佐藤琢磨、ミルウォーキーの予選は10番手 (インディカー)

2014年8月18日
佐藤琢磨
佐藤琢磨は、インディカー第16戦ミルウォーキーの予選を10番手で終えた。

佐藤琢磨は、午前中のプラクティス1では16番手だったが、プラクティス2では暑さの中で自己ベストのラップタイムを更新して8番手につけた。

予選ではいくぶん涼しくなったコンディションにマシンのセットアップを完全に合わせ込むことができなかったが、レース用セッティングでのマシンの仕上がりには好感触を得ている。

佐藤琢磨、接触&ガス欠も18位完走 (インディカー)

2014年8月4日
佐藤琢磨
佐藤琢磨は、インディカー 第15戦ミッドオハイオの決勝レースを18位で終えた。

21番グリッドの佐藤琢磨は、得意のスタートでポジションを上げたが、その直後に目の前でアクシデントが発生し、マシンにダメージを受けた。それでもピットでフロントウイングを交換してレースへと復帰。上位陣とピットタイミングを変えてチャンスを作り出す作戦だったが、32周目にガス欠でストップ。インディカーのセーフティクルーたちにけん引されてピットに戻った。

佐藤琢磨、スピンを喫して予選21番手 (インディカー)

2014年8月3日
佐藤琢磨
佐藤琢磨は、インディカー第15戦 ミッドオハイオの予選でスピンを喫し、21番手から決勝に挑むことになった。

佐藤琢磨は、ミッドオハイオで2010年に予選3番手、2011年に決勝4位という成績を残している。事前に行ったテストで好感触を得ていた佐藤琢磨は、得意のウエットコンディションとあって上位グリッド獲得が期待できる状況だった。

佐藤琢磨、プラクティス初日に3番手タイムをマーク (インディカー)

2014年8月2日
佐藤琢磨
佐藤琢磨は、インディカー第15戦 ミドオハイオのプラクティス初日に3番手タイムをマークした。

ホンダ・インディ200のプラクティス初日は、晴天のもと、ミドオハイオ・スポーツカー・コースで行なわれた。

午前中のセッションで12番手となった佐藤琢磨は、午後のセッションで3番手へと躍進。しかも、午前中からタイムを伸ばしたドライバーは佐藤琢磨を含めてたったの5人しかいなかった。

佐藤琢磨 「とうとう、僕の悪運も尽きたようです」

2014年7月23日
佐藤琢磨
佐藤琢磨が、ダブルヘッダーでトロントで開催されたインディカー第13・14戦のレース週末を振り返った。

トロントで行なわれたベライゾン・インディカー・シリーズのダブルヘッダー戦において、No.14 AJフォイト・レーシング・ダラーラ・ホンダを駆る佐藤琢磨はレース2で5位フィニッシュを飾り、今シーズン・ベストの成績を挙げた。これまで6戦続けて信じられないような不運に見舞われ、完走を果たせなかった佐藤琢磨にとっては何よりも嬉しい結果だったといえる。

佐藤琢磨、今シーズンの自己ベストとなる5位 (インディカー)

2014年7月21日
佐藤琢磨
佐藤琢磨は、インディカー第14戦トロントの決勝レースで今シーズンの自己ベストとなる5位でゴールラインを切った。

カナダ最大の都市トロントでのダブルヘッダーは、土曜日に予定されていたシリーズ第13戦が雨で延期になり、日曜日に2レースが行われる異例のスケジュールとなった。

佐藤琢磨、多重アクシデントに巻き込まれて23位 (インディカー)

2014年7月21日
佐藤琢磨
佐藤琢磨は、ダブルヘダーとして開催されるインディカー第13戦トロントの決勝レースを23位で終えた。

第13戦は7月19日(土)の午後に決勝が行われる予定だったが、インディカーはコース上の雨量の多さから安全を確保できないと判断。赤旗を出してレースのスタートを遅らせ、その後にレースのスタートを2度試みたが、コンディションの改善は見られず、夕方6時過ぎにレース開催を翌日の20日(日)へと延期することに決めた。

佐藤琢磨、トロントのレース1は予選15番手 (インディカー)

2014年7月20日
佐藤琢磨
佐藤琢磨は、ダブルヘッダーで開催されるインディカー第13戦トロントのレース1の予選第1セグメントで8番手となり、予選結果は15番手となった。

グループ2なら第2セグメントに進出可能なタイムを出していたが、今回は組み入れられたグループに不運な面もあった。佐藤琢磨とチームは決勝に向けてマシンセッティングをもう一度徹底的に見直し、混戦をくぐり抜けての上位フィニッシュを目指す。

佐藤琢磨 「まったく信じられないようなことが起きた・・・」

2014年7月17日
佐藤琢磨
佐藤琢磨が、インディカー 第12戦アイオワのレース週末を振り返った。

アイオワ・スピードウェイで開催されたベライゾン・インディカー・シリーズでは、想像もしないような不運がまたもや佐藤琢磨に襲いかかったが、その原因を作ったのは、ヒューストンのときと同じ、ロシア人ルーキーのミハイル・アレシンだった。
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