ピエール・ガスリー レッドブルF1からの降格は「フェアではなかった」
ピエール・ガスリーは、2019年F1シーズン途中でのレッドブル・レーシングからの降格は「フェアではなかった」と考えており、ヘルムート・マルコと話し合うことを望んでいると付け加えた。

ダニエル・リカルドが2019年にレッドブルを離れルノーに移籍するという予期せぬ決断を下したことで、ガスリーはF1キャリアをスタートさせてわずか1年でシニアチームへの昇格を果たすことになった。

しかし、ガスリーはマックス・フェルスタッペンと並んでかなり苦戦し、マックス・フェルスタッペンは全ラウンドでガスリーを上回り、181ポイント対63ポイントと大差をつけた。

その結果、レッドブルは夏休み中にガスリーとアレクサンダー・アルボンの入れ替えを実施し、ガスリーを2軍(トロ・ロッソ)に降格させた。

ファエンツァを本拠地とするチームで一連の素晴らしい成績を残したにもかかわらず、ガスリーはレッドブルへの復帰は見送られ、最終的に今季アルピーヌF1チームへの移籍を選択した。

F1のポッドキャスト『Beyond the Grid』で、冬に退団して以来、レッドブルのアドバイザーであるマルコと話をしたかと尋ねられたガスリーは「いや、いつか話す機会があればいいんだけど、心の底では彼らが賢い人々であることは分かっている。彼らは特定の事柄について自分の意見を持っているかもしれませんけど、明白なことは明らかだ。そういうことなんだ」と語った。

「フェアではなかったけれど、とにかく、そういうことだった。スポーツは必ずしもフェアではないということも学んだ。アルファタウリを離れて、アルピーヌで新しいストーリーを開いたとき、ある意味で僕はその章を終えた。今では、経験、スキル、マインドフルネスのレベルに到達したと思う。ここれまでの経験のおかげで、昨日の自分よりも今日の自分が良くなっていると思う」

ピエール・ガスリー

レッドブルから解雇された後、ガスリーが初めて出走したスパ・フランコルシャンは、親友のアントワーヌ・ユベールがF2のクラッシュで亡くなったレースウィークエンドだった。

現在27歳のガソリーは、その喪失が人生へのアプローチを変えたことを認めている。

「ショックだった」とガスリーは振り返る。「携帯電話のフォトライブラリーで写真を見返していたら、アントワーヌと一緒に撮った学生時代の写真や、夏休み前にブダペストで食べた最後のディナーの写真が出てきたんだ」

「本当は出かける予定だったんだけど、最後の瞬間に行かなかった。行きたくなかったので、歩道から別れを告げただけを覚えている。今でも彼が友人の隣に立っているのが見える」

「こんなに若くして友人、しかもとても親しい友人を失うなんて、人生において誰も覚悟していないと思う。悲しいことに、親しい友人を失ったのはそれが初めてではなかった。それを乗り越えるのはとてもとても大変だった」

「でも、スパで起きたことをきっかけに、人生全般に対する考え方や、大切な人たちとの関係も変わったと思う」

「親しい人たちと過ごせる一秒一秒に感謝すること。それがいつ最後になるかわからないのだから」

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カテゴリー: F1 / ピエール・ガスリー / レッドブル・レーシング