2015年12月のF1情報を一覧表示します。
ザウバー、BMWザウバーのチーム名称を継続か
2010年1月4日

BMWのF1撤退とカドバックとの買収失敗により、チームはザウバーの設立者であるペーター・ザウバーに買い戻された。
しかし、ペーター・ザウバーはチームの新名称の決定が「最も小さな問題のひとつ」であるとスイスの週刊誌NZZ am Sonntagにコメントした。
ペドロ・デ・ラ・ロサ、ザウバーのシートを獲得か
2010年1月4日

同紙は、ヒンウィルに大地震でも起きない限り、まもなくザウバーがペドロ・デ・ラ・ロサの起用を発表すると主張。
スペインのEl Mund紙は、マクラーレンがデ・ラ・ロサに対して2009年末まで2010年のF1における役割を決断するよう通知したと報じていた。
ゲルハルト・ベルガー 「トロ・ロッソには優れたセカンドドライバーが必要」
2010年1月4日

トロ・ロッソは、2010年のドライバーとしてセバスチャン・ブエミの起用を発表しているが、ハイメ・アルグエルスアリの契約延長に関しての正式発表はなされていない。
ゲルハルト・ベルガーは、セバスチャン・ブエミのチームメイト選定が今年のトロ・ロッソにとって重要になると語る。
アンソニー・デビッドソン、資金難でF1復帰を断念
2010年1月3日

ホンダで長年テストドライバーを務め、2007年にスーパーアグリのレースシートを手に入れたアンソニー・デビッドソン。しかし、スーパーアグリは2008年シーズン序盤に財政難によりF1を撤退。佐藤琢磨とともにF1シートを失った。
ミハエル・シューマッハ、41歳の誕生日を迎える
2010年1月3日

ミハエル・シューマッハは、1969年1月3日にドイツのフルト・ヘルムールハイムで生まれる。4歳からカートを始め、88年からF3に参戦し、90年にドイツF3チャンピオンを獲得。マカオGPではミカ・ハッキネンを下し優勝。
1991年のベルギーGPでメルセデスの支援によりジョーダンからスポット参戦しF1デビュー。次戦からベネトンのレギュラーシートを獲得し、翌年のベルギーGPでF1初優勝を果たす。
ニコ・ロズベルグ、シューマッハのドライビング戦術を批判
2010年1月2日

ロズベルグは、ミハエル・シューマッハが“勝つためならどんな犠牲をも払う”という疑わしいドライビング戦術を正当化したと語る。
「それを始めたのはミハエル・シューマッハだ。スパで、ミカ・ハッキネンが彼をオーバーテイクしようとしたとき、彼はハッキネンをコース脇に追いやった」
ジェンソン・バトン、マクラーレンに正式加入
2010年1月2日

チャンピオンを獲得したブラウンGPからマクラーレンへの移籍を決断したジェンソン・バトンだが、ブラウンGPとの契約条項により、2009年はマクラーレンで作業することが許されていなかった。
マクラーレンのチームウェア姿を初披露したジェンソン・バトンは、公式ページで2010年への抱負を語った。
ルーベンス・バリチェロ、ウィリアムズのスーツ姿を初披露
2010年1月2日

大復活を遂げたブラウンGPを離れ、名門ウィリアムズへの移籍を決断したルーベンス・バリチェロ。2010年はウィリアムズでカーナンバー9をつけ、ルーキーのニコ・ヒュルケンベルグとチームを組む。
すでに最終戦アブダビGP直後にウィリアムズを訪れてオリエンテーションを開始していたバリチェロ。
ルノー、2011年までにトップ復帰を目指す
2010年1月2日

F1撤退が囁かれたルノーだが、12月中旬にチーム株式の大部分をジェニー・キャピタルへ売却することに合意したことで、チームの将来は確保された。
2009年のルノーは、チーム代表のフラビオ・ブリアトーレと技術代表のパット・シモンズが辞任に追いやられたクラッシュゲート騒動を含め厳しいシーズンを送ることとなったが、ボル・ベルはチームが現在グリッドの上位に返り咲くために複数年にわたる戦略構築に集中していると語る。