ホンダF1初勝利60周年 1965年カバーオールが完全復刻された舞台裏
ホンダが1965年のF1メキシコGPで初勝利を挙げてから60年。その節目にあたる記念イベントにおいて、当時のメカニックが着用していたカバーオールが、細部に至るまで忠実に復刻された。

数千時間に及ぶ調査と2度の日本渡航を経て実現したこのプロジェクトは、単なる記念品の制作にとどまらず、ホンダが積み重ねてきたF1の歴史と文化を「着られる形」で現代に甦らせる試みとなった。

クルマ文化とは何か
クルマ文化は、特定のジャンルや価値観に限定されるものではない。旧車、量産車、エキゾチックカー、あるいはよりニッチな自動車の世界に至るまで、その根底には「自動車文化が重要である」という共通認識が存在する。では、クルマ文化とは何を指し、どこまでを内包するものなのか。その問いは、しばしば明確な定義を持たないまま語られてきた。

今回のプロジェクトは、その問いに対し、ひとつの具体的な答えを提示するものだった。

パトリック・カレロとHonda Vintage Culture
このプロジェクトを主導したのは、Honda Vintage Cultureを手がけるパトリック・カレロである。カレロとの接点が生まれたのは、2024年のモントレー・カーウィーク終了後だった。ラグナ・セカで行われた、ホンダ初のF1優勝車によるデモンストレーション走行の取材時、日本から車両とともに帯同したチームの一部が、彼の制作したアイテムを着用していたことが、そのきっかけとなった。

この偶然の出会いが、のちにホンダF1初勝利60周年を巡る象徴的なプロジェクトへと発展していく。

デザインとホンダを結ぶ原点
カレロは幼少期からモノづくりに親しみ、15歳でレコーディングアーティストのロゴを手がけていた。カーネギーメロン大学ではグラフィックデザイン、インダストリアルデザイン、ビジネスを学び、これまでに40台以上のホンダおよびアキュラを所有してきた経歴を持つ。

木製カー・トイ「Automoblox」で成功を収めた後、ホンダとの関係が生まれた。カレロは当時を次のように振り返っている。

「大学に入った頃、本気でカーデザイナーになることを考えていた。Car Styling Magazineを定期購読していて、当時は1冊25ドルくらいしたと思う。その後は別の道に進んだけど、Automobloxを通じて、クルマをデザインするという夢やアイデアにもう一度戻ることができた。それがホンダにつながった。」

「僕のアイデア、あるいは提案はこうだった。『アメリカの家庭のリビングルームに入り込めたら、どれだけクールだろう?』って。大企業は消費者とつながるために、テレビ広告などに莫大なお金を使っている。でも、新しいホンダ・オデッセイを買った人が、同時にAutomobloxのオデッセイも手に入れたらどうだろう。オデッセイのAutomobloxがクルマと一緒についてきたらどうだろう、ってね。」

「Automobloxのプロジェクトで本当にクールだったのは、ホンダが実車が公開される1年半も前に、オデッセイのCADデータを渡してくれたことだ。最終的にそのプロジェクトは実現しなかったけど、ホンダブランドをアメリカのリビングルームに届け、消費者とブランドをつなぐという考え方こそが、まさに僕の専門分野なんだ。」

“着たいホンダ”という発想
その後、カレロはホンダファンが身に着けられるプロダクトの必要性を感じるようになった。

「ホンダのTシャツやフーディーを着てもらいたかった。でも、誰かに『なんでアコードやオデッセイの服を着ているの?』って思われるようなものにはしたくなかった。ホンダのクールな側面について語る必要があった。それで、豊かなレースの歴史に焦点を当てた。」

この発想から、ヴィンテージ・アキュラのTシャツ、HRCジャケット、ヴィンテージF1ギア、ウォールポスターなど、Honda Vintage Cultureのラインアップが形成されていった。

1965年、ホンダF1初勝利という原点
ホンダがF1で初めて勝利を挙げたのは1965年のメキシコGPだった。アメリカ人ドライバー、リッチー・ギンサーが、チャンピオンシップホワイトに塗られたV12エンジン搭載のRA272を駆り、日本メーカーとして初のF1勝利を達成した。

この歴史的瞬間から60年を迎えるにあたり、カレロはホンダに対して自ら提案を行った。

「60周年が近づいているから、『何かできると思う』と連絡したんだ。『サポートしたいし、いくつかアイデアがある』ってね。」

「1960年代のホンダチームジャケットのオリジナル写真を30〜40枚ほど見つけたけど、特に1965年に焦点を当てた。それでレプリカのジャケットを作ったら、『レースに間に合うように用意できる?』って聞かれた。」

「ジャケットの次に、幹部がメキシコで着るポロシャツのアイデアが出て、それも急いで用意した。そして一番のクラウンジュエルがカバーオールだった。これは最初から絶対にやりたかった。とにかく徹底的なリサーチが必要だと分かっていた。」

本田技研工業 F1

カバーオール復刻への徹底した調査
「Motorsport Imagesと連絡を取り、ライセンス契約を結んだ。そうすることで、アーカイブ写真に深く入り込むことができた。おそらく何万枚という写真を見た。その中で、1960年代のオーバーオールを見た瞬間、『これは信じられない。これは本当にすごい』と思った。」

「チームは1964年から1965年にかけてこのカバーオールを着用していた。でも調べていくと、同じものが二輪チームでも使われていたことが分かった。1958年か1959年頃からだ。違いは袖に“Car Racing Team”と書かれていたかどうかだけだった。」

「ホンダのライセンス部門の関係者が、モテギの博物館で展示されているカバーオールの写真を見せてくれた。ガラスケース越しに見たとき、『なんてことだ、これは本当にすごい』と思った。」

「アーカイブへのアクセスを許可してもらい、展示されていないものも含めて実物を出してもらった。写真を大量に撮り、いつか必ず作るつもりだった。」

「同時に、2着のセナのスーツも出してきた。ただし密閉されたバッグから出すことは許されなかった。それでも手に持つことができただけで衝撃的だった。」

細部に宿る再現性
「最初のサンプルは、市販ブランドのパターンを使った。でも気に入らなかった。」

「2度目の日本行きで、さらに細部を撮影し、何百もの寸法を測った。背中の“Honda Motor Tokyo”と袖の文字はフラットベッドスキャナーで取り込んだ。アートワークは完全に同一だ。」

「オリジナルは古くて少し不完全だけど、その不完全さも含めて再現した。当時はCADなんてなかったから、地元の作業着屋が持っていた文字を使って縫っていた。」

「写真が白黒ばかりで、色や素材を判断するのも簡単じゃなかった。」

「縫い目の幅、ステッチのパターン、バックルやストラップの寸法まで全部測った。サプライヤーが短期間で信じられないパターンを作ってくれたことには本当に感謝している。」

ホンダ・レーシング F1

メキシコで甦った歴史
完成したカバーオールは航空便で日本へ届けられ、その後メキシコへ運ばれた。記念イベントでは、角田裕毅がステアリングを握り、RA272が1965年に歴史を刻んだ同じサーキットを走行した。V12エンジンは13,000回転まで回り、当時を彷彿とさせるサウンドを響かせた。

それは、ホンダが過去だけでなく、現在、そして未来においても、オープンホイールレースという最も複雑で競争の激しい舞台をDNAとして持つメーカーであることを示す瞬間だった。

「歴史は作れない」
「ライセンス部門の人たちには本当に感謝している。ホンダ・ヘリテージ・コレクション・ミュージアムの人たちも信じられないほど協力的だった。」

「カバーオールは航空便で日本に届けられ、予定どおり間に合った。幹部たちはそれを着てメキシコのサーキットに向かい、本当に満足してくれた。」

「ホンダの情熱なしでは、これを成し遂げることはできなかった。ナイジェル・マンセルのウィリアムズF1を走らせるときも、ホンダは私の装備を着てくれている。」

「この話を伝えることが重要だと思っている。ホンダのアジアの競合は、同じ物語を語ることができない。存在しなかった歴史は作れない。こうしたブランドエクイティは、エンスージアストの未来にとって極めて重要だ。」

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カテゴリー: F1 / ホンダF1