ピエール・ガスリー 「レッドブルF1で対等に扱われているとは思えなかった」
アルファタウリ・ホンダF1のピエール・ガスリーは、2019年のレッドブル・レーシングでの失敗した期間を振り返り、“あのシートがしっくりくることは決してなかっただろう”と語る。

2018年にトロロッソでF1にフル参戦を開始したピエール・ガスリーは、5戦でポイントを獲得してチームメイトのブレンドン・ハートレーを快適に上回り、2019年に移籍したダニエル・リカルドの後任としてレッドブル・レーシングに昇格した。

チームメイトのマックス・フェルスタッペンに匹敵することはピエール・ガスリーにとって常に挑戦だったが、レッドブルF1のモータースポーツアドバイザーを務めるヘルムート・マルコの目には2019年シーズン途中でガスリーのパフォーマンス不足は無視できないほど重要だった。チームはガスリーをトロロッソに降格させ、アレクサンダー・アルボンと交代する決断をした。

しかし、ピエール・ガスリーは、最初から自分に対するチームと世間の両方の目が厳しかったと考えており、シーズンが展開してそれが膨らんでいっただけだったと振り返る。

「マシンで最初のミスをした瞬間から、そこにいる人々がゆっくりと攻撃し始めたように感じました」とピエール・ガスリーは The Player'sTribune のインタビューで語った。

「僕は冬季テストでクラッシュした、そして、その瞬間からシーズンは本当にうまくいかなかった」

「レッドブルとの最初の2レースは大変だったし、メディアは僕を食い尽くした。メディアで僕が言ったことは、言い訳に変えられて、誰も僕を支持することはなかった」

レッドブル・レーシングでの苦境を振り返り、ピエール・ガスリーは、ガレージの反対側に座っているマックス・フェスタッペンと比較して、常に公平に扱われたとは限らないことを示唆していた。

「マシンは完璧ではなかった。僕は毎週改善と学習に努めていた」とピエール・ガスリーは語った。

「でも・・・それについてはこう言えるだろう。僕にとって、レッドブルで他の人たちと同じようにサポートされ、扱われているとは思えなかった。大変な時期だった。そして、僕にとって・・・それは受け入れられないことだった」

「僕はチームのために結果を出すために毎日一生懸命頑張っていたけど、成功するために必要なすべてのツールを与えられていなかった」

「僕は解決策を提供しようとしたけど、僕の声が聞こえなかったか、変化が見られるまでに数週間かかった。どういうわけか、僕はそのシートにしっくりこなかった。とにかく、決してうまくいくことはなかった」

ピエール・ガスリーは、自分がようやく前進したと感じたF1ハンガリーGPの後、F1の夏休み中にトロロッソへの降格を言い渡された。
「チームプリンシパルであるクリスチャン・ホーナーに電話して、週末にレースで改善するためにもっとできることはないか、何ができるかを確認するためにガレージの僕サイドを詳しく見てもらえないかと尋ねた」とピエール・ガスリーは語った。

「クリスチャンはできる限りのことはしたと言った。そして、それでおしまいだった」

ピエール・ガスリーがレッドブルの“B”チームに復帰したのはスパ・フランコルシャンの土曜日に、彼は幼なじみのアントワーヌ・ユベールが亡くなるという悲しみに耐えた。

「僕はその準備ができていなかった」とピエール・ガスリーは振り返る。

「正直なところ、僕の心はさまよっていた。アントワーヌが昏睡状態かそれくらいのものだと思っていた。fでも、死? 死? そんなことが起こるなんて思っていもいなかった」

「僕は完全に壊れた。もう泣けなくなるまで泣いた。人生であれほど酷い気持ちを経験したことはない」

それでも、ピエール・ガスリーは、レースに集中し、9位でフィニッシュした。

その後の15か月で、ピエール・ガスリーは、バイザーを下ろし、アルファタウリとの2020年前半の強力なドライブで自信とイメージを回復することに集中した。

スパ・フランコルシャンで、親友のアントワーヌ・ユベールがなくなったラディオンで彼のことを考えるには時間がかかった。そして、個人的に振り返り、再びバイザーを上げることができた。

「本当にまた見れるようになった感じだった」とピエール・ガスリーは説明した。

「あの日、自分の欠片を見つけた。それを次のレースのモンツァに持っていった」

ピエール・ガスリーは、F1イタリアGPでセンセーショナルで非常に感情的な勝利を手にした。

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