小松礼雄 F1キャリアの原点は佐藤琢磨との偶然の出会い

大学時代に英国の草の根モータースポーツに関わっていた小松礼雄は、シルバーストンで若き佐藤琢磨と出会い、その後の活動を通じて実戦データ、シミュレーション、ドライバーとの直接作業を結びつけていくことになった。
シルバーストンで見かけた日本人ドライバー
当時、小松礼雄は地元ドライバーのアンドリュー・デアハンティが参戦する英国サルーンカー選手権のチーム運営を手伝っていた。あるシルバーストンのレースミーティングで、レーシングスーツ姿の日本人ドライバーが原付で通り過ぎるのを目にした。
そのドライバーが、当時ダイヤモンド・レーシングから英国F3選手権のナショナルクラスに参戦していた佐藤琢磨だった。
「ある日、シルバーストンでレースをしていたときのことを覚えています。僕は車の下にいてアンチロールバーを交換していたんですが、ふと見上げたら、レーシングスーツを着た日本人の若い子が原付に乗っていました。だからもちろん、お互いに挨拶しました。当時、日本人同士が会うことはあまりありませんでした」と小松礼雄はコメント。
「そのときは特に何も思いませんでした。でも、僕たちが英国サルーンカーのレースに出るときにクアッドバイクがありませんでした。それで『彼は英国F3で走っていると言っていたから、クアッドバイクを持っているはずだ』と思って、彼のチームであるダイヤモンド・レーシングに借りに行きました」
「クアッドバイクを借りて、自分たちのレースを終えて、それを返しました。それで『彼のレースがもうすぐだから、見に行こう』と思いました。その年、彼はナショナルクラスに出ていました」
佐藤琢磨の速さが関係を変えた
小松礼雄はそのレースで、佐藤琢磨の走りに強い印象を受けた。当時、ナショナルクラスではマーティン・オコンネルが圧倒的な存在だったが、佐藤琢磨はその相手をすぐに破った。
「そこにマーティン・オコンネルというアイルランド人のドライバーがいました。彼はとても優秀で、ナショナルクラスのレースをすべて勝っていました。でも資金はありませんでした。シルバーストンで琢磨を見たら、彼はいきなりその相手に勝ちました。僕は『すごい、君は速い。マーティン・オコンネルに勝ったんだ。彼はみんなに勝っていたのに』と言いました。すると琢磨が『本当ですか? 次はスラクストンでレースがあります。見に来ませんか?』と言いました」
「それでスラクストンを見に行って、話をして、彼が僕よりちょうど1歳年下だと分かりました。彼は『来年はチャンピオンシップクラスに出ます』と言いました。僕は『来年から博士課程を始めます。こういうことに興味があります。一緒に何かやりませんか?』と言いました」
博士課程と現場データが結びついた瞬間
この出会いは、小松礼雄にとって理論と実践を結びつける大きな転機になった。博士課程で扱っていたシミュレーションや最適化の研究を、佐藤琢磨との実地作業に持ち込むことになった。
「翌年の英国F3では、すべてのテストとほとんどのレースに行って、いろいろなことをやりました。僕は博士課程でシミュレーション最適化のプログラムを書いていました」
「でも、それを実際に琢磨と一緒にサーキットで試していました。実データ、タイヤデータ、ダンパーデータを集めていました。シャシーデータを得るためにダラーラのエンジニアとも仕事をしました。理論面、数学面、実践面、そして琢磨のようなドライバーと直接仕事をすること、そのすべてが組み合わさりました」
「1年目の彼のチームメイトはベン・コリンズ、『ザ・スティグ』でした」
「そして2年目は素晴らしかったです。2年目は博士課程に集中するためにあまり関わりませんでしたが、琢磨とアンソニー・デビッドソンでした」

佐藤琢磨からつながったHRD入り
博士課程の終盤、小松礼雄は仕事を探していた。最終的にドイツF3のコリン・コレスのチームからレースエンジニアのオファーを受けたが、それは本当に望んでいた道ではなかった。
「仕事が見つかりませんでした。そして最後に得たオファーは、ドイツF3のコリン・コレスのチームでのレースエンジニアでした。ドイツで彼に会って戻ってきたのを覚えています。オファーをもらって、『いいことだ。ドイツF3でレースエンジニアとして仕事が決まった』と思いました。当時は競争力もありました。でも、特にそれをやりたいとは思っていませんでした」
英国に戻ると、佐藤琢磨から電話が入った。
「英国に戻ったら、電話が鳴りました。それが琢磨でした。琢磨は『就職面接はどうでしたか?』と言いました。僕は『大丈夫でした。仕事はもらえましたが、特にやりたいわけではありません』と言いました」
「すると彼は『そうですか。もしまだ可能性があるなら、HRDの田中さんが話したがっています。本当に大丈夫ですか?』と言いました。それでHRDの田中さんに会いに行きました。当時、オトマー・サフナウアーが副社長で、2003年に仕事をもらいました。そこから琢磨はテストドライバーでした。そして2004年にBARホンダへ移りました」
小松礼雄のF1キャリアは、単なる就職活動の延長ではなく、佐藤琢磨との偶然の出会いから始まった現場での積み重ねによって形作られた。クアッドバイクを借りに行った一度の接点が、英国F3での実践、HRD入り、そしてBARホンダへの移籍につながっていった。
カテゴリー: F1 / ハースF1チーム / 佐藤琢磨
