セルジオ・ペレス「マクラーレン時代はレッドブルF1より過酷だった」
セルジオ・ペレスは、自身のF1キャリアで最も厳しかった時期はレッドブル・レーシング在籍時ではなかったと明かした。メキシコ出身のペレスは、EXMAのカンファレンスで、キャリア初期に経験した苦境について率直に語っている。

「マクラーレンは本当に厳しかった。あの頃はキャリアが始まったばかりだったからだ」とペレスは振り返る。

「2年目のシーズンで、しかも3つの異なるチーム、しかも3つともビッグチームと契約できるチャンスがあった。2年目だと、自分はF1を支配できると思ってしまうし、F1はもう自分には小さすぎる、誰もが自分を欲しがっている、と考えてしまう。そして決断を下したあとで、それが間違いだったと気づくんだ」

ペレスは2013年にマクラーレンへ移籍し、ジェンソン・バトンとコンビを組んだが、この1年はトラック内外で数多くの衝突や困難に見舞われたシーズンとなった。その前年、ペレスはザウバーで複数回の表彰台を獲得し、マレーシアGPでは優勝まであと一歩に迫る活躍を見せていた。

雨のレースとなったマレーシアでは、わずかなミスが命取りとなり、フェルナンド・アロンソが当時フェラーリでシーズン初勝利を挙げる結果となった。マシン自体は決して勝てる性能ではなかった中での勝利だった。

「F1で最も注目されるドライバーの1人から、翌年のシートを失う立場に一気に転落した。当時、F1参戦はまだ3シーズン目だった。4年目を迎えるはずの年に、僕にはドライブがなかった」とペレスは当時の心境を語る。

「幸いにも、神に感謝することに、フォース・インディアという素晴らしいチャンスが開けた。そこからとても良いストーリーを築くことができた」

同じカンファレンスでペレスは、レッドブル時代についても言及し、自身の役割は最初から明確だったと認めている。

「最初から、自分がどんな立場になるのかは分かっていたし、“システムに逆らう”ことはほとんどできなかった」

それでもペレスは、レッドブルで走る機会を与えられたことに対して感謝の気持ちを示した。現在は新たな章として、2026年からキャデラックF1での挑戦を控えており、バルテリ・ボッタスとコンビを組む予定だ。このラインアップは、グリッドで最も経験豊富な組み合わせのひとつになると見られている。

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カテゴリー: F1 / セルジオ・ペレス / マクラーレンF1チーム