セルジオ・ペレス 「下手くそな英語で深夜にチームに電話をかけまくった」
レッドブル・ホンダのセルジオ・ペレスが、F1ドライバーを目指してメキシコからヨーロッパへ挑戦したときのエピソードをレッドブルの動画で語った。
メキシコのグアダラハラで育ったセルジオ・ペレスは「友達がたくさんいる平凡な子供時代だった」と振り返る。
「父と兄と全国を旅していた。メキシコ中の町へ行き レースに出場した。レース後は車で帰宅。時には10時間もかけてね。学校の制服を着たままで車内で寝た。月曜の朝は僕を学校へ直接送り届けた。おかしかったね」
「兄は英国のF4でレースをしていた。欧州の競争レベルを見て、F1の夢を叶えたいなら 欧州へ行かなければならないと悟った」
「それにはもちろん資金が要る。当時スポンサーのカルロス・スリムは欧州行きに反対していた。僕が若すぎると言ってね」
セルジオ・ペレスは、ヨーロッパでレースをするためにBMWのサイトでチームの連絡先を調べて、連絡を取ったが、高額の電話代請求が来て両親に怒られたと振り返る。
「そこでBMWのサイトを調べると全チームの連絡先が載っていた。すべてのチームにメールを送り、説得して起用させようとした。僕はいいレーサーだったからね」
「時差のせいで 早朝3~4時に起きなきゃならなかった。電話をかけるためにね。両親に怒られたよ。すごい電話代請求が来た。でも、全チームに電話をかけてるんだと説明した」
「最終的に全部から提案が来たけど、どれも高すぎた。突然、すごく安くてめぼしいのが見つかり、オーナーに連絡したら すごく熱心だった。電話で話をまとめて片道チケットで飛行機に乗り、いつ帰国するか これからどうなるのか分からないまま旅立った」
念願かなってドイツへと渡ったセルジオ・ペレスだったが、小規模チームでの最初の生活は非常に孤独だったと語る。
「最初のホテルは 高速沿いにあり、トラックで一杯だった。トラック運転手が数時間の仮眠をとる場所だった。着いてすぐに小部屋に入った。その時の気分は『こんなのF1じゃない。F1とはほど遠い』という感じだった」とセルジオ・ペレスは語る。
「ガレージにはマシンが1台だけ。僕は一人ぼっちだった。孤独だった。何週間もそこで一日中ビデオゲームばかりやってた。他にすることがなかった。携帯もインターネットも持ってなかった」
「そこに2ヶ月滞在した。チームボスに会うと、僕が孤独なのを案じて『建設中のレストランが完成する』と言った。『店に住んだら? 今の所より快適だし、人と会える』とね。もちろん、そこへ移ったよ。レストランにね。すごく素敵な店だった。村の真ん中にあって人と会えたし、そこにいられるのが嬉しかった」
「シェフと同居だったけど、僕はまだ時差ボケでメキシコ時間で生活していたので、毎朝シェフを早く起こしてしまっていた。PCで遊んだり、テレビを見たりしてたので、彼は僕のことを良く思ってなかったね」
「時差ボケを引きずってたから、夜中に腹を空かして3時や4時に食べ物のありかに行った。ソーセージとか入れたパスタが2分で作れた。材料はすべて調理済みだったからね。カツレツやパスタなんかをつまみに行った。翌日、彼は食べ物がなくなっているので、僕の存在を快く思ってなかっただろうね」
「僕の2シーズン目だったけど、欧州で言えば初シーズン。ホッケンハイムリンクのようなドイツの憧れのサーキットに行けて感激だった。メカニック2人と専属エンジニアはみんな英語が不得手で僕も同様だったからコミュニケーションが あまり取れなかった」
「このマシン1台きりの小チームの初レースでパドックに入った。大きいチームはマシンをずらりと揃え、僕らは小さい車がたった一台。みんな僕らを見てたよ。『何だあれ?』って感じでね」
「その後のレースは 振るわなかった。すごく孤独だったし、レースの外の生活が厳しく、パフォーマンスが 低下してしまっていた。毎回『次はないかな』と思ってた」
「他のレーサーにはトレイナーとかがいるのに僕は立ち往生で...国に戻ろうかなって思ったよ。復学すべきかなってね。でも、その一方で諦めきれない気持ちもあった。メキシコに帰れば2度とここへ戻れない。自分の全てを賭けて勝負に出る価値はあるんじゃないかと思った。それにこのシーズンで結果を出せば大きいチームに移籍するチャンスもあるだろうとね」
「カルロスに電話すると向こうも意欲的で僕をイギリスF3に参戦させてくれた。全てが変わった。夢のようなチームに起用され、トレイナーもついた。そこでレーサーとして 大幅に磨かれた」
そして、セルジオ・ペレスはF1へと到達し、今季からレッドブル・レーシングに所属。現在チームは両方のチャンピオンシップを争っている。
「今が真剣勝負だ。他と同じ土俵上にいるからね。ワールドチャンピオンになるまで引退はできない。決して諦めないよ」とセルジオ・ペレスは語る。
「今までの達成や歩んできた道のりを振り返ってみると、F1で成功できたのはとても幸運だった。始まりはおかしなガキが立てた突飛な計画だった。下手くそな英語で深夜に電話をかけまくった。あのガキを心底誇りに思う。どんなに突飛な夢でも不可能じゃない」
Sergio Perez's Rollercoaster Journey To F1
カテゴリー: F1 / セルジオ・ペレス / レッドブル・レーシング / ホンダF1
メキシコのグアダラハラで育ったセルジオ・ペレスは「友達がたくさんいる平凡な子供時代だった」と振り返る。
「父と兄と全国を旅していた。メキシコ中の町へ行き レースに出場した。レース後は車で帰宅。時には10時間もかけてね。学校の制服を着たままで車内で寝た。月曜の朝は僕を学校へ直接送り届けた。おかしかったね」
「兄は英国のF4でレースをしていた。欧州の競争レベルを見て、F1の夢を叶えたいなら 欧州へ行かなければならないと悟った」
「それにはもちろん資金が要る。当時スポンサーのカルロス・スリムは欧州行きに反対していた。僕が若すぎると言ってね」
セルジオ・ペレスは、ヨーロッパでレースをするためにBMWのサイトでチームの連絡先を調べて、連絡を取ったが、高額の電話代請求が来て両親に怒られたと振り返る。
「そこでBMWのサイトを調べると全チームの連絡先が載っていた。すべてのチームにメールを送り、説得して起用させようとした。僕はいいレーサーだったからね」
「時差のせいで 早朝3~4時に起きなきゃならなかった。電話をかけるためにね。両親に怒られたよ。すごい電話代請求が来た。でも、全チームに電話をかけてるんだと説明した」
「最終的に全部から提案が来たけど、どれも高すぎた。突然、すごく安くてめぼしいのが見つかり、オーナーに連絡したら すごく熱心だった。電話で話をまとめて片道チケットで飛行機に乗り、いつ帰国するか これからどうなるのか分からないまま旅立った」
念願かなってドイツへと渡ったセルジオ・ペレスだったが、小規模チームでの最初の生活は非常に孤独だったと語る。
「最初のホテルは 高速沿いにあり、トラックで一杯だった。トラック運転手が数時間の仮眠をとる場所だった。着いてすぐに小部屋に入った。その時の気分は『こんなのF1じゃない。F1とはほど遠い』という感じだった」とセルジオ・ペレスは語る。
「ガレージにはマシンが1台だけ。僕は一人ぼっちだった。孤独だった。何週間もそこで一日中ビデオゲームばかりやってた。他にすることがなかった。携帯もインターネットも持ってなかった」
「そこに2ヶ月滞在した。チームボスに会うと、僕が孤独なのを案じて『建設中のレストランが完成する』と言った。『店に住んだら? 今の所より快適だし、人と会える』とね。もちろん、そこへ移ったよ。レストランにね。すごく素敵な店だった。村の真ん中にあって人と会えたし、そこにいられるのが嬉しかった」
「シェフと同居だったけど、僕はまだ時差ボケでメキシコ時間で生活していたので、毎朝シェフを早く起こしてしまっていた。PCで遊んだり、テレビを見たりしてたので、彼は僕のことを良く思ってなかったね」
「時差ボケを引きずってたから、夜中に腹を空かして3時や4時に食べ物のありかに行った。ソーセージとか入れたパスタが2分で作れた。材料はすべて調理済みだったからね。カツレツやパスタなんかをつまみに行った。翌日、彼は食べ物がなくなっているので、僕の存在を快く思ってなかっただろうね」
「僕の2シーズン目だったけど、欧州で言えば初シーズン。ホッケンハイムリンクのようなドイツの憧れのサーキットに行けて感激だった。メカニック2人と専属エンジニアはみんな英語が不得手で僕も同様だったからコミュニケーションが あまり取れなかった」
「このマシン1台きりの小チームの初レースでパドックに入った。大きいチームはマシンをずらりと揃え、僕らは小さい車がたった一台。みんな僕らを見てたよ。『何だあれ?』って感じでね」
「その後のレースは 振るわなかった。すごく孤独だったし、レースの外の生活が厳しく、パフォーマンスが 低下してしまっていた。毎回『次はないかな』と思ってた」
「他のレーサーにはトレイナーとかがいるのに僕は立ち往生で...国に戻ろうかなって思ったよ。復学すべきかなってね。でも、その一方で諦めきれない気持ちもあった。メキシコに帰れば2度とここへ戻れない。自分の全てを賭けて勝負に出る価値はあるんじゃないかと思った。それにこのシーズンで結果を出せば大きいチームに移籍するチャンスもあるだろうとね」
「カルロスに電話すると向こうも意欲的で僕をイギリスF3に参戦させてくれた。全てが変わった。夢のようなチームに起用され、トレイナーもついた。そこでレーサーとして 大幅に磨かれた」
そして、セルジオ・ペレスはF1へと到達し、今季からレッドブル・レーシングに所属。現在チームは両方のチャンピオンシップを争っている。
「今が真剣勝負だ。他と同じ土俵上にいるからね。ワールドチャンピオンになるまで引退はできない。決して諦めないよ」とセルジオ・ペレスは語る。
「今までの達成や歩んできた道のりを振り返ってみると、F1で成功できたのはとても幸運だった。始まりはおかしなガキが立てた突飛な計画だった。下手くそな英語で深夜に電話をかけまくった。あのガキを心底誇りに思う。どんなに突飛な夢でも不可能じゃない」
Sergio Perez's Rollercoaster Journey To F1
カテゴリー: F1 / セルジオ・ペレス / レッドブル・レーシング / ホンダF1