F1マシンを彩ったタバコスポンサー Part 3
F1マシンをかつて彩ったタバコ会社のスポンサーシップを特集第3弾。

1968年にインペリアル・タバコのゴールドリーフがロータスのF1マシンを赤・白・金に塗装するまで、F1マシンは、ナショナル・レーシングカラーだった。その後はスポンサーカラーへの移行が進むことになり、何十年もの間、タバコ産業はスポーツへのスポンサーにおいて主役を演じていた。

マールボロの親会社であるフィリップ モリスは、フェラーリを実質的に支援してはいるものの、2008年以降、タバコ広告はF1から完全に姿を消した。

バークレー(Barclay)
バークレー(Barclay)
バークレーは、1983年にアロウズのスポンサーとして参入。メガトロンエンジン(BMWの市販バージョン)とゲルハルト・ベルガーによる成功を期待したが実現しなかった。1986年から1990年まではウィリアムズの共同スポンサーも務め、ネルソン・ピケが2回のコンストラクターズタイトルと1回のドライバーズタイトルをもたらした。

マイルドセブン(Mild Seven)
マイルドセブン(Mild Seven)
日本のマイルドセブンは1994年にベネトンでキャメルの後を継ぎ、メインスポンサーに就任。ミハエル・シューマッハはすぐに2つのワールドチャンピオンを獲得した。ミハエル・シューマッハの離脱で成功は衰えるが、ルノーがベネトンが引き継ぐと、フェルナンド・アロンソが再び2つのワールドタイトルをもたらした。EUのタナコ広告禁止により、マイルドセブンは2006年末にF1を離れた。

ラッキーストライク(Lucky Strike)
ラッキーストライク(Lucky Strike)
ブリティッシュ・アメリカン・タバコは1999年にF1に参入。クレイグ・ポロックとジャック・ヴィルヌーヴを中心とするチームは、ラッキーストライクをメインスポンサーとしてワールドタイトルに挑むが、ブリティッシュ・アメリカン・レーシング、略してBARはその年の1ポイントも獲得できず、555とラッキーストライクを宣伝するために左半分と右半分を異なるカラーリングで塗り分けたマシンは日本のファンからは「キカイダー」と呼ばれなど失笑された。チームをホンダに買収した2006年のF1ハンガリーGPでジェンソン・バトンが勝利を収めたが、ラッキストライクの文字は描かれていなかった。

サムソン(Samson)
サムソン(Samson)
オランダのタバコメーカーであるサムソンは、1979年に元CIAで米海軍将校のドン・ニコルスという人物が設立したシャドウのスポンサーを務めてヤン・ラマーズにF1シートを与えた。数戦は通常のカラーリングだったが、ロングビーチで突然DN9Bにはライオンが描かれる。だが、競争力はなく、ヤン・ラマーズの最高成績は9位だった。

スコール・バンディット(Skoal Bandit)
スコール・バンディット(Skoal Bandit)
スコール・バンディットは、噛みタバコの製造業者であり、1984年および85年にRAMのメインスポンサーとして登場。濃い緑色のカラーリングは印象的だったが、コース上のパフォーマンスは決して印象的ではなかった。だが、RAMは両方のシーズンで19回のリタイアを喫するなど散々な結果を残して撤退した。

F1マシンを彩ったタバコスポンサー Part 2
F1マシンを彩ったタバコスポンサー Part 1

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カテゴリー: F1 / F1マシン