フェルナンド・アロンソ、F1キャリアの移籍に対する批判を一蹴
フェルナンド・アロンソは、自身のこれまでのF1キャリアに対する批判を一蹴。「家で見ている人々の知識の不足」を示していると主張した。

2001年にミナルディからデビューしたアロンソは、2003年にルノーのワークスドライバーとなり、2005年と2006年に2年連続でワールドチャンピオンに輝いた。

その後、事前合意によりマクラーレンへの移籍が決まったが、アロンソはアロンソはルイス・ハミルトンとともに過ごした波乱のシーズンを経て、わずか1年でルノーに復帰する。

ルノーでの競争力のない2シーズンでチャンピオン争いに加われなかったアロンソは、2010年にフェラーリに栄光をもたらす可能性があるという貴重なオファーを引き受けた。

しかし、2度にわたって最終戦までタイトル争いを繰り広げはしたものの、アロンソはフェラーリにタイトルをもたらすことができず、関係が悪化する中、2015年からホンダパワーに戻るマクラーレンへのセンセーショナルな復帰を果たした。

しかし、ホンダとマクラーレンの新たなパートナーシップは、1980年代後半に続いた大成功を再現することはできず、信頼性の低さとパフォーマンスの低さによって表彰台を1度も獲得することなく、契約はわずか3年で打ち切られた。

マクラーレンは2018年にルノー製パワートレインに戻したものの、その競争力のなさにアロンソはF1からの引退を表明。2度のF1ワールドチャンピオンはル・マン24時間レースで2度制した。

ルノーエンジンを搭載するアルピーヌでF1復帰を果したアロンソは、同じく複数のF1ワールドチャンピオンであるセバスチャン・ベッテルに代わって2023年からアストンマーティンと契約を結んだ。

チーム選びの失敗によってF1での成功を築けなかったとして、アロンソには多くの批判が向けられているが、41歳のアロンソは何も変えることはないだろうと語った。

「何も変えることはないだろう」とアロンソは宣言した。「何も後悔していない。翌年のチームの成績を知ることのできる水晶玉を持っている人は誰もいない」

「ルノーを離れたとき、それが最初の決断だったけど、マクラーレンに加わり、そのシーズン、僕たちはワールドチャンピオンを目指して戦った。したがって、競争力という点で言えば、それは良いことであり、良い移籍だった」

「その後、僕はフェラーリに加わった。ドライバーの中でフェラーリに加わるオファーを拒否する人はいないと思う。そして、僕がそこにいた5年間のうち、僕たちは3度チャンピオンシップを目指して戦った」

「その後、マクラーレン・ホンダに移籍した。面白くて強力なものになると誰もが考えていたプロジェクトだった。でも、うまくいかなかった。OK、このスポーツではそのようなことは起こり得る」

「F1をやめたのは、頭の中にやりたいことや挑戦したいことがありすぎたからだ。そして、耐久レースやあのクルマ、そしてインディに挑戦し、かなりの成功を収めることができたのは、私のキャリアの中でも素晴らしい時期だった。とても幸せだった」

「そして僕は、ずっとファミリーだと思っていたアルピーヌ、ルノーとともにF1に戻ってきた」

「そして今、最後の決断を下した。みんなの意見では、アストンマーティンに行くというのは最悪の決断だった。でも、おそらく僕のキャリアの中で最高の移籍だった。つまり、これはチームを選ぶことの難しさと、全員が家で持っている知識の不足を示しているだけだ」

アロンソのアストンマーティン移籍は、チーム・シルバーストンが今季の開始時に順位を大きく飛躍させた時期と重なった。

2度のF1タイトル獲得経験を持つアロンソは6度の表彰台を獲得し、ドライバーズ選手権ではレッドブル勢に次ぐ3位につけている。

しかし、アストンマーティンは最近、パフォーマンスを低下させており、アロンソは過去3レースで表彰台に立つことができず、ハンガリーGP後にはアストンマーティンが現在5番目に速いマシンだと主張した。

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カテゴリー: F1 / フェルナンド・アロンソ / アストンマーティンF1チーム