アイルトン・セナがW杯観戦を優先した日 メディア対応を断って祖国ブラジルを応援

当時のF1界を代表する予選のスペシャリストだったセナの行動は物議を醸したが、翌日の決勝で優勝を飾り、後にF1史に残る「ブラジル国旗を掲げる伝統」の始まりにもつながった。
セナがメディア対応よりも優先したものとは
1986年6月21日、デトロイト市街地サーキットでF1第6戦デトロイトGPの予選が行われた。
当時の予選は金曜日と土曜日にそれぞれ1時間ずつのセッションが設けられ、両日の最速タイムによってグリッドが決定されていた。
セナはロータス98Tを駆り、前日にナイジェル・マンセルが記録したコースレコードを更新。1分38秒301をマークしてポールポジションを獲得した。
■ 1986年デトロイトGP予選トップ3
1位 アイルトン・セナ(ロータス)1分38秒301
2位 ナイジェル・マンセル(ウィリアムズ)1分38秒839
3位 ネルソン・ピケ(ウィリアムズ)1分39秒076
当時のセナはF1参戦3年目。すでに11回目のポールポジションを獲得していたが、優勝はまだ3回しか経験していなかった。
しかし予選終了後、セナは通常の取材対応を行わず、そのままホテルへ直行する。
目的は、メキシコW杯準々決勝「ブラジル対フランス」を観戦することだった。
200人の記者に残された“カセットテープ会見”
突然姿を消したセナに対し、現場の報道陣は困惑した。
そこでセナは自身のコメントを録音したカセットテープを残し、チーム広報担当者がホテルのスピーカーを通じて約200人の記者へ流したという。
後にジャーナリストのナイジェル・ローバックは、この録音について「ありきたりな内容ばかりのメッセージだった」と振り返っている。
録音の内容は、
「ポールポジションを獲得できてうれしい。マンセルも素晴らしい走りをした。チームも満足している。決勝は暑さやブレーキへの負担など厳しいレースになるだろう」
という、ごく一般的なコメントだった。
セナとしてはメディア対応を最小限にしながら、どうしてもブラジル代表の試合を見逃したくなかったのである。
ブラジル敗退 そして翌日に訪れた歓喜
しかしセナが応援したブラジル代表は期待に応えられなかった。
試合はアントニオ・カレッカの得点でブラジルが先制したものの、ミシェル・プラティニが同点弾を決めて1-1で延長戦へ突入。最終的にはPK戦となり、ルイス・フェルナンデスが決勝キックを成功させてフランスが4-3で勝利した。
ブラジルは準々決勝で姿を消し、セナにとっては悔しい夜となった。
だが翌日、セナは自ら祖国に歓喜をもたらす。
ブラジル国旗パフォーマンス誕生の瞬間
6月22日のデトロイトGP決勝でセナは見事に優勝。これが自身4勝目となった。
■ 1986年デトロイトGP決勝トップ3
1位 アイルトン・セナ(ロータス)
2位 ジャック・ラフィット(リジェ)+31.017秒
3位 アラン・プロスト(マクラーレン)+31.824秒
このレースでは、セナがブラジル国旗を掲げながらウイニングランを行ったことで知られている。
後にF1の象徴的なシーンとなるこのパフォーマンスは、ブラジル代表敗退の翌日に祖国へ勝利を届けたいという思いから生まれたとも言われている。
もしブラジルがフランスに勝利していたなら、あるいはセナがあれほど熱心に試合を見ようとしていなかったなら、F1史に残るあの有名な光景は誕生していなかったのかもしれない。
なぜこのエピソードが今も語り継がれるのか
この出来事は、セナが単なるF1ドライバーではなく、強い愛国心を持ったスポーツマンだったことを象徴している。
セナは生涯を通じてサッカーを愛し、ブラジル代表だけでなくコリンチャンスの熱心なサポーターとしても知られていた。
その情熱はF1マシンのコックピットを降りても変わることはなく、1986年のデトロイトで見せた行動は、セナという人物の人間味あふれる一面を今に伝えている。
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