F1レジェンド ルーベンス・バリチェロ 53歳でNASCARブラジルシリーズ王者に

53歳のバリチェロは、このカテゴリーでのルーキーシーズンで王者となり、F1キャリアの終焉からおよそ15年を経て再び栄冠を手にした。
バリチェロは現代F1で最も認知度の高い名前のひとりであり、世紀の変わり目にフェラーリが支配していた時代にミハエル・シューマッハのチームメイトを務めた。ブラジル人の彼は2002年と2004年にシューマッハの後塵を拝してワールドチャンピオンシップ2位となり、また2009年にはブラウンGPでジェンソン・バトンのチームメイトを務め、その年のイタリアGP(モンツァ)で最後のF1勝利を挙げた。モンツァはフェラーリのホームレースでもある。
バリチェロのF1キャリアは2011年シーズンの終わりに突然幕を閉じた。彼は同郷のブルーノ・セナにウィリアムズのシートを奪われた。ブルーノは3度のF1ワールドチャンピオン、アイルトン・セナの甥であった。
しかし年齢を重ねながらも、バリチェロはF1引退後も活動を続けた。2012年にはインディカーに参戦し、2017年にはル・マン24時間にスポット参戦。ここ数年は様々なカテゴリーでレースを続け、2022年にはストックカー・プロ・シリーズのタイトルも獲得していた。そして今回、デビューシーズンとなるNASCARブラジル・シリーズで新たな王冠を手にした。
今季のバリチェロは、まずインテルラゴス(F1サンパウロGPの開催地)での第3戦で2勝を挙げ、先月パラナ州のアウトドロモ・インテルナシオナル・デ・カスカヴェルでも勝利を収めた。そして土曜日にサンパウロのアウトドロモ・ベロチッタで優勝し、タイトルを決定づけた。その勝利により、バリチェロは合計180ポイントとなり、2位のチアゴ・カミロに32ポイント差をつけた。
バリチェロは「胸がいっぱいで、本当に幸せだ」とコメントした。
このトロフィーに加え、バリチェロは年末に米国で行われるNASCARアワード晩餐会に出席し、米国NASCARカップシリーズのドライバーたちと並んで表彰される予定である。

今回のタイトル獲得は、2018年に首の良性腫瘍を摘出してからわずか7年後の出来事でもある。
当時、元F1スターのバリチェロは、自宅で激しい頭痛に襲われ病院に搬送されたことを明かしている。左側の首に腫瘍が見つかり、手術で摘出された。
彼はブラジルの番組「Conversa com Bial」でこう語っていた。
「自宅でシャワーを浴びていたら、突然頭に痛みを感じた。0から10で言えば、痛みのレベルは8か9だった。とても強烈だった!床に倒れ込んだ。誰も起こしたくなかったけど、とても痛かった。寝室に戻って妻のシルヴァナを起こした。吐き気がして、これは病院に行かなければいけないと悟った」
「その後、健康状態を詳しく調べるために一連の検査を受けた。すると首に小さな腫瘍が見つかったんだ。それはインテルラゴスでレースをした後に摘出した。良性だったけど、放っておけば大きくなるし、マシンに乗るときに不快感を抱えることになるのは嫌だった」
「僕たちの友人である医師が、僕の状態を見て危険だと気づいてくれた。僕はとても幸運だった。形成不全によって開いてしまった血管が、自分の血で2時間のうちに再生したんだ。病院に着いたとき、管を通して検査したら、血管はすでに閉じていた。退院するときに、医師から『この状況から生還できる人は14%しかいない』と言われた。多くの人が深刻な後遺症を負ったり、命を落とすこともあるんだ」
F1からの突然の離脱に不満を抱えていたバリチェロは、その後も何度も復帰の噂が流れた。2014年には、当時存続の危機にあったケータハムの最後の3戦に参戦し、インテルラゴスで最終的なF1出走を果たす可能性も報じられた。しかし、その計画は頓挫し、シーズン最終戦アブダビではイギリス人のウィル・スティーブンスがレギュラードライバーの小林可夢偉と組んで参戦した。
昨年、F1公式ポッドキャスト「Beyond The Grid」に出演した際、バリチェロは冗談めかして今もF1復帰の意欲があると語った。
「もしフェルナンド・アロンソが僕に『アストンマーティンでチームメイトになってほしい』と言ってきたら、僕は今でも走れる準備がある」と話している。
カテゴリー: F1 / ルーベンス・バリチェロ / NASCAR