ホンダ、F1撤退でモータースポーツに代わる新たな“軸”を模索
ホンダは、F1撤退をきっかけにモータースポーツというブランドイメージ代わる新たな“軸”を模索しようとしている。
ホンダと言えばモータースポーツというイメージは少なからずあった。しかし、今回のF1で頂点に上り詰めることなく撤退するという決定は、そのブランドイメージに少なからず傷をつけることとなった。
だが、ホンダのブランドコミュニケーション本部長を務める渡辺康治は、モータースポーツ活動は続けていくとしながらも、同社にとってそれが最も重要な“軸”ではなくなっていることを示唆した。
「ホンダ=モータースポーツ、レース活動というイメージはあったと思います。4輪で言えばF1、2輪で言えばMotoGPが頂点であり、常にモータースポーツが、ホンダのブランドを作ってきました」
「しかし、今の世の中、全体的としてのホンダブランドの見られ方が少し変わってきているのも事実です。例えば、以前はホンダに求められることとしてレースが一番上に来ていましたが、今は安全なクルマ、優れた品質のクルマ、ジェットなど、少しばらけてきているのは事実です」
「また、モータースポーツのイメージが、若い方々のベストテンから落ちているという状況であります。モータースポーツ活動が重要でないということではないですが、少しそういう状況になってきている」
「その中で我々もブランドとしては新たな軸を作って、きとんと世の中に伝えていくということをやらなければいけないと思っています。そこはもう少しはっきりさせないといけない」
「モータースポーツ活動そのものは続けていきたいですが、新しいホンダという軸を作っていきたい。F1は終了しますが、その他のカテゴリーのレースを続ける。それによって人を育てます。そして、ドライバー、ライダーの育成をしていく。モータースポーツ全体の振興を図っていくというところは変わらずやっていきたいと思っています」
では、その新しい軸とは何なのか。ホンダはF1撤退の理由として2025年のカーボンニュートラルの実現を挙げたが、渡辺康治の口からそれを軸にしていくという言葉は出なかった。
「少しお時間をいただきながらはっきりさせていきたいと思っています。今お話できるような状況ではありません」
ホンダは、創設者の本田宗一郎が“やるなら頂点を目指す”という目標を掲げてF1にチャレンジし、バブル期の1980年代にはアイルトン・セナが赤と白の“マクラーレン・ホンダ”で勝利を重ねて、F1というヘリテージを築いてきた。
それでも、渡辺康治はそれをうまく生かすことができていなかったと認める。
「そもそもヘリテージの使い方があまりできてないという認識があります。そこはF1をやめたからといって使わなくなるということではなく、さらにヘリテージとして今まで以上によい活用をしていく、ブランディングに使っていくという方向で考えています」
カテゴリー: F1 / ホンダF1
ホンダと言えばモータースポーツというイメージは少なからずあった。しかし、今回のF1で頂点に上り詰めることなく撤退するという決定は、そのブランドイメージに少なからず傷をつけることとなった。
だが、ホンダのブランドコミュニケーション本部長を務める渡辺康治は、モータースポーツ活動は続けていくとしながらも、同社にとってそれが最も重要な“軸”ではなくなっていることを示唆した。
「ホンダ=モータースポーツ、レース活動というイメージはあったと思います。4輪で言えばF1、2輪で言えばMotoGPが頂点であり、常にモータースポーツが、ホンダのブランドを作ってきました」
「しかし、今の世の中、全体的としてのホンダブランドの見られ方が少し変わってきているのも事実です。例えば、以前はホンダに求められることとしてレースが一番上に来ていましたが、今は安全なクルマ、優れた品質のクルマ、ジェットなど、少しばらけてきているのは事実です」
「また、モータースポーツのイメージが、若い方々のベストテンから落ちているという状況であります。モータースポーツ活動が重要でないということではないですが、少しそういう状況になってきている」
「その中で我々もブランドとしては新たな軸を作って、きとんと世の中に伝えていくということをやらなければいけないと思っています。そこはもう少しはっきりさせないといけない」
「モータースポーツ活動そのものは続けていきたいですが、新しいホンダという軸を作っていきたい。F1は終了しますが、その他のカテゴリーのレースを続ける。それによって人を育てます。そして、ドライバー、ライダーの育成をしていく。モータースポーツ全体の振興を図っていくというところは変わらずやっていきたいと思っています」
では、その新しい軸とは何なのか。ホンダはF1撤退の理由として2025年のカーボンニュートラルの実現を挙げたが、渡辺康治の口からそれを軸にしていくという言葉は出なかった。
「少しお時間をいただきながらはっきりさせていきたいと思っています。今お話できるような状況ではありません」
ホンダは、創設者の本田宗一郎が“やるなら頂点を目指す”という目標を掲げてF1にチャレンジし、バブル期の1980年代にはアイルトン・セナが赤と白の“マクラーレン・ホンダ”で勝利を重ねて、F1というヘリテージを築いてきた。
それでも、渡辺康治はそれをうまく生かすことができていなかったと認める。
「そもそもヘリテージの使い方があまりできてないという認識があります。そこはF1をやめたからといって使わなくなるということではなく、さらにヘリテージとして今まで以上によい活用をしていく、ブランディングに使っていくという方向で考えています」
カテゴリー: F1 / ホンダF1