで、プレ予選を戦う上で少し楽になった。当時は予算さえあればテストを重ねて立ち上がることもできた。

だがミハエル・シューマッハがスパで加入したとき、その才能がどれほどのものかを証明した。彼が1戦だけでも加わったことで、アンドレアに刺激を与え、与えられたマシンでベストを尽くすことがどれほど重要かを示してくれた。

キャデラックにとって正しい選択
ベン・アンダーソン

これはキャデラックの立場を考えれば、まさに正しい選択だ。

チームは初年度に最下位で終えることを予想している。なぜなら、他の10チーム(ハースを除けばいずれも数十年かけて)築き上げてきたインフラやF1の細部に関する基本的な理解に追いつくためには、膨大な学習が必要だからだ。

さらに、複数の拠点を持ち、月面探査に向けた作業手法や組織構造を応用しているという複雑さも加わる。

キャデラック自身も、競争力を得るまでに大きな苦難を伴うことを理解している。それは、有望なルーキー(あるいは若いアメリカ人ドライバー)を潰しかねないほどの厳しさだ。

経験豊富なボッタスやペレスといったベテランの手腕は、キャデラックが初期の限界を理解し、技術的に発展する助けとなるだろう。また、直近でシートを失った彼らにとっても、再びF1で自らを証明する機会になる。特にペレスのレッドブル時代のパフォーマンスは、振り返ってみればより高く評価できる。

私たちは皆、フレッシュな新人がF1に参入する姿を見たいと思う。特に2025年のルーキーたちが素晴らしい活躍を見せている今はそうだ。だが、キャデラックはその舞台ではなく、タイミングも違う。

数年後、キャデラックがより成熟した時点で、新たな「速さの物差し」となる人材を求めるとき、ボッタスとペレスは1つのシートを争うかもしれない。だが当面の間、彼らは極めて困難な状況に挑む新チームにとって最善のラインアップだ。

キャデラック F1 バルテリ・ボッタス

本当に安全な選択か?
マット・ビア

多くの人は、キャデラックがチームをゼロから構築する中で「経験豊富な2人の安全な選択肢」を揃えたと受け止めるだろう。

だが、彼らが「既知の量」だと言えるのは、本当に2人がモチベーションを維持し、21位争いを続けながら互いに戦えるのか、そしてブランクを経てもなおベストな状態を保てるのかが確信できる場合に限られる。

だから私は、キャデラックが1人のベテランと、より若く速さを秘めたドライバーを組ませなかったのは少し意外だ。

キャデラックのような立場のチームに「絶対に間違いない」選択肢は存在しない。だが、同じようなタイプの2人を選んだ以上、どちらもすでにピークを過ぎていないと断言できる保証はない。

創造的なドライバー選択をする時ではない
エド・ストロー

もし他のチームであれば、ボッタスとペレスを同時に起用するのは誤りだろう。2人のうち1人を選び、その経験と未完の仕事に挑む意欲を活用するのは合理的だ。しかしもう1人は、長期的にチームをリードできる若手を起用すべきだ。

だがキャデラックは他のチームとは違う。彼らが直面する挑戦は、過去の新規参戦チームよりも遥かに巨大だ。ゼロからすべてを構築しているため、経験豊富で実力が証明されているドライバーが必要となる。彼らはチームの進化に関与し、初戦のオーストラリアGP後も長く続く「チームの成熟過程」に溶け込む役割を果たさなければならない。

今日のF1チームの複雑さは過小評価できない。しかもキャデラックは大西洋をまたぐ拠点を持ち、野心的な体制を構築している。すでに大きな進歩を遂げているが、まだ途方もない距離が残されている。このチームは初戦を迎えた後も、長らく完成には至らないだろう。

若手を育成する余裕も、旧型車テストで準備させる時間も、既存の構造も存在しない。キャデラックではドライバー自身がチームを形作る一部となり、パフォーマンスだけでなく問題解決や作業手法の確立にも関与する必要がある。

シルバーストンの施設を訪れ、目覚ましい進展と、まだ膨大に残された課題を目の当たりにすると、このようなスキルを持つドライバーが不可欠であることは明らかだ。

将来的にキャデラックが確立され、競争力を持ったとき、より創造的なドライバー起用が可能になるだろう。だが今は、ボッタスとペレス以上に適した人材はいない。

現代F1にはリスクテイクが欠けている
サム・スミス

キャデラックがボッタスとペレスを選んだのは、実利的で、エンジニアリング主導の判断であると同時に、野心も独自性も欠けた退屈なものだ。新チームがかつて示した大胆さやリスクテイクはどこへ行ってしまったのだろうか?

もっとも、新チームにとってこれはある意味当然とも言える。ハース(グロージャン/グティエレス)や、さらに遡ればジョーダン(デ・チェザリス/ガショー)が示すように、新規参戦チームはある程度保守的になるのが普通だ。1993年のザウバーにおけるJJ・レートとカール・ヴェンドリンガーの起用は、当時こそ新鮮に映ったが、今となっては記憶の彼方だ。

F1参入に莫大な投資が必要となった現代では、リスクテイクは明らかに排除されている。それは残念なことだ。

今回の起用は刺激のない組み合わせだ。ただしペレスに関しては、リアム・ローソンや角田裕毅と比較すれば、その評価はむしろ見直される余地があるかもしれない。

昨秋、私はキャデラックが全力でアレックス・パロウを獲得すべきだと提案した。その考えは今も変わらない。彼は今、世界で最も安定して勝利を重ねているドライバーであり、キャリアのピークに差しかかっている。

もう一つの提案は、当時は突飛に思われたかもしれない。アレックス・リンだ。今でも突飛に聞こえるかもしれない。だからこそ、私はその考えをさらに強調したい。

必ずしもリン本人でなくてもいい。2023年のアブダビでFP出走を果たしたジェイク・デニスのような存在もあり得る。彼は優れたシミュレーター/開発ドライバーであり、今では成熟したプロフェッショナルだ。

これらの提案が実現する可能性は低い。だが、考えてみてほしい。今F1で名を馳せているドライバーたちは、皆どこかでチームがリスクを取ったからこそ、現在の地位を築いたのだ。この特質が、今のF1には悲しいほど欠けていると私は思う。

キャデラック F1 セルジオ・ペレス

キャデラックの役割は「刺激的な布陣」を選ぶことではない
グレン・フリーマン

これはキャデラックにとって非常に賢明な動きだろう。ボッタスとペレスは、新規参戦チームが求める典型的な経歴を持っている。すなわち、レース勝利経験があり、トップチームでの経験も直近まで積んでいるドライバーだ。

新しい顔ぶれを見たいファンにとっては物足りないかもしれない。だがキャデラックの仕事はそこではない。このチームは「尊敬される存在」になるための競争をしているのであり、その目標に最も近づけるのは、経験豊富なプロを獲得することだ。

重要なのは彼らがコース上で何をもたらすかだけではなく、コース外でどう貢献できるかという点だ。2025年中にチームの一員として活動できる時間が長いほど、差がつく。若手ドライバーではその価値を提供できない。

ザウバーがニコ・ヒュルケンベルグとガブリエル・ボルトレトを組ませた例は確かにある。だがザウバー(アウディへの再編を控えている)は、すでに確立された体制を持っており、ボルトレトを時間をかけて育成する余裕があった。ゼロからスタートするキャデラックでは、それは不可能だ。

ボッタスとペレスは、このチームが必要とする条件を数多く満たしている。

必然的に物足りない
ジャック・ベニョン

私は、これはキャデラックにとって唯一現実的な選択肢だったと理解している。だが、それでもどうしても物足りなさを感じてしまう。

2017年のボッタス以降、ここ数年で彼らが乗ってきたのは「最高のマシン」ばかりだった。その中で彼らは「ただ走るだけ」にとどまることもあれば、「開発の要」となることもあった。

だからこそ、キャデラックにとって彼らの経験は貴重な指標となる。しかし一方で、彼ら自身も「F1でまだ速さを証明する必要がある」立場にある。直近のキャリアの終わり方を見る限り、彼らが復帰の最適解なのかは疑問が残る。

過去数年で「タイトルは獲得できなかったF2出身者」がF1で成功している例は多い。ドルゴヴィッチのような存在なら、経験と若さを兼ね備え、未知の可能性という魅力もあっただろう。

今回のラインアップには「未来のチャンピオン候補かもしれない」という夢も、「圧倒的な速さ」という希望も欠けている。ベテラン1人と新人1人の組み合わせの方が妥協案としては良かった。

とはいえ、今のルーキー市場には「明白な大物候補」が見当たらない。だからこそ、過去に困難を経験したことのあるベテラン2人を選ぶのは妥当とも言える。

正直言えば、この布陣は退屈だ。だが初期のキャデラックの実力に対しては、むしろ過剰とも言えるほどに優れたペアだ。

一つだけ楽しみな要素がある
ヴァル・コルンジー

私にとって理想的なF1グリッドを構成するドライバーは、大きく分けて3種類だ。優勝やタイトルを争う者、そこに到達しようとする者、そしてF1に新たに参入し定着を目指す者。

当然ながらキャデラックはそんなことを気にする必要はない。だが外部から見れば、ボッタスとペレスはそのどれにも当てはまらない。彼らはすでに「キャリアの本は書き終えられた」ドライバーだ。

…そう書こうと思ったのだが、よく考えてみると、やはり2人が互いにどちらが優れているかを競い合うのは興味深い。もしどちらかが明確に上回れば、それには意味があるからだ。

ボッタスはザウバーにいたとき特に面白い存在ではなかったが、十分に仕事を果たしていた。チームに放出されたのは不当とも言えるだろう。ペレスもまた、レッドブルでの厳しい数年間が、ローソンや角田裕毅の苦戦によって再評価されつつある。

つまり、彼らはただ「余生を過ごす」のではなく、互いを打ち負かすことで新しい結末を書ける可能性がある。勝利はなく、表彰台もおそらくない。だが、彼らには証明すべきものがあるのだ。そしてそれを証明できるのは互いに対してしかない。

ダンやドルゴヴィッチをグリッドに乗せることほどワクワクはしないかもしれない。だが、それでも楽しみではある。

現実主義が勝利した
ジョン・ノーブル

ペレス=ボッタスというラインアップは、「新チームが参入するなら若手にチャンスを」という夢想的な考えにはそぐわない。だが、極めて正しい選択だ。

アメリカ資本の新チームは、完全な白紙から参戦体制を組み立てることができた。方向性はいくらでもあっただろう。

序盤の苦戦を承知で「ドライバーの質は二の次」とし、予算を持ち込める者を優先する道もあった。あるいは思い切って新人を抜擢する道もあった。

しかし現実主義が勝った。キャデラックは「最も賢明な選択」をしたのだ。つまり、2人の経験豊富なドライバーを確保し、チームが尊敬に値する存在になるための基盤を築こうとしている。

彼らは「安全な手」であり、勝てるマシンやチームがどのようなものかを知っている。第二のキャリアのチャンスを得て意欲もある。そして互いに足を引っ張るようなタイプではない。

むしろチームのために全力を尽くすことで、より良い結果を手にできると理解しているはずだ。

さらにキャデラックは、ルーキーを一から教育する時間やリソースを浪費しなくて済む。F1で求められることを説明する必要もない。むしろ情報の流れは逆で、彼らからチームへと大量にフィードバックが注ぎ込まれることになる。

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カテゴリー: F1 / キャデラックF1チーム / セルジオ・ペレス / バルテリ・ボッタス