2010年10月のF1情報を一覧表示します。

F1アメリカGP、サーキット計画書の提出期限を逃す

2010年10月5日
F1アメリカGP
2012年にF1アメリカGPを開催するテキサスの主催者は、期限までにサーキットのデザイン案をFIAに提出しなかった。

F1アメリカGPのプロモーターであるタボ・エルムンドは8月上旬、オースティンのサーキットレイアウトを9月にFIAのサーキット委員会に提出すると述べていた。

しかし、Austin Business Journal によると、テキサスの主催者は自主的に設定した期限に間に合わなかったという。

ニコ・ヒュルケンベルグ:F1日本GPプレビュー

2010年10月5日
ニコ・ヒュルケンベルグ
ニコ・ヒュルケンベルグが、F1日本GPへの意気込み、鈴鹿サーキットの印象を語った。

ニコ・ヒュルケンベルグ (ウィリアムズ)
「これまで日本に行ったことはない。でも、いい場所だと聞いているし、今回の旅行は本当に楽しみにしている。トラックを走ったこともないので、ファクトリーでシミュレーターで準備をしてきた。また、そこに着いたときにできるだけ良いポジションにいるためにエンジニアとデータをくまなく調べた」

ルーベンス・バリチェロ:F1日本GPプレビュー

2010年10月5日
ルーベンス・バリチェロ
ルーベンス・バリチェロが、F1日本GPへの意気込み、鈴鹿サーキットの印象を語った。

ルーベンス・バリチェロ (ウィリアムズ)
「このレースに行くのが大好きだし、全てのサーキットでトップ3に入るね。ブラジルから到着するには特に大変だけど、1速に入れてガレージを離れればすぐに忘れてしまう。鈴鹿は美しいサーキットだ。とても高速なトラックだし、高速コーナーも多い。本当にずっとそれに取り組まなければならない」

ロバート・クビサ:F1日本GPプレビュー

2010年10月5日
ロバート・クビサ
ロバート・クビサが、F1日本GPへの意気込み、鈴鹿サーキットの印象を語った。

鈴鹿は1年であなたのお気に入りのサーキットですね。なぜですか?
ハードだし、最もチャレンジングなサーキットで、とっても速いんだ。実際に4速以上の高速コーナーの数を数えれば、カレンダーのどのサーキットよりも多いと思う。第1セクターは素晴らしい。S字はジェットコースターのようだし、非常に長いコーナーで左右にGフォースがかかる。1つのコーナーでミスをすれば、次のコーナーまでしばらくそれを引きずることになるので、特に正しいラインをキーブするのがタフだ。さらに非常にヘビーブレーキングでオーバーテイクが可能な低速コーナーやシケインもある。

ヴィタリー・ペトロフ:F1日本GPプレビュー

2010年10月5日
ヴィタリー・ペトロフ
ヴィタリー・ペトロフが、F1日本GPへの意気込み、鈴鹿サーキットの印象を語った。

ヴィタリー、シンガポールでの初のナイトレースを終えたあなたの気持はいかがですか・・・
チャレンジングな週末だったし、出せたはずの結果を残せなかったことは残念だった。レースのスタートはとても良かったし、10位に順位をあげた。セーフティカーが出動したときにピットインするというのはチームは素晴らしい作戦だった。ピットストップのあと、僕の前のウェバーとグロックに対していい位置につけていたけど、そのあとヒュルケンベルグとの事故で3つポジションが犠牲になったし、僕のレースは破壊された。それがなければ、8位でフィニッシュ出来ていたと思う。

ロータス、コスワースとの契約解除に違約金

2010年10月5日
ロータス
ロータスは、コスワースとのエンジン契約を終了するために違約金を支払わざるを得なかった。

ロータスとコスワースは3年契約を結んでいたが、先月のモンツァで契約を終了することに基本合意。噂によるとロータスはルノーと包括的な技術提携を発表するという。

しかし、正式に発表されたのは数日前であり、コスワースは「両社にとって納得のいく和解に同意した」と述べていた。

シトロエン、ライコネンの決断を待つ

2010年10月4日
キミ・ライコネン
シトロエンは、キミ・ライコネンが来年もWRCでシトロエンに残留するかどうか決断するのを待っている。

報じられたところでは、ライコネンは2011年にルノーでF1復帰するとされているが、何人かのインサイダーは、少なくとももう1シーズンはWRCに留まりそうだと考えている。

シトロエン・ジュニア・チームのブノワ・ノジェ代表は、ライコネンのためにドアを開けていると語る。

ペドロ・デ・ラ・ロサ 「来年テストドライバーを続けるつもりはない」

2010年10月4日
ペドロ・デ・ラ・ロサ
ペドロ・デ・ラ・ロサは、2011年にフルタイムのテストドライバーには戻りたくないようだ。

マクラーレンで7年間テストドライバーを務めたあと、デ・ラ・ロサは2010年にザウバーからF1復帰を果たした。

しかし、シンガポールGP前に解雇されたデ・ラ・ロサは、後任のニック・ハイドフェルドの代わり2011年からF1にタイヤを供給するピレリのタイヤ開発ドライバーに就任した。

小林可夢偉 「正直、鈴鹿はそんなに走っていないんです・・・」

2010年10月4日
小林可夢偉
小林可夢偉が、今週末に鈴鹿サーキットで開催されるF1日本グランプリに向けて、改めて決意を語った。

「正直に言いますけど、僕は鈴鹿を走った経験はそんなに多いわけではないんです(苦笑)」と語る小林可夢偉。

「2003年にフォーミュラトヨタで2回レースの週末があったのと、去年トヨタF1で金曜フリー走行で走ったこの3回だけ。それでも、すごく難しけど面白いコースだと思いました」
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