フェリペ・マッサ 歴代F1マシン
フェリペ・マッサのF1キャリアを歴代のF1マシンとともに振り返る。
11月4日(土)、フェリペ・マッサは2017年シーズン限りでウィリアムズを離れるとともに、F1から引退することを発表した。
2002年にザウバーでF1デビューを果たしたフェリペ・マッサは、残り2戦を残して、11勝、41回の表彰台、16回のポールポジションを獲得している。
ザウバー C21 (2002年)
マクラーレンへ移籍したキミ・ライコネンの後任として、20歳312日という若さでF1デビュー。2戦目のマレーシアGPで6位入賞。第15戦イタリアGPではペドロ・デ・ラ・ロサとの接触により翌戦の10グリッド降格ペナルティを科せられた。ザウバー C21はウィリー・ランプが設計。ペトロナスのバッチをつけた1ね後のフェラーリ製エンジンを搭載。
ザウバー C23 (2004年)
フェラーリからの推薦によりザウバーからF1復帰。チームメイトはジャンカルロ・フィジケラ。ザウバー C23は、フェラーリと同型のTipo053エンジンとフェラーリの2003年型ギヤボックスを搭載するだけでなく、全体がフェラーリの前年モデルF2003-GAに酷似していた。
ザウバー C24 (2005年)
ザウバー製ギアボックスを搭載し、ミシュランタイヤを採用するなど、ザウバー色が強まったC24。レッドブルが自チームを設立したことでスポンサーを離脱。資金な状況は厳しくなり、第9戦アメリアGPでBMWへの買収を発表。
フェラーリ 248F1 (2006年)
ミハエル・シューマッハのチームメイトとしてフェラーリに加入。248F1は、2.4リッターV8エンジンを搭載したF1マシンから命名。第14戦トルコGPにて参戦4年目にして初ポールポジションを獲得。決勝レースでも安定した走りを披露し、初優勝をポールトゥウィンで飾った。
フェラーリ F2007 (2007年)
アルド・コスタが中心となって設計したフェラーリF2007。引退したミハエル・シューマッハの後任として加入したキミ・ライコネンにドライバーズタイトルをもたらした。
フェラーリ F2008 (2008年)
コンストラクターズチャンピオンは獲得したものの、ドライバーズチャンピオンはフェリペ・マッサがわずか1ポイント差でルイス・ハミルトンに敗れる。シンガールGPではは給油ホースを引きちぎって発車するという事件があった。
フェラーリ F60 (2009年)
レギュレーションが大幅に変更になった2009年。F60は「1950年のF1参戦開始から60年」を意味する。開幕戦からKERSを搭載するもトラブルに悩まさた。第10戦ハンガリーGPの予選でルーベンス・バリチェロのマシンから外れたスプリングがヘルメットに直撃。頭部に重傷を負って残りのシーズンを欠場した。
フェラーリ F10 (2010年)
レース中の給油が禁止となったシーズン。フェルナンド・アロンソがチームに加入。開幕戦でレース復帰したマッサは2位表彰台を獲得。第11戦ドイツGPでは悪名高い「Fernando is faster than you」の無線メッセージを伝えられる。
フェラーリ 150°イタリア (2011年)
当初はイタリアの統一から150周年を記念して、「F150」と命名されたが、「F-150」という名称の商標権をもつフォードから訴えられて車名を変更。
フェラーリ F2012 (2012年)
チームを離れたアルド・コスタに代わり、パット・フライが技術部門を統括してマシンを開発。開幕5戦で2ポイントしか獲得できないフェリペ・マッサには交代説が飛び交った。
フェラーリ F138 (2013年)
「西暦2013年+V型8気筒エンジン」から命名されたF138。このシーズンを最後に長年にわたって在籍していたフェラーリを離れ、ウィリアムズF1に移籍することになった。
ウィリアムズ FW36 (2014年)
マルティーニとスポンサー契約を結んで“マルティーニ・ストライプ”を纏ったFW36。メルセデスのパワーユニットを獲得。突起ノーズの先駆け的なマシン。フェリペ・マッサは第8戦オーストリアGPにてポールポジションを獲得し、3度の表彰台を獲得する。コンストラクターズ選手権3位に貢献する。
ウィリアムズ FW37 (2015年)
2度の表彰台を獲得して2年連続コンストラクターズ選手権3位に貢献する。
ウィリアムズ FW38 (2016年)
FW36からコンセプトを継続したFW38だったが、次第にライバルに開発面で遅れをよるようになり、コンストラクターズ選手権5位に転落する。第14戦イタリアGPの前に一度目の引退を表明する。
ウィリアムズ FW40 (2017年)
F1参戦40周年を記念してシャシー名称を「FW40」と命名。バルテリ・ボッタスのメルセデス移籍により、引退を撤回して復帰。ハンガリーGPでは体調不良を訴えて欠場。F1ブラジルGP前にシーズン末でF1から引退することを発表した。
カテゴリー: F1 / フェリペ・マッサ / F1マシン
11月4日(土)、フェリペ・マッサは2017年シーズン限りでウィリアムズを離れるとともに、F1から引退することを発表した。
2002年にザウバーでF1デビューを果たしたフェリペ・マッサは、残り2戦を残して、11勝、41回の表彰台、16回のポールポジションを獲得している。
ザウバー C21 (2002年)
マクラーレンへ移籍したキミ・ライコネンの後任として、20歳312日という若さでF1デビュー。2戦目のマレーシアGPで6位入賞。第15戦イタリアGPではペドロ・デ・ラ・ロサとの接触により翌戦の10グリッド降格ペナルティを科せられた。ザウバー C21はウィリー・ランプが設計。ペトロナスのバッチをつけた1ね後のフェラーリ製エンジンを搭載。
ザウバー C23 (2004年)
フェラーリからの推薦によりザウバーからF1復帰。チームメイトはジャンカルロ・フィジケラ。ザウバー C23は、フェラーリと同型のTipo053エンジンとフェラーリの2003年型ギヤボックスを搭載するだけでなく、全体がフェラーリの前年モデルF2003-GAに酷似していた。
ザウバー C24 (2005年)
ザウバー製ギアボックスを搭載し、ミシュランタイヤを採用するなど、ザウバー色が強まったC24。レッドブルが自チームを設立したことでスポンサーを離脱。資金な状況は厳しくなり、第9戦アメリアGPでBMWへの買収を発表。
フェラーリ 248F1 (2006年)
ミハエル・シューマッハのチームメイトとしてフェラーリに加入。248F1は、2.4リッターV8エンジンを搭載したF1マシンから命名。第14戦トルコGPにて参戦4年目にして初ポールポジションを獲得。決勝レースでも安定した走りを披露し、初優勝をポールトゥウィンで飾った。
フェラーリ F2007 (2007年)
アルド・コスタが中心となって設計したフェラーリF2007。引退したミハエル・シューマッハの後任として加入したキミ・ライコネンにドライバーズタイトルをもたらした。
フェラーリ F2008 (2008年)
コンストラクターズチャンピオンは獲得したものの、ドライバーズチャンピオンはフェリペ・マッサがわずか1ポイント差でルイス・ハミルトンに敗れる。シンガールGPではは給油ホースを引きちぎって発車するという事件があった。
フェラーリ F60 (2009年)
レギュレーションが大幅に変更になった2009年。F60は「1950年のF1参戦開始から60年」を意味する。開幕戦からKERSを搭載するもトラブルに悩まさた。第10戦ハンガリーGPの予選でルーベンス・バリチェロのマシンから外れたスプリングがヘルメットに直撃。頭部に重傷を負って残りのシーズンを欠場した。
フェラーリ F10 (2010年)
レース中の給油が禁止となったシーズン。フェルナンド・アロンソがチームに加入。開幕戦でレース復帰したマッサは2位表彰台を獲得。第11戦ドイツGPでは悪名高い「Fernando is faster than you」の無線メッセージを伝えられる。
フェラーリ 150°イタリア (2011年)
当初はイタリアの統一から150周年を記念して、「F150」と命名されたが、「F-150」という名称の商標権をもつフォードから訴えられて車名を変更。
フェラーリ F2012 (2012年)
チームを離れたアルド・コスタに代わり、パット・フライが技術部門を統括してマシンを開発。開幕5戦で2ポイントしか獲得できないフェリペ・マッサには交代説が飛び交った。
フェラーリ F138 (2013年)
「西暦2013年+V型8気筒エンジン」から命名されたF138。このシーズンを最後に長年にわたって在籍していたフェラーリを離れ、ウィリアムズF1に移籍することになった。
ウィリアムズ FW36 (2014年)
マルティーニとスポンサー契約を結んで“マルティーニ・ストライプ”を纏ったFW36。メルセデスのパワーユニットを獲得。突起ノーズの先駆け的なマシン。フェリペ・マッサは第8戦オーストリアGPにてポールポジションを獲得し、3度の表彰台を獲得する。コンストラクターズ選手権3位に貢献する。
ウィリアムズ FW37 (2015年)
2度の表彰台を獲得して2年連続コンストラクターズ選手権3位に貢献する。
ウィリアムズ FW38 (2016年)
FW36からコンセプトを継続したFW38だったが、次第にライバルに開発面で遅れをよるようになり、コンストラクターズ選手権5位に転落する。第14戦イタリアGPの前に一度目の引退を表明する。
ウィリアムズ FW40 (2017年)
F1参戦40周年を記念してシャシー名称を「FW40」と命名。バルテリ・ボッタスのメルセデス移籍により、引退を撤回して復帰。ハンガリーGPでは体調不良を訴えて欠場。F1ブラジルGP前にシーズン末でF1から引退することを発表した。
カテゴリー: F1 / フェリペ・マッサ / F1マシン