F1特集 | 佐藤琢磨 歴代F1マシン
佐藤琢磨のF1キャリアを歴代マシンとともに振り返る。
2001年には日本人初のイギリスF3チャンピオンを獲得した佐藤琢磨は、2002年にジョーダンでF1デビュー。史上7人目の日本人フルタイムF1ドライバーとなった。ホンダF1チーム所属時の2009年の第9戦アメリカGPでは自己初、そして日本人ドライバーとしては14年ぶりとなる3位表彰台を獲得した。
スーパーアグリ撤退後にトロロッソのテストを受け、加入が確実視されたが、最終的には実現しなかった。
佐藤琢磨のF1初走行マシン。2000年のイギリスF3でシリーズランキング3位を獲得をした琢磨には、数チームからテストドライブの申し出があり、ジョーダンでのテストが実現。2000年12月7日、スペイン・ヘレスサーキットでジョーダン EJ10をドライブした。残念ながら雨のため午後のセッションはキャンセルとなり、午前中のみのテストとなった。初めてのF1マシンを琢磨は、「パワー、ダウンフォース、ブレ-キングとも、F3とはまったく違う」とコメントしている。
2000年12月18日には、B・A・Rのドライバー育成プログラムの一員としてバルセロナで行われたB・A・Rのテストに参加。翌年の1月15日のヘレステストでは、B・A・R 002でトラクションコントロールの開発とブレーキのテストを任せられ、最速タイムをマークした。
2001年1月12日、B・A・Rは佐藤琢磨をテストドライバーに起用することを発表。マーク・ハインズとの「オーディション」に競り勝ち、新人育成プログラムに参加、英国F3に参戦しながらテストドライバーを務めることになる。
2001年10月10日、ジョーダンは2001年英国F3チャンピオンの佐藤琢磨を2002年のレースドライバーに起用することを発表。佐藤琢磨は史上7人目の日本人フルタイムF1ドライバーとなった。冬季テストでは、前年マシンであるEJ11で多くの作業を行った。
佐藤琢磨のグランプリデビューマシン。ジョーダンチームの資金不足により、プレシーズン、シーズン中のテストもままならず苦戦が続いた。日本GPでは、予選7位、決勝では5位でフィニッシュし、F1初ポイントを挙げた。
2003年はB・A・Rのリザーブ兼テストドライバーとなった佐藤琢磨。全戦に帯同し、膨大な量のテスト走行をこなした。最終戦日本GPでは、翌年のシートを失うことが確実になっていたジャック・ヴィルヌーヴに代わり出走し、見事6位入賞を果たす。
B・A・Rのレギュラードライバーに昇格した2004年は、ヨーロッパGPで日本人初のセッションリーダー(予選1回目)、フロントロー獲得、ラップリーダーを記録、さらにアメリカGPで日本人最高位タイの3位フィニッシュを果たす。34ポイントを獲得した琢磨は、ドライバーズランキング8位でシーズンを終えた。
B・A・R 007は、レギュレーション変更への対応に苦戦し、開幕戦のオーストラリアGPから第3戦バーレーンGPまでは、1ポイントすら獲得できない状況に陥る。第4戦サンマリノGPでは5位でフィニッシュした琢磨だが、ホンダはレース終了後の車検で重量規定違反を問われ、サンマリノGPはレース失格となり、獲得したポイントを剥奪されたばかりでなく、第5戦スペインGP、第6戦モナコGPの出場停止処分が下された。この年、移籍を撤回したジェンソン・バトンに押し出されるカタチで佐藤琢磨は2006年B・A・Rでのレギュラードライバーの座を失うことになる。
2006年は、新規参戦チーム スーパーアグリF1チームから、参戦することとなった佐藤琢磨。SA05は、予定していたホンダの1年落ちのマシンB・A・R007が使えなくなり、4年落ちのアロウズA23をベースに、ホンダRA806Eエンジンを搭載。2006年のレギュレーションに適合させるためにエンジンの前後にスーペサーをいれて寸法を合わせたり、ギアボックスにあわせるためにエンジンを持ち上げるなどの対応が施された。4年落ちのマシンでは、新型タイヤのグリップを使いこなすことはできず、マシンバランスに苦労した。
第12戦ドイツGPで満を持して投入されたSA06。念願のホンダ製ギアボックスを搭載し、エンジンを本来の位置に搭載できるようになり、重量配分が向上。また、SA05と比較して20kgの軽量化がなされたため、セッティングの幅が広がった。特にエンジン搭載位置の低下とギアボックスのナロー化は、空力面に多くの貢献をもたらし、不足していたダウンフォースを確保。リアサスペンションのジオメトリーも一新され、コーナーリング時の挙動が大幅に改善された。
第14戦トルコGPから投入されたSA06B。アロウズA23の流れをくむツインキールのキール部を短くする改良が施され、ロワアームの取り付け位置が5cmほど引き上げられた。これにより、ジオメトリーも変更され、ゼロキールに近い空力特性を獲得。さらにアップライトの改良により、タイヤのリムが広がり、最新仕様のタイヤを使いこなせるようになった。シーズンを通して細かなエアロパーツを投入してダウンフォースの獲得に尽力。着実にポテンシャルをあげ、最終戦ブラジルGPで佐藤琢磨は10位完走を果たした。
スーパーアグリのデザインチームとホンダの栃木研究所によって共同開発されたSA07。2006年型ホンダRA106をベースに、2007年のレギュレーションにあわせた改良が施された。スペインGPでは新しいカーボンギアボックスを搭載。チムニーやウィングレット、リアウィングのパッケージなど、積極的なアップデートを行い、琢磨はスーパーアグリ初ポイントとなる8位入賞を果たした。そして、カナダGPでは、王者フェルナンド・アロンソをオーバーテイクし、6位入賞を果たす。その後も細かな改良が加えられ、最終戦ブラジルGPでも新しいリアウィングを持ち込むなど、限られた資金のなか健闘をみせた。このマシンでスーパーアグリは4ポイントを獲得した。
ホンダの2007年型マシンRA107をベースに、2008年レギュレーションにあわせてドライバーヘッドプロテクターを装着するなどしたRA107の改良型マシン。ギアボックスは、ホンダRA108搭載のものと同じもので、SA08は言わばRA107のフロントとRA108のバックエンドをあわせたようなハイブリッドマシン。資金不足よりシーズン前のテストもままならず、挙動はRA107の不安定さをそのまま引き継いでいた。チームはこの後、SA08Bを投入する予定であったが、スーパーアグリはスペインGP後にF1撤退を決定。わずか4戦の出走に終わった。
2008年シーズン途中でF1シートを失った琢磨だが、トロ・ロッソからテストのチャンスを与えられる。9月のヘレステストでは、前戦イタリアGPの優勝マシンであるこのSTR3でテストを実施。午後から雨が降り、午前中のみのテストとなったが安定したパフォーマンスを見せる。その後、11月のバルセロナ、12月のヘレスに再び招かれ、スリックタイヤと2009年を想定したエアロで走行。ヘレスではトップタイムを記録する印象的なパフォーマンスを披露した。「クルマからやってくる情報量が違う。初めてF1マシンに乗ったような気分になった」と語った。
カテゴリー: F1 / 佐藤琢磨 / F1マシン
2001年には日本人初のイギリスF3チャンピオンを獲得した佐藤琢磨は、2002年にジョーダンでF1デビュー。史上7人目の日本人フルタイムF1ドライバーとなった。ホンダF1チーム所属時の2009年の第9戦アメリカGPでは自己初、そして日本人ドライバーとしては14年ぶりとなる3位表彰台を獲得した。
スーパーアグリ撤退後にトロロッソのテストを受け、加入が確実視されたが、最終的には実現しなかった。
ジョーダン EJ10
佐藤琢磨のF1初走行マシン。2000年のイギリスF3でシリーズランキング3位を獲得をした琢磨には、数チームからテストドライブの申し出があり、ジョーダンでのテストが実現。2000年12月7日、スペイン・ヘレスサーキットでジョーダン EJ10をドライブした。残念ながら雨のため午後のセッションはキャンセルとなり、午前中のみのテストとなった。初めてのF1マシンを琢磨は、「パワー、ダウンフォース、ブレ-キングとも、F3とはまったく違う」とコメントしている。
BAR 002
2000年12月18日には、B・A・Rのドライバー育成プログラムの一員としてバルセロナで行われたB・A・Rのテストに参加。翌年の1月15日のヘレステストでは、B・A・R 002でトラクションコントロールの開発とブレーキのテストを任せられ、最速タイムをマークした。
BAR 003
2001年1月12日、B・A・Rは佐藤琢磨をテストドライバーに起用することを発表。マーク・ハインズとの「オーディション」に競り勝ち、新人育成プログラムに参加、英国F3に参戦しながらテストドライバーを務めることになる。
ジョーダン EJ11
2001年10月10日、ジョーダンは2001年英国F3チャンピオンの佐藤琢磨を2002年のレースドライバーに起用することを発表。佐藤琢磨は史上7人目の日本人フルタイムF1ドライバーとなった。冬季テストでは、前年マシンであるEJ11で多くの作業を行った。
ジョーダン EJ12
佐藤琢磨のグランプリデビューマシン。ジョーダンチームの資金不足により、プレシーズン、シーズン中のテストもままならず苦戦が続いた。日本GPでは、予選7位、決勝では5位でフィニッシュし、F1初ポイントを挙げた。
BAR 005
2003年はB・A・Rのリザーブ兼テストドライバーとなった佐藤琢磨。全戦に帯同し、膨大な量のテスト走行をこなした。最終戦日本GPでは、翌年のシートを失うことが確実になっていたジャック・ヴィルヌーヴに代わり出走し、見事6位入賞を果たす。
BAR 006
B・A・Rのレギュラードライバーに昇格した2004年は、ヨーロッパGPで日本人初のセッションリーダー(予選1回目)、フロントロー獲得、ラップリーダーを記録、さらにアメリカGPで日本人最高位タイの3位フィニッシュを果たす。34ポイントを獲得した琢磨は、ドライバーズランキング8位でシーズンを終えた。
BAR 007
B・A・R 007は、レギュレーション変更への対応に苦戦し、開幕戦のオーストラリアGPから第3戦バーレーンGPまでは、1ポイントすら獲得できない状況に陥る。第4戦サンマリノGPでは5位でフィニッシュした琢磨だが、ホンダはレース終了後の車検で重量規定違反を問われ、サンマリノGPはレース失格となり、獲得したポイントを剥奪されたばかりでなく、第5戦スペインGP、第6戦モナコGPの出場停止処分が下された。この年、移籍を撤回したジェンソン・バトンに押し出されるカタチで佐藤琢磨は2006年B・A・Rでのレギュラードライバーの座を失うことになる。
スーパアグリ SA05
2006年は、新規参戦チーム スーパーアグリF1チームから、参戦することとなった佐藤琢磨。SA05は、予定していたホンダの1年落ちのマシンB・A・R007が使えなくなり、4年落ちのアロウズA23をベースに、ホンダRA806Eエンジンを搭載。2006年のレギュレーションに適合させるためにエンジンの前後にスーペサーをいれて寸法を合わせたり、ギアボックスにあわせるためにエンジンを持ち上げるなどの対応が施された。4年落ちのマシンでは、新型タイヤのグリップを使いこなすことはできず、マシンバランスに苦労した。
スーパアグリ SA06A
第12戦ドイツGPで満を持して投入されたSA06。念願のホンダ製ギアボックスを搭載し、エンジンを本来の位置に搭載できるようになり、重量配分が向上。また、SA05と比較して20kgの軽量化がなされたため、セッティングの幅が広がった。特にエンジン搭載位置の低下とギアボックスのナロー化は、空力面に多くの貢献をもたらし、不足していたダウンフォースを確保。リアサスペンションのジオメトリーも一新され、コーナーリング時の挙動が大幅に改善された。
スーパアグリ SA06B
第14戦トルコGPから投入されたSA06B。アロウズA23の流れをくむツインキールのキール部を短くする改良が施され、ロワアームの取り付け位置が5cmほど引き上げられた。これにより、ジオメトリーも変更され、ゼロキールに近い空力特性を獲得。さらにアップライトの改良により、タイヤのリムが広がり、最新仕様のタイヤを使いこなせるようになった。シーズンを通して細かなエアロパーツを投入してダウンフォースの獲得に尽力。着実にポテンシャルをあげ、最終戦ブラジルGPで佐藤琢磨は10位完走を果たした。
スーパアグリ SA07
スーパーアグリのデザインチームとホンダの栃木研究所によって共同開発されたSA07。2006年型ホンダRA106をベースに、2007年のレギュレーションにあわせた改良が施された。スペインGPでは新しいカーボンギアボックスを搭載。チムニーやウィングレット、リアウィングのパッケージなど、積極的なアップデートを行い、琢磨はスーパーアグリ初ポイントとなる8位入賞を果たした。そして、カナダGPでは、王者フェルナンド・アロンソをオーバーテイクし、6位入賞を果たす。その後も細かな改良が加えられ、最終戦ブラジルGPでも新しいリアウィングを持ち込むなど、限られた資金のなか健闘をみせた。このマシンでスーパーアグリは4ポイントを獲得した。
スーパアグリ SA08A
ホンダの2007年型マシンRA107をベースに、2008年レギュレーションにあわせてドライバーヘッドプロテクターを装着するなどしたRA107の改良型マシン。ギアボックスは、ホンダRA108搭載のものと同じもので、SA08は言わばRA107のフロントとRA108のバックエンドをあわせたようなハイブリッドマシン。資金不足よりシーズン前のテストもままならず、挙動はRA107の不安定さをそのまま引き継いでいた。チームはこの後、SA08Bを投入する予定であったが、スーパーアグリはスペインGP後にF1撤退を決定。わずか4戦の出走に終わった。
トロ・ロッソ STR3
2008年シーズン途中でF1シートを失った琢磨だが、トロ・ロッソからテストのチャンスを与えられる。9月のヘレステストでは、前戦イタリアGPの優勝マシンであるこのSTR3でテストを実施。午後から雨が降り、午前中のみのテストとなったが安定したパフォーマンスを見せる。その後、11月のバルセロナ、12月のヘレスに再び招かれ、スリックタイヤと2009年を想定したエアロで走行。ヘレスではトップタイムを記録する印象的なパフォーマンスを披露した。「クルマからやってくる情報量が違う。初めてF1マシンに乗ったような気分になった」と語った。
カテゴリー: F1 / 佐藤琢磨 / F1マシン