ホンダF1 特集
ホンダF1のERSエンジニアを務める岡田研が、常勝だった第二期と現在の違いについて語った。

岡田研は、いわゆるホンダF1の第二期、1991年からF1プロジェクトにかかわっている。

「当時私は新人で、日本ではF1全盛期。すごい盛り上がりでしたね」と岡田研は振り返る。

「いつの時代もホンダは日本GPに非常に力を入れて臨んでいましたが、エンジンレギュレーションが今ほど厳しくなかった当時、毎年、『鈴鹿スペシャル』と呼ばれる特別仕様のエンジンを投入していました」

「これは今も同じですが、自分たちの母国でのグランプリですからね。チームの一員である私たち全員、それはそれは気合が入ります。ですので、当然ながら自分の仕事にミスは許されません。私はECUという部品を担当していて、検査をすると色マジックでマークを付けたものですが、あらゆる項目をチェックしすぎてECUがすごい色になったのをよく覚えています」

「印象的だったのは1992年、第二期最後の日本GPでしょうか。当時は若手でファクトリー勤務だったので日曜は休日で、ファクトリーがあった和光の自宅で観戦していました。セナとの最後のレースになるのがわかっていたので、みんな本当に気合が入っていたのに、セナは3周目であっさりリタイア。翌日会社で詳細が分かったのですが、これまで起こったことがないような簡単なトラブルが原因で、それを聞いて本当にがっかりしました」

常勝だった第二期と現在の違い
「私は今回のプロジェクトに最初から関わっていますが、特に最初の3年間は苦しい思い出が多かったです。高電圧系、つまりMGU-Hの信頼性を走行中に監視するのも私の仕事の一つなのですが、当時は本当にMGU-Hのトラブルが多く出ていました。レース中に、MGU-Hが壊れた際にチーム側にマシンを止める指示を出すのも自分の役目だったので歯がゆかったですし、一緒に働いているチーム側のエンジニアの悔しさも身に染みて感じていました」

「それだけに、Honda Jetのエンジン部門の協力により飛躍的に信頼性が向上したことは本当にうれしく感じていますし、彼らにはとても感謝しています。パフォーマンス面でも、ICE(内燃機関)の進歩による向上だけでなく、MGU-HやMGU-Kが着実に進化して貢献できていることは本当に良かったと思っています」

「今年は初勝利を含め、表彰台なども多く取れていますが、常勝だった第二期は常に勝つことが命題とされていました。そのため、『一つたりともミスが許されない』という緊張感がいつもHonda内に満ちていました。互いに強い責任感を持ち、自分たち自身に対して非常に厳しい時代でしたね。今もそれに似た空気にはなってきていますが、やはり当時に比べるとまだそこまでのレベルではないと感じます」

「一方で、守る立場でなく追いかける立場の楽しさや高揚感が、今のホンダにはあふれているとも感じます」

「今回は、第三期以降にプロジェクトを休止していたブランク期間の影響、それに現代のパワーユニットシステムの複雑さゆえに、開発陣が『これが自分たちのスタンダードだ』と思える技術を確立するまでに非常に時間がかかってしまっていました。それだけに、目に見える結果を残せていることがうれしいですし、やっとここまで来ることができたという想いです」

「ここまで来たからには、ホンダのHマークを胸に付けたドライバーが鈴鹿の表彰台に上る姿を見てみたいという想いはあります」

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カテゴリー: F1 / ホンダF1