佐藤琢磨 インディ500 優勝 歴史的快挙
佐藤琢磨は、第101回インディ500で日本人として初優勝。日本のモータースポーツに永遠に語り継がれる歴史的快挙を成し遂げた。

1911年に初開催されたインディ500は100年以上の歴史を誇る世界で最も歴史あるレース。決勝日に世界で最も多くの観客を集めるレースでもあり、今年も35万人を超える観客がインディアナポリス・モーター・スピードウェイに集まった。

アメリカ東部インディアナ州の州都インディアナポリスに全長2.5マイルのオーバルコースが作られたのは、1909年。当時のアメリカ中西部では、自動車メーカーが次々と立ち上がると、彼らは性能とスピードを競い、宣伝の場を求めた。そんな中で登場したインディアナポリス・モーター・スピードウェイは、500マイルの長距離で争われるレースを1911年に初めて開催し、大きな注目を集めた。2度の世界大戦中こそレースは開催されなかったが、その時期を除けば同じ場所で開催が続けられ、毎年5月の恒例行事して定着。メモリアルデー(戦没将兵追悼記念日)前日の日曜日に開催されている。

アメリカ以外で歴史の長いレースでは、フランスのル・マン24時間耐久レースがある。このレースは、今年6月で85回目の開催となる。インディ、ル・マンと並んで世界三大レースに数えられるモナコGPは、F1世界選手権が始まった1950年以前から行われていたが、その第1回大会でさえ、インディ500の開催よりもあとになる。

インディ500は世界最速の周回レースとして知られ、周回平均速度は予選で225mph、決勝でも220mphを超える。これは同じマシンでレースが行われるインディカー・シリーズの中はもちろん、世界の周回レースカテゴリーの中でも最も速い。最高速度は380km/hに達する。

これまでに通算123戦のインディカー・シリーズに参戦した今年40歳の佐藤琢磨は、第101回インディ500の決勝に4番グリッドからスタート。200ラップにわたるレースを戦い抜き、見事優勝。これは2017年にアンドレッティ・オートスポーツに加入した佐藤琢磨にとって今季初の栄冠であり、2013年にロングビーチ市街地コースで行われたシリーズ第3戦に続く通算2勝目となった。

200周(1周2.5マイル)のレース中、トップに立ったドライバーは15人を数えた。首位の入れ替わりは35回あり、合計50ラップがイエローコーションとなった。佐藤琢磨は、17周をトップで走行した。

アンドレッティ・オートスポーツにとって、今回の勝利はインディカー・シリーズにおける通算56勝目にあたる。2003年以来、アンドレッティ・オートスポーツはシリーズチャンピオンを4度獲得(2004年:トニー・カナーン、2005年:ダン・ウェルドン、2007年:ダリオ・フランキッティ、2012年:ライアン・ハンターレイ)し、インディ500では4度優勝(2005年:ダン・ウェルドン、2007年:ダリオ・フランキッティ、2014年:ライアン・ハンターレイ、20016年:アレキサンダ・ロッシ)している。

日本人ドライバーは、1991年のヒロ松下の参戦後、佐藤琢磨を含めて10名((ヒロ松下、桃田健史、松田秀士、服部茂章、中野信治、高木虎之介、ロジャー安川、松浦孝亮、武藤英紀、佐藤琢磨))がインディ500に挑戦してきた。これまでの歴代日本人最高位は、2003年の高木虎之介の5位だった。

アメリカでは、インディ500は米国4大スポーツと同じくらい人気があり、インディ500での優勝したドライバーは、その日から全米、全世界に名前が知れ渡る。インディ500の勝者には2億円以上の賞金が与えられ、優勝トロフィー「ボルグワーナー・トロフィー」の壁面にはインディ500の歴代優勝者全員の顔を立体的にかたどったレリーフが埋め込まれ、それぞれ下のブロックに優勝者の氏名・開催年・優勝者の決勝レースにおける平均速度が刻まれる。

その歴史に新たに名前が刻まれることになった佐藤琢磨。日本だけでなく、世界に名を残す金字塔を打ち立てた。

佐藤琢磨
「信じられない気持ちです。チームへの感謝の思いを言葉で表現することは到底できません。このチームメンバーの表情を見てください! 本当に素晴らしいと思います。今日は間違いなく、とてもタフなレースでした。ただし、エリオは本当にフェアなドライバーです。僕は彼を信頼していました。エリオはアウト側からくると信じていました。文句なしに素晴らしいレースです。本当に見事でした。12歳のときから、こんなことが起きるのを夢見ていました。皆さんのサポートには、どれほど感謝しても足りません」

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カテゴリー: F1 / 佐藤琢磨 / インディカー