角田裕毅の分岐点 レッドブルF1昇格が運命を変えた瞬間

レッドブルのジュニアドライバーがトップチームに昇格するとき、そこにはひとつの共通したパターンがある。彼らは「他の誰も成し遂げられなかったことを自分ならできる」と自信を見せ、そして“毒杯”を飲むことになる。
2025年のラインアップを選ぶ際、レッドブルは角田裕毅ではなくリアム・ローソンを起用した。過去2シーズンにわたりレーシングブルズで5戦・6戦ずつ出場した際の印象的なパフォーマンスから、ニュージーランド出身のルーキーであるローソンの方が高いポテンシャルを持つと判断されたためだ。
しかし、そのローソンはレッドブルでの最初の2戦で3度のQ1敗退を喫する。オーストラリアでは18番手、中国ではスプリント予選と決勝予選の両方で20番手に沈み、ポイント獲得にも至らなかった。チームは早々に見切りをつけ、中国GPスプリントで姉妹チームから6位に入った角田裕毅にチャンスを与える決断を下した。
「レッドブルのマシンはフロントのグリップが強いと言われることが多いです。僕自身、鋭く曲がるクルマが好きで、これまでもそういうセットアップに自分のドライビングを合わせてきました」と角田裕毅はこの挑戦について語った。
「レーシングブルズはどちらかというとアンダーステア傾向のマシンで、最初は苦労しましたが、慣れてしまえばそれが普通になりました。今回は再びレッドブルの特性に合わせる必要がありますが、過去の経験を考えれば、あまり心配はしていません」

だが、シーズン途中で新しいマシンに乗り換えるという状況を考えれば、もっと慎重になるべきだったのかもしれない。角田裕毅はマックス・フェルスタッペンにまったく太刀打ちできず、ドライコンディションでの予選平均タイム差は約0.6秒に達していた。
ドライバーズタイトル争いに絡むほどの競争力を持つマシンに乗りながら、日本人ドライバーは何度もQ1敗退を喫した。レッドブルでの27回の予選セッションのうち、実に10回がQ1敗退、さらに9回がQ2敗退だった。
当然ながら、それは決勝での戦いを厳しいものにした。角田裕毅が22戦で獲得したポイントはわずか30。一方、フェルスタッペンは同じ期間で385ポイントを積み上げている。
2025年に走った1,386周のうち、角田裕毅がトップ8圏内で過ごした周回は230周しかなかったという事実は、状況を如実に物語っている。
バクーでの6位、オースティンでの7位といった好成績もあったが、それらの“山”はレッドブルに「このドライバーこそが正解だ」と思わせるほど高くはなかった。一方で、“谷”は深かった。たとえばレッドブル・リンクでのレースでは、アルピーヌのフランコ・コラピントとの接触後、2周遅れでフィニッシュするという惨憺たる結果に終わっている。
さらに状況を悪化させたのは、25歳の角田裕毅自身が、なぜこれほどペースが出ないのかを説明できなかったことだ。メディア対応では「奇妙だ」「不思議だ」といった言葉やその類語が、憂慮すべき頻度で繰り返された。
そして、レッドブルは“レッドブルらしい”決断を下す。角田裕毅は2026年に向けてリザーブドライバーへ降格され、代わってアイザック・ハジャーが昇格することになった。
角田裕毅は「これは終わりではない」と語り、再びグリッドに立つ資格があることを証明すると誓っている。しかし現時点では、その将来が彼自身の手の中にあるとは言い切れない。
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