佐藤琢磨 インディ500 インディカーシリーズ
佐藤琢磨が、2018年にレイホール・レターマン・ラニガン・レーシングへの移籍を決断した経緯を語った。

今年、佐藤琢磨は名門アンドレッティ・オートスポーツに移籍し、アジア人として初めてインディ500を制した。誰もが来季もアンドレッティで活躍するものと考えていたが、佐藤琢磨は2012年に所属していたレイホール・レターマン・ラニガン・レーシングへの移籍を選んだ。

佐藤琢磨は10日(日)、都内でファンイベント『TAKUMA CLUB MEETING 2017』を開催。その場で移籍についての経緯を語った。

「僕としては、やっぱりシリーズチャンピオンになりたいんです」と佐藤琢磨は語り始めた。

「それには絶対的な速さと強さが通年を通してないとなれない。シリーズチャンピオンを獲りたいんですけども、2018年は新しいパッケージなる。でも、今年はホンダとシボレーで違う。エンジンだけでなく、空力特性が違った。2016年から2017年にかけてレギュレーションがフリーズになったので、16年に速いクルマは17年も速い、16年に遅いクルマは17年も遅いということになる。そうすると、ホンダのパッケージは非常に申し訳ないんだけど、シリーズチャンピオンはあまり現実的ではない。となったときに、狙うは一つ、インディ500だと」

「そうすると、インディ500で一番強いチームというと、当然ペンスキー、ガナッシの2つだけではなく、アンドレッティ・オートスポーツがある。僕としては、インディ500を獲りにいく、そのためにアンドレッティに行くと。2016年、アンドレッティは1-2だった。戦略の違いがあったんですけど、つまり、どういった状況でも速かったのは事実なので、17年も強いだろうと。そのときに、AJフォイト・レーシングの進路が変わってしまって、エンジンのメーカー変更があって、僕としてはホンダ系のチームでやっぱり走りたい」

「だから、他を探していて、26号車がそっくりそのままあって、そこには自分が昔いたエンジニアが待っていてくれて、とすべて揃っていたので、本当に二つ返事ではないけど、アンドレッティに行くと決めて、移籍したわけです」

「ところが、僕としては15号車がずっと気になっていたんです。2012年にボビーのところで走って、その後、お互いに違う道を行かざるを得なかったんだけど、ボビーは僕に来年一緒に走ろうとずっと言ってくれてた。でも、いろんな条件、チームの大きさだったり、体制だったりが整わなくて、実現しなかったんですね」

「18年に関しては、僕がインディ500を勝った今、ボビーとしては今言わないでどうするという話になって。僕としてはチームの契約があるし、そんな簡単には行かないんです」

「ところが、同じときにマイケルが『ちょっとエンジンメーカーが変更になる可能性がある。シボレーで走れるか』という質問があって、どっかで聞いたセリフですけど(笑)。で、『一回、持ち帰らせてくれ』と。で、日本に戻ってホンダにも相談して」

「そのときに例えば、F1の時も実はそうだったんだけれども、“待つ”という作業があったんですよ。でも、それって、結局自分の未来を誰かに委ねなきゃいけない。マイケルを信じて、でも、ファイナルシャルの状態とかいろいろ見ると、チームの中にいたんでわかるんだけども、本当にやばかったんですよ。で、シボレーに行く可能性がものすごい高くて」

「そうなると、ずっと契約で拘束されたまま、いろんなところが埋まり始めてて、ポンと放出される可能性があった。向こうとしてはインディ500に勝ったので放出なんてしないんです。ただ、もしシボレーのエンジンになったら、僕は走らないし、走れないんですよ」

「そうなったときにまた移籍ってなって、チームがまた戻るとか、下にいくとか嫌だったんで。インディ500獲ったらチャンピオンしかないでしょう。そしたら、ボビーのところしかないんですよね。でも、もちろん、アンドレッティと契約更新することもできました。ちゃんとオプション契約も持っている。でも、僕としては次のステップに行きたい

「なんでレイホールなのかというと。これまでアンドレッティ・オートスポーツは4台体制で、ペンスキーも4台体制、チップ・ガナッシも4台体制のなかで、グラハム・レイホールは1台でやってきた。で、ホンダのパッケージが苦しかった15年と16年、シングルカー体制でホンダ最上位だったんですよ。それぐらい安定している。ショートオーバル、スーパースピードウェイ、ロードコース、ストリートコース、すべての環境のなかで速くないとシリーズ争いの上位には入れないんです。しかも15年はチャンピオン争いをしている。今年も確かスコット・ディクソンには負けたんですけど、ホンダ2位なんですよね。そういうことを見ると、基本的なメカニカル、つまり空力サイドでは僕らはある意味ディスアドバンテージがあったわけで、それをカバーできるメカニカルグリップを彼らは持っている。それは僕はグラハムの真後ろで走っていたからよくわかる」

「で、来年はユニバーサルパッケージということで上側が全員一緒になるので、何が大事かと言うとメカニカルグリップなんです。アンドレッティはプラクティスで4台のなかで一番いいのを選んでいけるけど、彼らはとりあえずひとつの方向で行くしかない。適当にいくとレースは科学の世界なので駄目になっちゃうんだけど、彼らのエンジニアリングはちゃんと正しいところに戻ってくる。グラハムも時として予選を失敗することもあるんだけど、決勝は常に速いんですよ」

「それで僕は話を進めて、ボビー・レイホールのところに移籍することを決意したんです」

古巣に戻ることに関して佐藤琢磨「全然問題ないでよ」と語る。

「あの年は僕がインディカーに乗って初めての表彰台だったり、そして、インディ500はあとちょっとで勝てるところまで行って、すごく勢いのあるいいチームだった。ただ、小さかったし、エンジニアリングのメンバーもあれからごそっと一新して、非常に強くなった」

「僕としては26号車はやっぱり後ろ髪を引かれたというか、やっぱり彼らとともに作り上げてきたものというのは、間違いなくナンバー1のクルマですし、本当に彼らのサポートがあったからこそ僕は活躍ができたわけで、その人たちと一緒にできないのは非常につらかったですね。でも、みんな涙してたけど、俺らの絆は一生変わらない、どこに行っても応援していると言ってくれて。ただ、後ろを走ってねと(笑)。それはお互い様というか、非常に別れ惜しいけど、非常に素晴らしい環境のなかで送り出していただいて、感謝の気持ちしかないです」

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カテゴリー: F1 / 佐藤琢磨 / インディカー