F1マシンを走らせた12人の女性 ドリアーヌ・ピンがメルセデスで歴史的一歩

F1の歴史では、これまで5人の女性がグランプリにエントリーし、そのうち決勝に進出したのは2人だけだ。黎明期のマリア・テレーザ・デ・フィリッピスから、現代のテストドライバー、そしてピンまで、F1マシンを走らせた女性たちの歩みは、数字以上に大きな意味を持っている。
マリア・テレーザ・デ・フィリッピス
マリア・テレーザ・デ・フィリッピスは、F1レースに出場した最初の女性だった。モータースポーツへの道は、兄弟が「彼女には速く走れない」と賭けたことに端を発し、その競争心はキャリアを通じて示されることになった。
22歳で地元のヒルクライムに出場し、2位で競技デビューを果たした。その走りはやがてマセラティの目に留まり、1954年のイタリア・スポーツカー選手権でランキング2位となったあと、ワークスドライバーとして契約した。
1958年モナコGPにエントリーしたデ・フィリッピスは、31人のエントリー中、予選通過に必要なタイムを出せず、5.8秒差で決勝進出を逃した。5度の世界王者ファン・マヌエル・ファンジオとは友情を築き、ファンジオは彼女に「君は速すぎる。リスクを取りすぎている」と語ったとされている。
その3戦後、ベルギーGPで初めて決勝に進出し、10位でフィニッシュした。続くポルトガルGPとイタリアGPにも出走したが、いずれもエンジントラブルでリタイアした。
翌年のモナコGPで予選落ちし、さらに同僚ドライバーの死を受けて、デ・フィリッピスはレースから退いた。1979年にモータースポーツ界へ戻り、元F1グランプリドライバー国際クラブに参加。1997年には副会長に就任した。2016年、89歳で亡くなった。

レラ・ロンバルディ
デ・フィリッピスから15年後、レラ・ロンバルディが次にF1へ挑んだ女性となった。家族が営む精肉店の配達用バンを運転したことがレースへの情熱につながり、フォーミュラ・モンツァ、イタリアF3、フォーミュラ5000を経てステップアップした。
1974年イギリスGPでは予選通過を逃したが、1975年南アフリカGPで復帰。ただし燃料システムの問題でリタイアした。スペインGPでは6位に入り、F1でポイントを獲得した最初で、現時点では唯一の女性となった。
ロンバルディは女性ドライバーとして最多のグランプリ出場記録を持ち、その後も世界選手権で10戦に出場。ドイツGPでは7位フィニッシュも記録した。
F1以外では耐久レースで成功を収め、ル・マンでのクラス表彰台、ペルグーサ6時間、バレルンガ、ムジェロでの勝利を挙げた。引退後はロンバルディ・オートスポーツを設立。乳がんとの闘病の末、1992年に50歳で亡くなった。

ディビナ・ガリカ
ディビナ・ガリカは、F1とオリンピックの両方に出場したわずか8人のうちの1人だ。ダウンヒルスキーで英国代表として4度の冬季オリンピックに出場し、1968年と1972年にはチームキャプテンも務めた。
セレブリティ・オートレースで2位に入ったことをきっかけにモータースポーツへ転向し、F2まで進んだあと、1976年イギリスGPの予選通過を目指した。このレースは、エントリーリストに複数の女性ドライバーが名を連ねた唯一のF1週末であり、ガリカとロンバルディがともに参加した。
その後、ガリカはアルゼンチンGPとブラジルGPでも予選通過を試みたが、いずれも成功しなかった。

デジレ・ウィルソン
デジレ・ウィルソンは、F1マシンによるレースで勝利した唯一の女性として、モータースポーツ史に独自の位置を占めている。1980年の英国オーロラF1選手権で勝利を挙げた。ただし、このシリーズは世界選手権ではなかった。
南アフリカ出身のウィルソンは、1980年イギリスGPの予選通過を試みたが、わずかに届かなかった。その後、1981年の非選手権レースである南アフリカGPに出場し、これが最後のF1登場となった。
その後はスポーツカーやIMSA GT選手権で国際的に幅広く活動し、インディアナポリス500にも3度予選通過を試みた。
ジョバンナ・アマティ
ジョバンナ・アマティは、グランプリにエントリーした最後の女性だ。18歳のとき、裕福な両親から身代金を奪おうとしたギャングに誘拐されるという劇的な経験をした。
その経験を乗り越えたアマティはレーシングスクールに通い、1981年のフォーミュラ・アバルトで本格的にレースを開始。シングルシーターの階段を上り、1986年にはイタリアF3で勝利を挙げた。
1991年にベネトンでテストを行い、翌年にはブラバムのレースシートを獲得した。南アフリカGP、メキシコGP、ブラジルGPで予選通過を試みたが成功せず、シートは若手のデイモン・ヒルに渡った。ヒルもその年の8戦中6戦で予選通過を逃している。
アマティはF1後もレースを続け、1993年にはポルシェ・スーパーカップの女子欧州選手権で優勝。フェラーリ・チャレンジや1998年のセブリング12時間にも参戦した。

キャサリン・レッグ
キャサリン・レッグは、バレルンガでミナルディのF1マシンをテストし、短いながらF1マシンのステアリングを握った。最初の走行では2周後にスピンしたが、翌日には再びコースに戻り、27周を走破した。
英国出身のレッグは、その後もっともよく知られる女性レーサーの1人となった。米国で名を上げ、インディカーでポイントを獲得し、2023年と2024年にはインディアナポリス500の予選を通過。女性ドライバーによる最速予選記録も保持している。

マリア・デ・ヴィロタ
マリア・デ・ヴィロタが初めてF1マシンを走らせたのは2011年だった。ポール・リカール・サーキットでルノーR29を300km走行し、翌年にはマルシャのテストドライバーに起用された。
2012年の直線テスト中、スペイン出身のデ・ヴィロタはダックスフォード飛行場で重大事故に遭い、右目を失った。
デ・ヴィロタは2013年、34歳で亡くなった。10代のころに彼女から指導を受けたカルロス・サインツJr.は、敬意を込めてヘルメット後部に星を描いている。
スージー・ヴォルフ
DTMで6シーズンを過ごしたスージー・ヴォルフは、2012年にウィリアムズの開発兼テストドライバーに就任した。2年後、母国イギリスGPのフリー走行1回目に出走し、女性として20年以上ぶりにF1公式セッションへ参加した。
その後、ドイツGPでもウィリアムズから出走し、2015年には役割が強化され、スペインGPとイギリスGPのフリー走行1回目にも参加した。シーズン終了後にレースから引退し、女性のモータースポーツ参加拡大を目的とした「Dare to be Different」を共同設立した。
2018年から2022年まではベンチュリ・レーシングでフォーミュラE初の女性チーム代表を務めた。2023年にはF1 ACADEMYのマネージングディレクターに就任し、全F1チームと各チームのカラーリングを同シリーズのグリッドに導入するうえで重要な役割を果たした。

シモーナ・デ・シルベストロ
インディカーで実績を築いたシモーナ・デ・シルベストロは、2014年にザウバーの提携ドライバーとなった。フィオラノで行われた初のF1テストでは、C31のステアリングを握り112周を走行した。
スイス系イタリア人のデ・シルベストロは、その後インディカーに復帰し、フォーミュラEやスーパーカー選手権にも参戦した。近年はウインタースポーツにも活動の幅を広げ、2026年冬季オリンピックではモノボブに出場している。
タチアナ・カルデロン
タチアナ・カルデロンは、ジュニアのシングルシーターカテゴリーで新たな道を切り開いてきた。英国F3インターナショナルシリーズで表彰台に立った最初の女性となり、FIAヨーロッパF3選手権でラップリードを記録した最初の女性にもなった。
GP3参戦後、コロンビア出身のカルデロンはザウバーの開発ドライバーに起用され、翌年にはテストドライバーへ昇格した。2018年にはエルマノス・ロドリゲス・サーキットでC37を走らせ、1か月後には2013年型C32で2日間のテストを実施した。
2019年にはアルファロメオへ名称変更したチームに残留し、FIA F2を走った最初の女性となった。その後はスーパーフォーミュラ、世界耐久選手権、インディカー、IMSAスポーツカー選手権など幅広いカテゴリーで戦っている。

ジェシカ・ホーキンス
アストンマーティンは2021年、Wシリーズ2年目のシーズンを迎えていたジェシカ・ホーキンスをドライバーアンバサダーに起用した。ホーキンスは2022年にマイアミで初表彰台を獲得している。
2023年にはハンガロリンクでAMR21をテストし、26周を走行した。役割はさらに広がり、現在はアストンマーティンのF1 ACADEMY責任者も務めている。モータースポーツ以外ではスタントドライバーとしても活動し、ジェームズ・ボンド映画『ノー・タイム・トゥ・ダイ』にも参加した。
ドリアーヌ・ピン
このリストに新たに加わったのがドリアーヌ・ピンだ。ピンはGTレースで頭角を現し、2022年フェラーリ・チャレンジ・ヨーロッパのトロフェオ・ピレリ・プロで9勝、10回のポールポジションを記録してタイトルを獲得した。
その後、ヨーロピアン・ル・マン・シリーズと世界耐久選手権へ進み、2023年には女性として初めてWECレベレーション・オブ・ザ・イヤーを受賞した。
シングルシーターへの転向後、フランス出身のピンは2024年F1 ACADEMYシーズンでメルセデス代表に選ばれた。デビューシーズンをランキング2位で終え、2年目には4勝を挙げて2025年の王者となった。
今年、メルセデス・ジュニア・プログラムを卒業したピンは、チームの開発ドライバーへ昇格した。そして先週金曜日、シルバーストンで2021年型W12を76周走行し、メルセデスF1マシンを走らせた最初の女性となった。
今季のピンは、デュケーヌ・チームからヨーロピアン・ル・マン・シリーズに参戦し、開幕戦で表彰台を獲得している。さらにル・マン24時間レースにも出場し、プジョーのハイパーカーチームで開発ドライバーも務めている。

数字以上に重いF1での“走行実績”
F1の世界選手権に女性がエントリーした例は極めて限られ、決勝をスタートした女性はデ・フィリッピスとロンバルディの2人だけにとどまる。一方で、テストや公式セッションを通じてF1マシンを走らせた女性たちは、時代ごとの制約のなかで確かな足跡を残してきた。
ピンのメルセデステストは、単なる記念走行ではなく、F1アカデミーからF1マシンへつながるルートが現実に存在することを示す出来事でもある。過去の先駆者たちが残した足跡の先に、現代の女性ドライバーがどこまで進めるのか。ピンの一歩は、その問いを改めてF1に投げかけている。
カテゴリー: F1 / F1ドライバー
