キミ・ライコネンの2006年F1マシン「マクラーレン MP4/21」が競売
キミ・ライコネンの2006年F1マシン『MP4/21』が11月25日にアブダビで開催されるボナムスのオークションに出品される。このマシンは、モナコGPの途中でリタイア後にヨットでくつろぐ象徴的な写真に繋がったシャシーだ。

オークションに出品される2006年のF1マシンであるマクラーレン MP4/21のシャシー「02」は、ライコネンがバーレーンでの開幕戦から7月のマニクールでのフランスGPまでドライブした。

このシャシーが最終戦を迎える1レース前、ライコネンはモナコGPでF1放送局に“アイスマン”の瞬間を見せた。

Netflixの『Drive to Survive』でライコネンがぶっきらぼうな発言をするずっと前、そして2009年マレーシアGPで有名なアイスキャンディー事件が起こるずっと前、ライコネンはモナコGPでMP4/21をレース中にリタイアさせ、メディアの注目を集めた。

ライコネンはガレージでのチームとの再会することをやめ、モナコの港に停泊している自身のヨットでレースの残りを観戦することにした。

キミ・ライコネンのふざけた行動のおかげでMP4/21はF1の歴史に刻まれ、ボナムスが11月にアブダビで開催するオン・ザ・グリッド・セールに出品する際には250万~350万ドル(約3億6000万円~5億円)という高値がつくと予想されている。

キミ・ライコネン2006年モナコGP。エンジンから出火してリタイアした後、キミ・ライコネンはガレージではなくヨットに直行した。

MP4/21はモナコGPでのDNFで不朽の名車となったにもかかわらず、2006年はマクラーレンの高い期待に応えることができなかった。

マクラーレンは、2005年は10勝を挙げたものの、フェルナンド・アロンソとルノーにタイトルをさらわれたばかりであり、チームとライコネン、そしてチームメイトのファン・パブロ・モントーヤは2006年にもう一度タイトル獲得を狙っていた。

しかし、MP4/21はタイトル争いに必要なパフォーマンスを発揮できず、マクラーレンはルノーだけではなく、復活を遂げたフェラーリの後塵を拝し、0敗でコンストラクターズランキング3位でその年を終えた。

さらに悪いことに、コロンビア人のモントーヤが2007年のNASCAR参戦に向けて準備を進めているという噂をチーム代表のロン・デニスが耳にしたとき、モントーヤはシーズン途中でチームを去った。

2006年にはグランプリでの優勝を逃したにもかかわらず、ライコネンはMP4/21を6回の表彰台と3回のポールポジションに導き、シャシー「02」はその6回の表彰台のうち2回を獲得した。

この年がライコネンのマクラーレンのパートナーシップの最終年となり、ライコネンは2007年にフェラーリに移籍し、唯一のドライバーズタイトルを獲得した。

MP4/21は、2006年に2.4 リッター V8ルールが導入されたマクラーレン初のV8時代のマシンとしても記憶に残っている。搭載されたメルセデス製パワートレインは、約750ps/19,000rpmを発揮した。

このクロームカラーのF1史の一片は、今年後半にアブダビで開催されるボナムス主催のイベントで、マリオ・アンドレッティが1978年にタイトルを獲得したロータス79のクラシックF1マシンとともに脚光を浴びる予定だ。

ジョン・プレイヤー・スペシャルのカラーリングが施され、グラウンドエフェクトが施されたこの驚異的なマシンは、650万ドルから950万ドル(約9億4000万円~13億7600万円)とかなりの金額で落札される見込みだ。

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カテゴリー: F1 / キミ・ライコネン / マクラーレンF1チーム