F1イモラ開催に幕か 2025年エミリア・ロマーニャGPが示唆する別れの可能性

激化する開催地争奪戦の現実
これまでイモラがF1に定着していた時代、年間のレース数はおおよそ16戦に過ぎなかった。しかし現在は、24戦というスケジュールを抱えるF1において、開催地の枠を巡る争奪戦は熾烈さを増している。
新たな市場の開拓が進む中、中東諸国は開催権を複数確保し、アメリカはすでに3レースを開催。モンツァ、モナコ、シルバーストンといった“伝統の聖地”は引き続き確保されている一方で、スパ・フランコルシャンですら、毎年開催の座を守れず、隔年開催に甘んじている。
イモラはフェラーリにとって象徴的な場所であり、熱狂的なティフォシが生み出す特別な空気は、他チームのドライバーからも称賛される。だが、それでもこのサーキットは、いま世界のどこかの新興会場にその座を譲ろうとしている。
情熱だけでは、もはやF1開催地の座を守れない――そんな厳しい現実が、今回の週末には影を落としていた。

イモラを惜しむドライバーたちの声
レース週末を通じて、イモラの将来を不安視する声が多くのドライバーから上がった。比較的若い世代のドライバーでさえ、その存続を望む思いを公言している。
オスカー・ピアストリは「まだ数回しか走っていないけど、自分の好きなサーキットの中でもかなり上位に入る」と語り、フェルスタッペンも同様の感情を示した。
「個人的には、ドライビングの楽しさという点で、こういうサーキットこそが自分をレーシングに惹き込んでくれた原点なんだ。カートの頃からそうだった。走っていて特別な感覚を与えてくれるコースがあるんだよね」
「それにF1を見始めた頃から、スピード感や、攻略の難しさ、そしてそのサーキットが持つ歴史に惹かれていた。こういう場所には特別な感情が湧くんだ」

数々の名場面と悲劇を刻んだ舞台
長い歴史を持ち、数々の悲劇さえも乗り越えてF1に残り続けてきたこのイモラ・サーキット。その再びの退場は、あまりにも無情な仕打ちのようにも感じられる。
イモラの建設が始まったのは1950年、F1が最初のグランプリを開催する数週間前のことだった。だが実際にレースを迎えたのは13年後、ジム・クラークがノンタイトル戦で勝利を飾った時だった。その後も開催は間欠的だったが、モンツァ改修に伴い代替開催された1980年のイタリアGPが高評価を得たことで、翌年から「サンマリノGP」として正式にF1カレンダーに組み込まれた。
以降、イモラは数々の名勝負と悲劇を刻む舞台となった。1982年のジル・ヴィルヌーヴ最終戦、1985年の“燃料切れレース”、1989年のセナとプロストの確執――F1の歴史に名を刻む場面は数知れない。
タンブレロと“血の記憶”
しかしその人気の陰には常に、「タンブレロ」という名の危険な影がつきまとっていた。
左高速コーナーとして知られるタンブレロは、かつて“ジェットコースターのような”コーナーと称されるも、外側にはコンクリート壁があり、ミスが即命取りとなるレイアウトだった。
1989年、ゲルハルト・ベルガーがタンブレロでクラッシュし、マシンは激しく炎上した。幸いにもベルガーは軽度の火傷のみで済み、早期に復帰を果たしたが、事故後にアイルトン・セナが病室を訪れ、2人で現場を視察したという。
「壁をもっと後ろに下げられないか」と試みたものの、すぐ背後に小さな湖があることを知り、2人は顔を見合わせて肩をすくめ、「これはどうしようもない」と結論づけた。
そしてその4年後――。
ローランド・ラッツェンバーガーが命を落とした翌日、タンブレロでアイルトン・セナが死亡する。
イモラはその手にF1の歴史だけでなく、“血の記憶”も抱えてしまった。
以後、同サーキットには安全改修が施され、タンブレロとヴィルヌーヴにはシケインが導入された。それでもF1はここで走り続け、名勝負を生み出していく。

栄光の時代とその終焉
ミハエル・シューマッハのフェラーリ勝利(1999~2004)、フレンツェンやラルフ・シューマッハの初勝利、そして2005年のアロンソvsシューマッハのバトル――それらはイモラという舞台があってこそ輝いた瞬間だった。
2006年、シューマッハが7度目の勝利を挙げたのを最後に、イモラはF1から姿を消す。その後長らく、FIAの開催基準に届かず、グランプリの場には戻れなかった。
復帰と現代F1との“サイズのミスマッチ”
しかし2020年、新型コロナウイルスによる特例措置の中、「エミリア・ロマーニャGP」として復帰。多くのファンは「やはりF1にイモラは必要だ」と実感した。
だが、F1マシンの大型化が進む中、イモラはかつてのようなレース展開を提供できなくなりつつある。かつて愛した“お気に入りの服”が、今の身体には合わなくなったかのように。
イモラにもう一度、アンコールはあるのか
だからこそ、2025年のレースは“最後の花道”としてふさわしい内容だったのかもしれない。興奮に満ちた展開、フェラーリのダブル入賞、フェルスタッペンの完璧な勝利――イモラは静かに、しかし確かに、その舞台を降りようとしている。
それでも願わくば、このカーテンコールが本当の終わりではなく、いつか再び幕が上がる日が訪れることを信じたい。イモラは、F1という物語に欠かすことのできない章なのだから。
カテゴリー: F1 / F1エミリア・ロマーニャGP