F1 アルファロメオ・レーシング ザウバー
アルファロメオ・ザウバーF1チームは、2019年のF1世界選手権にむけてチーム名『アルファロメオ・レーシング(Alfa Romeo Racing』に変更することを発表。ザウバーの名前がF1から消えることになった。

ザウバーは1970年にペーター・ザウバーが設立したレーシングチーム。1993年からF1に参戦し、現存するコンストラクターとしては4番目に古い歴史を持っている。

2006年にはBMWにチームを売却してBMWザウバーとして参戦したが、BMWのF1撤退によってペーター・ザウバーがチームを買戻し、2010年からプライベーターとして再び参戦を再開した。

しかし、2016年に財政難に陥り、創設者のペーター・ザウバーは共同株主だったロングボウ・ファイナンスにチームを売却して業務から完全に引退。実質的にはザウバーの名前だけが残っている状態だった。

アルファロメオは、モータースポーツの世界で長い歴史を持っており、ブランド創設から1年後の1911年にモデナで初めて公式レースに参戦。1930年代のグランプリレーシングや1950年代のF1初期に成功を収め、1950年から1987年まではコンストラクターもしくはエンジンサプライヤーとしてF1で戦ったが、その後30年にわたり活動を休止していた。

2018年にはアルファロメオをタイトルスポンサーに迎えてアルファロメオ・ザウバーとして参戦。商業的だけでなく、技術的な協力関係を築き、チームはコンストラクターズ選手権8位でシーズンを終えていた。

2月1日(金)、チームは2019年のF1世界選手権にアルファロメオ・レーシングとして参戦することを発表。チーム名からザウバーの名前は消えるが、オーナーシップとマネジメントはロングボウ・ファイナンスが継続し、チームもザウバー・モータースポーツが運営。ファクトリーもスイスのままとなる。

アルファロメオ・レーシングのF1マシンには伝説的な“クアドリフォリオ(四つ葉のクローバー)”の紋章が掲げられるとしており、表面上はアルファロメオのワークスチームとなるようだ。

昨年までのアルファロメオとのタイトルスポンサー契約は5000万ユーロ(約62億7200万円)とだったとされているが、今年はそれが2倍に増加しするとされ、 BudgetBookGP によると「チームは1シーズンあたり2億5000万ユーロ(約313億6300万円)の予算を目標とすることができる」と伝えた。

2018年のザウバーの予算は1億3500万ユーロ(約176億9000万円)とされ、ウィリアムズと同額の6番目の規模だったが、マクラーレンの2億5000万ユーロ(約327億5900万円)、ルノーの2億ユーロ(約262億1000万円)に並ぶ予算を得ることになる。

引き続き、アルファロメオ・レーシングでチームプリンシパルを務めるフレデリック・バスールは「アルファロメオ・レーシングのチーム名で2019年のF1世界選手権に参戦することを発表でき嬉しく思う」とコメント。

「2018年にタイトルスポンサーのアルファロメオとのコラボレーションを開始した後、チームは技術面、商業面、そして、スポーツの面で素晴らしい進歩を遂げた。投資された努力が結果に反映されるようになり、各チームメンバー、現場やスイスの本社のモチベーションを後押した。我々は、レース、テクノロジー、デザインに対する情熱を前進させながら、チームのすべてのセクターを発展させ続けることを目指している」

アルファロメオの親会社であるFCAグループの最高経営責任者を務めるマイケル・マンリーは「アルファロメオ・レーシングは、F1で長い歴史を持つ新しい名前だ」とコメント。

「我々はアルファロメオの技術的卓越性とイタリアのパナッシュの伝統をモータースポーツの頂点にもたらすためにザウバーと協力することを誇りに思う。キミ・ライコネンとアントニオ・ジョビナッツィがピットウォールの片側にあり、アルファロメオとザウバーの専門知識がもう片側にある。我々は競争するためにここにいる」

今年、新生アルファロメオ・レーシングは、2007年のF1ワールドチャンピオンであるキミ・ライコネンとフェラーリ・アカデミー出身のアントニオ・ジョビナッツィがドライバーを務める。2019年F1マシンはF1プレシーズンテスト初日となる2月18日にカタロニア・サーキットのピットレーンでお披露目される。

アルファロメオとF1
アルファロメオは、1950年に始まったF1世界選手権でニーニョ・ファリーアンが初代1位獲得者として名を刻み、初代ワールドチャンピオンを獲得するなど、F1で素晴らしい血統を持っている。1年後にはファン・マヌエル・ファンジオがアルファロメオでワールドチャンピオンを獲得している。その後、1969年から1979年にF1チームにエンジンを供給したあと、1979年から1985年までワークスチームとして戦った。F1での最後のレースは1985年のF1オーストラリアGP。110のグランプリに参戦し、10勝を挙げている。元々、スクーデリア・フェラーリは、アルファロメオのドライバーだったエンツォ・フェラーリがドライバー仲間とともに設立し、アルファロメオのセミワークスチームとして活動を始めたことが起源。1951年イギリスGPで、フェラーリのマシンが古巣アルファロメオを破りF1初優勝した際のエンツォ・フェラーリの言葉「私は母親を殺してしまった」は有名である。

アルファロメオと四葉のクローバー
クアドリフォリオのシンボルマークは、優れた経験を誇りつつも、しばしば不運に泣かされたレーシングドライバー、ウーゴ・シヴォッチとともに1923年に誕生した。この年のタルガ・フローリオに向けて、シヴォッチは白い正方形に緑の四つ葉のクローバーをあしらったシンボルマークを自身のマシンのノーズに描き、幸運のお守りとしようと思いついた。そしてそのご利益は即座に現れ、彼は総合優勝を果たすことになった。1923年のタルガ・フローリオにおける優勝を契機に“クアドリフォリオ(四つ葉のクローバー)”はアルファロメオのレース活動の象徴となった。この紋章の価値は、タルガ・フローリオの勝者のウーゴ・シヴォッチの悲劇によって確立された。タルガ・フローリオの勝利から数か月後、モンツァ・サーキットで開催されていたヨーロッパGP予選中に、シヴォッチはコーナーでコースアウトして落命。その際、彼が搭乗していたアルファ ロメオP1にはクアドリフォリオが描かれていなかったことから、その後レースに参加するすべてのワークスマシンに、護符としてクアドリフォリオの紋章が掲げられることになった。1923年以降、アルファロメオのワークスマシンのボディには、幸運のお守りとしてクアドリフォリオが飾られることになった。亡きシヴォッチへのオマージュを捧げるため、それまで正方形だった白いベース部分は、一人が欠けたことを示す三角形とされた。

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カテゴリー: F1 / アルファロメオF1チーム