F1史上初の6輪車「ティレル P34」がSUZUKA Sound of ENGINEに登場
株式会社モビリティランドは、鈴鹿サーキットにて2019年11月16日(土)・17日(日)に「SUZUKA Sound of ENGINE 2019」を開催。F1史上初の6輪車「ティレル P34」に加え、そのオーナーでもあり、元F1ドライバー、“ミスターミナルディ”こと、ピエルルイジ・マルティニの登場することを発表した。
鈴鹿サーキットは、モータースポーツの歴史的価値を絶やすことなく維持し続けるために、歴史に加え、現代から未来にスポットライトを当て、「SUZUKA Sound of ENGINE」を開催している。
ティレル P34
1976年のF1第4戦のスペインGPでパトリック・ドゥパイエに託されてデビューを果たし、第6戦モナコGPではドゥパイエのチームメートのシェクターが2位、ドゥパイエが3位とW表彰台を獲得。続く第6戦スウェーデンGPではシェクターがポールポジション、ドゥパイエも4番グリッドにつける速さをみせ、決勝では1-2フィニッシュを飾る。以降も表彰台の常連として活躍を続け、ドライバーズ・ランキングでシェクターが3位、ドゥパイエが4位、コンストラクターズでも3位という好成績でシーズンを終えることとなった。翌1977年シーズンに向けてさらなる改良を施されることになる。ボディはフルカバーされ空力的に洗練されたほか、フロントトレッドをさらに短縮。ドライバーにはシェクターに変わりロニー・ピーターソンを迎え、オフシーズンにポールリカールで行われたテストでは、ドゥパイエがコースレコードを記録。チャンピオンの有力候補に挙げられるまでになったが、タイヤ開発競争が過熱し、それまで順調だった歯車が狂い始め、次第に戦闘力が低下。カウルを前年型に戻したり、足りないフロントグリップを稼ぐために、空気抵抗低減のコンセプトを反故にするワイドトレッド化を施すなど、迷走を続けた。そんな状況の中でドゥパイエは一人奮起し、第15戦カナダGPで2位、そして最終戦となった第16戦日本GPで3位に入り、短かったP34の花道を飾った。その後、6輪のコンセプトは各チームによって研究が続けられ、マーチ、フェラーリがテストにまで漕ぎ着けたものの断念。1982年末にウィリアムズがリヤ4
輪のFW08Bを製作しテストで好結果を残すが、FIA(国際自動車連盟)は1983年からの4輪以外のマシンと4輪駆動を禁止するレギュレーションを発行。6輪車がグランプリ・シーンに登場する機会は永遠に失われてしまった。
ピエルルイジ・マルティニ
陽気なイタリアンF1チーム“ミナルディ”を、エースドライバーとして長らくチームを支えたのが、ピエルルイジ・マルティニ。1983年に史上最年少でヨーロッパF3選手権のチャンピオンを獲得し、1984年に予選不通過ながらもトールマンからスポット参戦でF1デビューを果たし、1985年にミナルディとともにF1へと進出。1988年、カナダGPをもってミナルディのエースだったエイドリアン・カンポスが引退したのを受け、デトロイトGPから急遽チームに合流。そのレースでチーム初となる6位入賞を果たすという快挙を成し遂げた。その後も1989年のイギリスGPでルイス・ペレス・サラとともにW入賞を果たし、予備予選入りを回避、ポルトガルGPでたった1周ながらもラップリーダーを記録。また1990年開幕戦のフェニックスGPでは予選で2番グリッドを獲得するなど、チーム史に残る成績を次々と残し、名実ともにミナルディのエースドライバーとなった。その後スポーツカー・レースに活動の場を移したマルティニは、1999年にル・マン24時間総合優勝を達成。レーサー生活の有終の美を飾った。レース引退後は実業家、投資家として活動をしているマルティニだが、過去に自身の乗っていたマシン、ラルトRT20、ミナルディM189を手に入れたのをきっかけにレーシングカーのコレクションに開眼。2017年には15歳の時にモナコGPで見て以来、憧れだったというティレルP34/5を入手。そして今ではP34/5に加え、P34/2も所有する世界屈指のティレルP34コレクターとなった。
SUZUKA Sound of ENGINE 2019 開催概要
■イベント名称: SUZUKA Sound of ENGINE 2019
■開催日: 2019年11月16日(土)・17日(日)
■開催場所: 鈴鹿サーキット国際レーシングコース&パドック
■チケット発売日: 各チケットは、9月15日(日)に発売いたします。
■開催カテゴリー:
<Formula 1>
年式を問わず、歴代のFormula 1が集うカテゴリー。昨年は日本国内のオーナーが所有するマシンを中心に10台が走行。
<Group C>
メーカーの威信をかけて開発されたモンスター“Group C”。今なお伝説として語られるマシンたちが、現代の鈴鹿サーキットに復活。
<60’s Racing Car>
1962年、日本初の本格的な国際レーシングコースとして鈴鹿サーキットが誕生。創生期の鈴鹿サーキットを駆け抜けた名車たちが再び鈴鹿サーキットに戻ってくる。
<Formula 3000 / Formula 2>
日本国内とトップカテゴリとして、数々のヒーローを誕生させた全日本F3000/F2選手権。モータースポーツを支えた懐かしいブランドロゴを纏ったフォーミュラカーが鈴鹿サーキットを彩ります。
<Historic Formula Register>
1960年代の葉巻型フォーミュラカーによるヒストリックレース デモンストレーション。30台近い迫力のスタートシーンは必見です。
<FL500>
日本のモータースポーツの黎明期において、数多くのトップドライバーを輩出したジュニア・フォーミュラのFL500が鈴鹿サーキットに集結。
<MOTORCYCLE HERITAGE>
60年代から70年代にかけて、日本のモーターサイクルスポーツを支えた2輪の貴重な名車が猛々しいサウンドを奏でます。7月11日(木)より参加応募を受付いたします。
<TIME TRAVEL PARKING>
クラシックカー・ビンテージカーの魅力を伝える展示イベント。懐かしい名車の思い出がよみがえる。
カテゴリー: F1 / F1マシン
鈴鹿サーキットは、モータースポーツの歴史的価値を絶やすことなく維持し続けるために、歴史に加え、現代から未来にスポットライトを当て、「SUZUKA Sound of ENGINE」を開催している。
ティレル P34
1976年のF1第4戦のスペインGPでパトリック・ドゥパイエに託されてデビューを果たし、第6戦モナコGPではドゥパイエのチームメートのシェクターが2位、ドゥパイエが3位とW表彰台を獲得。続く第6戦スウェーデンGPではシェクターがポールポジション、ドゥパイエも4番グリッドにつける速さをみせ、決勝では1-2フィニッシュを飾る。以降も表彰台の常連として活躍を続け、ドライバーズ・ランキングでシェクターが3位、ドゥパイエが4位、コンストラクターズでも3位という好成績でシーズンを終えることとなった。翌1977年シーズンに向けてさらなる改良を施されることになる。ボディはフルカバーされ空力的に洗練されたほか、フロントトレッドをさらに短縮。ドライバーにはシェクターに変わりロニー・ピーターソンを迎え、オフシーズンにポールリカールで行われたテストでは、ドゥパイエがコースレコードを記録。チャンピオンの有力候補に挙げられるまでになったが、タイヤ開発競争が過熱し、それまで順調だった歯車が狂い始め、次第に戦闘力が低下。カウルを前年型に戻したり、足りないフロントグリップを稼ぐために、空気抵抗低減のコンセプトを反故にするワイドトレッド化を施すなど、迷走を続けた。そんな状況の中でドゥパイエは一人奮起し、第15戦カナダGPで2位、そして最終戦となった第16戦日本GPで3位に入り、短かったP34の花道を飾った。その後、6輪のコンセプトは各チームによって研究が続けられ、マーチ、フェラーリがテストにまで漕ぎ着けたものの断念。1982年末にウィリアムズがリヤ4
輪のFW08Bを製作しテストで好結果を残すが、FIA(国際自動車連盟)は1983年からの4輪以外のマシンと4輪駆動を禁止するレギュレーションを発行。6輪車がグランプリ・シーンに登場する機会は永遠に失われてしまった。
ピエルルイジ・マルティニ
陽気なイタリアンF1チーム“ミナルディ”を、エースドライバーとして長らくチームを支えたのが、ピエルルイジ・マルティニ。1983年に史上最年少でヨーロッパF3選手権のチャンピオンを獲得し、1984年に予選不通過ながらもトールマンからスポット参戦でF1デビューを果たし、1985年にミナルディとともにF1へと進出。1988年、カナダGPをもってミナルディのエースだったエイドリアン・カンポスが引退したのを受け、デトロイトGPから急遽チームに合流。そのレースでチーム初となる6位入賞を果たすという快挙を成し遂げた。その後も1989年のイギリスGPでルイス・ペレス・サラとともにW入賞を果たし、予備予選入りを回避、ポルトガルGPでたった1周ながらもラップリーダーを記録。また1990年開幕戦のフェニックスGPでは予選で2番グリッドを獲得するなど、チーム史に残る成績を次々と残し、名実ともにミナルディのエースドライバーとなった。その後スポーツカー・レースに活動の場を移したマルティニは、1999年にル・マン24時間総合優勝を達成。レーサー生活の有終の美を飾った。レース引退後は実業家、投資家として活動をしているマルティニだが、過去に自身の乗っていたマシン、ラルトRT20、ミナルディM189を手に入れたのをきっかけにレーシングカーのコレクションに開眼。2017年には15歳の時にモナコGPで見て以来、憧れだったというティレルP34/5を入手。そして今ではP34/5に加え、P34/2も所有する世界屈指のティレルP34コレクターとなった。
SUZUKA Sound of ENGINE 2019 開催概要
■イベント名称: SUZUKA Sound of ENGINE 2019
■開催日: 2019年11月16日(土)・17日(日)
■開催場所: 鈴鹿サーキット国際レーシングコース&パドック
■チケット発売日: 各チケットは、9月15日(日)に発売いたします。
■開催カテゴリー:
<Formula 1>
年式を問わず、歴代のFormula 1が集うカテゴリー。昨年は日本国内のオーナーが所有するマシンを中心に10台が走行。
<Group C>
メーカーの威信をかけて開発されたモンスター“Group C”。今なお伝説として語られるマシンたちが、現代の鈴鹿サーキットに復活。
<60’s Racing Car>
1962年、日本初の本格的な国際レーシングコースとして鈴鹿サーキットが誕生。創生期の鈴鹿サーキットを駆け抜けた名車たちが再び鈴鹿サーキットに戻ってくる。
<Formula 3000 / Formula 2>
日本国内とトップカテゴリとして、数々のヒーローを誕生させた全日本F3000/F2選手権。モータースポーツを支えた懐かしいブランドロゴを纏ったフォーミュラカーが鈴鹿サーキットを彩ります。
<Historic Formula Register>
1960年代の葉巻型フォーミュラカーによるヒストリックレース デモンストレーション。30台近い迫力のスタートシーンは必見です。
<FL500>
日本のモータースポーツの黎明期において、数多くのトップドライバーを輩出したジュニア・フォーミュラのFL500が鈴鹿サーキットに集結。
<MOTORCYCLE HERITAGE>
60年代から70年代にかけて、日本のモーターサイクルスポーツを支えた2輪の貴重な名車が猛々しいサウンドを奏でます。7月11日(木)より参加応募を受付いたします。
<TIME TRAVEL PARKING>
クラシックカー・ビンテージカーの魅力を伝える展示イベント。懐かしい名車の思い出がよみがえる。
カテゴリー: F1 / F1マシン