角田裕毅で5人目…フェルスタッペン体制レッドブルF1“ナンバー2”崩壊史
角田裕毅は2025年シーズン、マックス・フェルスタッペンのチームメイトという最も過酷な座に挑み、そしてその重圧に押しつぶされる形でシートを失った。日本人ドライバーとして初めてレッドブルのトップチームに昇格した角田でさえ、わずか1年足らずで“交代”を告げられる結末は、レッドブルにおけるナンバー2の難しさを端的に示している。

しかし、角田裕毅は“特別な失敗例”ではない。レッドブルではここ8年、フェルスタッペンの隣に座った5人のドライバー――ダニエル・リカルド、ピエール・ガスリー、アレクサンダー・アルボン、セルジオ・ペレス、リアム・ローソン――が同じ道を辿り、キャリアの岐路へと追い込まれてきた。

なぜレッドブルは才能あるドライバーたちを次々にすり減らしてしまうのか。その答えは、フェルスタッペン時代の内部に積み重なった“構造的な問題”にある。

ドライバー育成で名高いチームがなぜスターたちを磨り潰し続けるのか?その答えになり得るのが、元チーム代表クリスチャン・ホーナーの言葉だ。

「マックスは世界で最も手強いチームメイトだ」

4度のワールドチャンピオンであるフェルスタッペンがレッドブルのカラーをまとう8年以上、そのことは嫌というほど明らかになってきた。それは、フェルスタッペンのチームメイトという“毒杯”がいかなるものかを示す、このタイムラインが如実に語っている。

■ ダニエル・リカルド(2016〜2018)

予選対決成績 vs フェルスタッペン:24−34
決勝対決成績 vs フェルスタッペン:21−35


2016年5月15日:
2016年のシーズン序盤、リカルドは間違いなくレッドブルの“トップドッグ”だった。しかしこのスペインでの晴れた日曜日、破壊的なマックス・フェルスタッペン時代が幕を開ける。まだ17歳、ジュニアチームからダニール・クビアトの代役として急遽昇格したばかりのフェルスタッペンが、スペインGPで壮観な勝利を挙げたのだ。

2年前、チームメイトで4度の世界王者セバスチャン・ベッテルを打ち破ったことで評価が確立していたリカルドは、当初は脅威を感じてはいなかった。だがフェルスタッペンが成し遂げた偉業の大きさは、レッドブルが突然“2人の本物のナンバー1ドライバー”を抱えたことを意味していた。こうした状況でチーム内政治が無傷で済むことは滅多にない。

2017年7月30日:
2017年のハンガリーGPまでに、リカルドとフェルスタッペンはすでに何度かコース上で激しいバトルを見せていた。それは激しくも敬意を失わない戦いだったが、ブダペストでは初めて“不満が溜まり始めている”ことがはっきりと表れた。

「今の、誰だと思う?」

フェルスタッペンとの接触でレース序盤にリタイアしたリカルドは無線でそう言った。次の周、ストップしたリカルドのマシンの横をフィールドが通過すると、彼はフェルスタッペンに中指を突き立てた。リカルドはすでに、チーム内に自分と同等の実力者がいることを理解しており、もはや“遠慮”はなかった。

2017年10月20日:
リカルドは2018年末で契約が切れ、他チームから注目を集め、選手権でもフェルスタッペンを上回っていた。だがレッドブルは2017年アメリカGP前にフェルスタッペンとの新契約を発表した。さらにその契約は、リカルドより高額だった。

メルセデスがフェルスタッペン獲得に動いていた状況を考えれば、レッドブルが彼を引き留めたいのは当然だ。しかしリカルドが「チームがフェルスタッペン中心に動いている」と感じても不思議ではなかった。

2018年4月29日:
アゼルバイジャンGPでは、ついにリカルドとフェルスタッペンのライバル関係が大クラッシュを引き起こした。レッドブルが勝利を狙えるレースを2人で台無しにした形だ。
そしてパドックの総意は、フェルスタッペンが悪い、というものだった。だがレッドブルが外に対しても内に対しても発したメッセージは“そうではなかった”。

「五分五分の責任だと言われたが、実際には自分はあまり悪くなかった。当時の扱われ方には納得できなかった」とリカルドは1年後に語っている。

2018年8月3日:
リカルドが世界を驚かせた日。レッドブルからの契約オファーを保持しながら、彼は突然、ルノーへ移籍すると発表した。同チームは当時、F1に復帰したばかりで、ミッドフィールドに苦しんでいた。

■ ピエール・ガスリー(2019)

予選対決成績 vs フェルスタッペン:1−11
決勝対決成績 vs フェルスタッペン:1−11


2019年2月28日:
レッドブルは2019年シーズンに高い期待を抱いていたが、開幕前の段階ですでに一人のドライバーが苦戦していた。

テスト1週目でバリアにクラッシュしたわずか1週間後、ピエール・ガスリーは、フェルスタッペンが容易そうに扱っていたマシンに苦しみ、バルセロナで巨大なクラッシュを喫した。レース週末ではない状況で、これほどの衝撃的なクラッシュは珍しい。レッドブルはすでにスペアパーツ不足となり、プレッシャーは序盤から極めて高かった。

2019年7月28日:
ガスリーはドイツGPに到着した時点ですでに深刻な状況にあった。今シーズン、予選・決勝でフェルスタッペンを上回ったのは各1回ずつだけで、平均予選タイム差は約0.5秒。なんとか食らいつこうとした結果、ガスリーはホッケンハイムのプラクティスでクラッシュし、さらに決勝でもクラッシュ。その一方でフェルスタッペンはキャリア屈指の勝利を挙げた。“フェルスタッペンが輝き、ガスリーが沈む”という構図はもはや覆しようがなくなっていた。

2019年8月12日:
ガスリーは夏休みで気持ちのリセットを図り、後半戦で巻き返そうとしていた。しかし、ハンガリーGPでフェルスタッペンに1ヶ月の間に2度目となる周回遅れにされ、このレースがレッドブルでの最後となる。

レッドブルはガスリーのパフォーマンスに深刻な懸念を抱き、F1キャリア12戦目に過ぎなかったアレクサンダー・アルボンを昇格させた。ガスリーはトロロッソへ戻されることとなった。

レッドブル・レーシング

■ アレクサンダー・アルボン(2019〜2020)

予選対決成績 vs フェルスタッペン:1−25
決勝対決成績 vs フェルスタッペン:8−17


2020年8月1日:
アルボンは2019年終盤の9戦でレッドブルに十分な印象を残し、翌2020年もチームに残留した。しかし、その9戦での予選平均タイム差が0.3〜0.4秒ほどだったのに対し、2020年シルバーストンではその差が0.6秒以上に拡大していた。

アルボンはマシンに大いに苦しみ、シルバーストンではレースエンジニアを交代。それでもプラクティスでクラッシュし、予選ではQ2敗退。決勝では接触でペナルティを受け、最終的に8位でフィニッシュした。

2020年9月26日:
ロシアGPでは状況はさらに悪化した。フェルスタッペンがルイス・ハミルトンとバルテリ・ボッタスの間に割って入り、メルセデスに真っ向勝負を挑んでいた一方で、アルボンは予選でフェルスタッペンに 1.1秒差 をつけられた。

2020年12月18日:
アルボンはシーズン最終戦アブダビGPでベストに近い走りを見せたものの、独走優勝したフェルスタッペンの後方、19.9秒差の4位でフィニッシュした。

シーズン後、レッドブルはアルボンの交代を選択し、契約を失っていたものの絶好調だったセルジオ・ペレスを起用する決断を下した。

■ セルジオ・ペレス(2021〜2024)

予選対決成績 vs フェルスタッペン:10−79
決勝対決成績 vs フェルスタッペン:10−80


2022年5月31日:
2022年は新レギュレーションが導入され、シーズン序盤のレッドブルは、フェルスタッペンよりもペレスに合っているように見えるマシンだった。フェルスタッペンが優れているように見える場面はあったものの、ペレスはモナコGPの週末を完全に支配し、混乱のレースを勝ち切った。この後、ペレスは2年契約を与えられることになる。

しかし、同シーズンにこの勝利以降、ペレスが勝つことは一度もなかった。一方でフェルスタッペンは圧倒的な強さで2度目のドライバーズタイトルを獲得した。

2023年5月7日:
2022年にレッドブルを9年ぶりのコンストラクターズチャンピオンに導いたペレスは、2023年の第5戦マイアミGPに向けて個人タイトルを視野に入れていた。前戦アゼルバイジャンで優勝したことで、ランキングトップのフェルスタッペンとの差はわずか6ポイント。

しかし、ドルフィンズの本拠地ハードロック・スタジアムで行われたマイアミGPで、その夢は崩れ落ちる。ペレスはポールポジションからスタートし、9番手スタートのフェルスタッペンに対して優位と言われていたにも関わらず、フェルスタッペンは信じられない速さでフィールドを切り裂き、残り10周でペレスを抜き去った。

アゼルバイジャンの勝利は、ペレスがレッドブルで挙げた最後の勝利となった。

2024年6月4日:
レッドブルは、5月にペレスがマイアミ4位、イモラ8位、モナコでクラッシュと、悪い結果が続いたにも関わらず、ペレスと2年契約を締結した。

「早すぎる決断だった。うまくいかなかった」とホーナーは最近、この契約をシーズン序盤に急いだことについて語っている。

2024年10月27日:
メキシコシティGPが近づく頃、レッドブルは表向きにはペレスをバックアップし続けていた。しかし状況はすでに“最後の機会”になっていた。Q1敗退に加えて、決勝では乱れた走りで17位。ホームレースとコンストラクターズ争いという要素でさえ、ペレスを奮い立たせることはできなかった。

2024年12月8日:
最終戦アブダビGPを前に、ペレスの将来についての憶測が急速に高まっていた。ホーナーはレース後に話し合いが行われるだろうと認めた。そのアブダビでペレスは2戦連続のリタイア。シーズンを152ポイントで終え、フェルスタッペンの最終ポイントのわずか35%という結果だった。

5月のモナコ以来、トップ5フィニッシュはゼロ。

2024年12月18日:
レッドブルとペレスは、2025年にフェルスタッペンのチームメイトとして続投しないことで合意したと発表した。
そして、その後任としてレーシングブルズから昇格したのがリアム・ローソンだった。

このとき、レッドブルは角田裕毅を“スルー”している。

■ リアム・ローソン(2025)

予選対決成績 vs フェルスタッペン:0−2
決勝対決成績 vs フェルスタッペン:0−2


2025年3月16日:
ローソンは、レッドブルでのデビュー前にF1でのレース経験が11戦しかなかった。その初戦、オーストラリアGPの予選では18番手。そして決勝では天候の変化に翻弄され、クラッシュでレースを終える。早くもプレッシャーは高まっていた。

2025年3月22日:
その1週間後の中国GPでは、すでにローソンのシートを巡る憶測が飛び交っていた。それを後押しするように、ローソンはスプリントも決勝も最下位(20番手)からのスタートとなった。決勝では14位まで挽回したものの、フェルスタッペンはさらなる強さを示していた。

一方でホーナーは、角田裕毅への“交代の可能性”を否定しなかった。角田は「100%準備できている」と主張し、開幕戦からの好調さを示していた。

2025年3月27日:
わずか2戦で、ローソンはレッドブルから降格となった。レッドブルは、角田裕毅を昇格させた理由について“純粋にスポーティングな判断”だと説明した。

マシンが扱いにくく、経験が必要だったことから、レッドブルは経験豊富な角田を選ぶ判断を下した。

角田裕毅 レッドブル・レーシング

■ 角田裕毅(2025)

予選対決成績 vs フェルスタッペン:0−21
決勝対決成績 vs フェルスタッペン:1−18


2025年4月6日:
角田裕毅は、日本GPでレッドブル3人目のチームメイトとして登場した。予選14番手、決勝12位。一方でフェルスタッペンは圧倒的な勝利を挙げていた。

2025年4月13日:
角田はバーレーンGPでレッドブル初ポイントを獲得し、9位でフィニッシュした。しかし、この時点でフェルスタッペンを脅かす存在になる兆しはまだ見えていなかった。

2025年4月20日:
角田はサウジアラビアGP予選でフェルスタッペンから0.9秒差をつけられた。そして決勝では、ピエール・ガスリーとの接触によりオープニングラップでクラッシュ。序盤から苦しい展開が続く。

2025年5月4日:
角田はマイアミGPでピットレーンスタートから10位まで挽回した。しかし、その後8戦のうちポイントを獲得できたのはイモラの1度だけで、状況は悪化していった。

9月になってようやく再びポイントを獲得したが、すでに“結論”はチーム内で固まっていた。

2025年11月29日:
スプリント予選で初めてフェルスタッペンに予選で勝ち、5番手を確保。スプリントレースでも5位を維持し、自身のレッドブルでのベストリザルトを更新した。

しかし、この日の結果に関わらず、レッドブルはすでに決断を下していた。

2025年12月2日:
そして“避けられない声明”が発表された。角田裕毅は2026年のレッドブルのレースシートから外れ、マックス・フェルスタッペンの新たなチームメイトにはアイザック・ハジャーが選ばれた。

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カテゴリー: F1 / 角田裕毅 / レッドブル・レーシング