ジャスティン・ウィルソン
ジャスティン・ウィルソンが、日曜日のインディカーの事故で亡くなった。37歳だった。

ジャスティン・ウィルソンは、ポコノで行われたレースレース後半、クラッシュしたセイジ・カラムのマシンのボディーワークの大きな破片がヘルメットに直撃。直後にノーズからバリアに激突した。

すぐに安全クルーが現場に駆けつけ、頭部に外傷を負ったジャスティン・ウィルソンは、こん睡状態でリーハイバレー・ヘルスネットワーク・シーダークレスト病院にヘリコプターで搬送された。

しかし、意識が戻ることはなく、現地時間24日の午後に息を引き取った。

「8月23日(日)にポコノ・レースウェイでのベライゾン・インディカーのイベント中に負傷したジャスティンが今日逝去したことを、ジャスティン・ウィルソンの両親キース、リン、妻ジュリア、弟ステファンは深い悲しみと共に皆様にお知らせいたします」

「ジャスティンは愛情深い父であり、愛妻家であり、そして仲間から尊敬されている競争力の高いレーシングドライバーでした」

「リーハイバレー・ヘルスネットワーク・シダークレスト病院、ポコノ・レースウェイ、アンドレッティ・オートスポーツ、ベライゾン・インディカー・シリーズ、そして驚くほど沢山の応援をしてくださった世界中のファン皆様、レーシング界の皆様に、彼の家族として深く感謝いたします」

「家族はお花をいただく代わりに、ウィルソン児童基金にご寄付を賜りたくお願い申し上げます」

1978年生まれ、イギリス出身のジャスティン・ウィルソンは、インディカー(チャンプカー)で通算7勝。母国イギリスのフォーミュラカーシリーズで着々とステップアップし、2001年に出場した国際F3000でシリーズチャンピオンの栄冠を掴んだ。

2003年にはF1世界選手権への参戦をスタート。ミナルディ、ジャガーで16レースを戦った。

アメリカに渡ってインディカーに挑戦を始めたのは2004年。翌2005年には早くも2勝を挙げ、2006年、2007年、2008年、2009年にさらに1勝ずつをマークした。最初の6勝はロードコースで挙げたものだったが、2012年にはテキサスの1.5マイル・オーバルで激しい戦いの末に、念願のオーバル初優勝を勝ち取った。

ご冥福をお祈り致します。

このエントリーをはてなブックマークに追加

カテゴリー: F1 / インディカー