青山博一
MotoGP 250クラスワールドチャンピオンを獲得し、トヨタのF1撤退をはじめ暗いニュースが続いた日本のモータスポーツ界に明るいニュースを届けてくれた青山博。2009年を振り返るとともに、MotoGPにステップアップする2010年の意気込みを語った。

MotoGP250クラスワールドチャンピオン達成、おめでとうございます。
ありがとうございます。まだ実感は沸きませんが、夢を叶えられて本当に嬉しいです。今までこだわって250に残ってきた甲斐があったなと思いますね。去年、一昨年とうまくいかなくて悔しいシーズンを送っていたので、今年250最後の年にこういう形でチャンピオンを取れて本当に嬉しいです。特にこの250最後のシーズンと言うのはデカいですね。

250クラスで世界チャンピオンを取ってからMoto GPクラスに行きたいという強い夢と信念を持っていましたよね。そのこだわりはどこから来ていたのですが?
そうですね、MotoGPクラス参戦に関しては、カワサキ、デュカティやヤマハなど、色んなチームからの話はあり、いつでも行けるチャンスはあったんですけど、やっぱり自分としては、けじめとして250でチャンピオンを取ってから行きたいというはっきりとした目標があったので、今までそういうオファーを断ってきていました。やっぱりひとつのカテゴリーを極められないといくら違うカテゴリーに行っても同じようなパターンになってしまうと思うんです。ひとつのクラスでチャンピオンを取ることによって自分の中にもリズムというかスタイルというか、何かひとつの形が出来ると思っていたんですよね。それが250だったら出来ると思ったし、今まで日本でも250を乗ってきて経験もあったし、やっぱり世界の舞台で僕のパフォーマンスを見せてチャンピオン取りたいというのはありましたね。

今シーズンは、Scotチームからの初参戦ながら、2戦目の母国日本GPで2位、3戦目のスペインで優勝して良い形でシーズンが進み、途中から年間チャンピオン「行けるかもしれない」というプレッシャーが出てきたと思うんですが、その辺はどういう感じで乗り切ったのですか?
そうですね、今年のシーズン初めは、たぶん誰も僕たちがチャンピオン争いをするなんて期待していなかっただろうし、僕たち自身もそういう体制ではないと思っていたし、厳しいだろうと思っていたので、僕もチームも驚きました。その中で、シーズンはじめにシングルフィニッシュしていったときの周りの反応、リアクションはやはりすごい大きなものがあったんですよ。それからシーズン中盤ぐらいからチャンピオンシップのリーダーにもなったし、「もしかしたらチャンピオン取れるかもしれない」という風になっていきました。シーズンの初めは4位とは5位でも周りはすごいと言ってくれて(青山選手はホンダの開発の止まった2年落ちのマシンでシーズンを戦っていた)、今度は逆にシーズン終盤になったら4位とか5位だと結果がよくないとか、流れがよくないと言われてしまって。ある意味いいことなんですけどね(笑)それだけ周りが期待してくれたという、シーズン初めとシーズン終わりでまったく違う立場になったし、まったく違う精神状態になっていたと思います。

その精神状態というのはどんな感じだったのですか?
今までずっと追う立場だったのが、シーズン半ばと終わりにかけては追われる立場で、特にシーズン最後ですね。最後の残り3戦はチャンピオンを自力で取れるポイント差もあったし、それだけにやっぱりここで勝てば決められるとか、そういう欲ではないんですが、いつもと違うプレッシャーがありました。

プレッシャーを乗り越えて優勝を達成したわけですけど、その達成できた自分に対する想いやチームに対する想いとはどんなものですか?ほんと今シーズンは厳しくて難しいシーズンだったし、決して簡単なシーズンではなかったんですね。でもいつもチームは、スタッフが夜遅くまでバイクを仕上げてくれて、いつもぼくのバイクは良いコンディションだったし、アプリリアと互角に戦えたし、やっぱりそういうところで僕はチームから力をもらったし、それがエキストラモチベーションになって今のこの結果に到達できたんだと思います。

本当に簡単なシーズンではなかったと思いますが、一番印象に残る出来事や、レースはありますか?
一番印象に残っているのは最後のレース(最終戦バレンシア)です。シーズン中では、初めからいい流れできて、中盤まで行って、最後ここぞと決めたいところで、ライバルであるシモンチェリがすごく連勝してきて、僕が逆にいい流れに乗れなくて、、オーストラリアのフィリップアイランドサーキットで、僕はすごく勝ちたかったんですね。でもそのレースで彼が勝って、僕が7位だったんですよ。やっぱりそこが今シーズン一番のターニングポイントというか、一番落ち込んだところですね。一番良くなかったところだし、でもその次のレースでもうひとつのターニングポイントが来て、マレーシアで僕が勝って彼が3位で、そこで21点差というポイント差を作って最終戦に乗り込めたので、そのオーストラリアのレースとマレーシアのレースというのが今シーズン大きなポイントになったと思います。

シーズンの途中でインタビューをしたときは、「ライバルはバウティスタ」と答えていたと思いますが、後半戦はシモンチェリに変わっていきましたね。シモンチェリに対してはどんな印象を持っていますか?
彼は去年シーズンの250クラスチャンピオンだし、彼が速いのは誰もが知っているし、いつもいいパフォーマンスを出しています。彼が完璧なコンディションの時はそう簡単に勝たせてもらえないですから。彼もチャンピオンというプライドもあっただろうし、他のライダーが出してないくらいの気迫を出していましたね。

最終戦(バレンシア)のレースもスタートから、青山選手はシモンチェリも含めて3台ぐらいでトップを競っていて、見ているほうからもやきもきしたんですが(笑)
僕はこの最終戦11位で、5ポイント取れば(たとえシモンチェリが優勝しても)チャンピオンが取れるというレースだったんですけれど、僕の中では11位でゴールしようというのはさらさらなくて、優勝目指して走っていました。それが故にちょっとリスクを犯しすぎて、危うく転倒しそうになってコースアウトしたんですけど、僕の中ではそれぐらいのリスクを負ってでも勝ちに行きたかったんですよね。

グラベル(コース外の砂利部分)に出てしまったときの心境、ガタガタするバイクを支えていたときはどんな気持ちだったんですか?
やってしまったというか、絶対転べないと思って。一度グラベルに出てポジションを落とすことは明らかだったんですけど、絶対転ばずにコース復帰しようと思って、何とかバイクを押さえこみました。コースに戻ってその後順位を見たら11位だったんですよ。それもちょっとびっくりだったんですけど、その後も11位では不安だったのでペース上げていって7位まで挽回して、最後の最後は結局ショモンチェリも転倒して、ここで確定だったんですけど、最後までレースって何があるかわからないんだなっていうのを改めて思い知らされました。

最終戦にしてものすごい危機を乗り越えたわけですが、シーズンを振り返るともっと辛かったこと、どうなってしまうだろうと思ったことなどはありますか?
僕の中ではどのレースも同じように厳しかったし、でも最後の3戦は精神戦だったと思います。僕は逆にポイントというアドバンテージを持っていたのでそれを精神戦でも有利に生かしました。相手(シモンチェリ)はもう行くしかない、リスクを犯すしかないですからね。僕もリスクは犯さないといけないですが、でも必要以上に犯さなくてもいいというのがあったので。まあ最後ちょっとリスクを負いすぎちゃいましたけどね(笑)。その辺がシモンチェリが転んだ要因でもあると思います。彼は僕のポジションが11位に下がるのを見て、気負いすぎたんだと思うんですよね。彼の中では僕が12位になって彼が優勝すればチャンピオンになれるのが分かっていたので、プッシュしすぎたんでしょう。そこが僕と彼の間に21ポイント差あったというアドバンテージなんだと思います。僕は逆に11位でコースに戻ったときにここで二つ目のミスをしなかったら良いんだと思えましたから。一応不安だったんで、7位まで挽回しましたけど、ピットからはポジション7でオッケーというサインが出ていましたし、余裕を持ってレースを終えられた。逆に相手側はまったく余裕がない、ギリギリまで攻めなくてはならない、僕は最後の精神戦でポイントを有利に使えたんです。

ポイントと精神戦をうまく制して7位という形でゴールして、喜びが爆発しましたよね。ゴールしたときの瞬間はどんな心境でしたか?
ありえないと思いましたね!!!僕が小さい頃、テレビを通して世界グランプリを見ていた頃は、そのときの偉大な先輩たち、岡田忠之選手とか加藤大治郎選手とか、往年のライダーの方々がテレビの中で活躍していたんですね。それを見て憧れていた僕が、今はそのテレビの中で走っていて、しかも僕がチャンピオンを取ったというのはありえないと思いましたね(笑)まだ実感はないですけど、嬉しかったです。僕の中では最終戦にチャンピオン争いをしているポジションでグリッドにつけただけで、本当に泣けるぐらい嬉しかったんです。今日、この日に目標としていたチャンピオン争いの可能性を持ってこのレースに挑めるということが本当にすごく嬉しかったんです。

いつも冷静なイメージがある青山選手ですが、ゴールした瞬間にバイクにまたがったまま立って喜びを最大限に表現していましたね。周りの人たちの喜びもすごかったのでは?
そうですね、現場で生のシーンを見ている方々はもちろんのこと、そうじゃなくても日本や他の国でテレビを見て応援してくれている方々もやっぱり喜んでくれたと思います。僕はここまで来るのに相当長い時間を費やしてきたし、その長い間に、ものすごく多くの人たちに会ってお世話になってきて、その人たちのおかげで今ここにいられるし、恩返しという意味でもチャンピオンを取れたということがものすごく嬉しかった。

今、日本のモータースポーツ界は、たとえばF1でのトヨタ、ブリジストンの撤退など、あまり良くないニュースが多いですが、そういう最中でMotoGPの250クラスのチャンピオンになりましたね。今の日本のモータースポーツ界に対する思いと、その中で自分が出来るようなことなどはどういう風に考えていますか?
今シーズンが始まる前に、僕の気持ちの中で思っていたのは、今の世の中、全体として元気がないじゃないですか、なので僕は一度失ったシートをまた与えてもらって、この得たチャンスを生かして、やっぱり応援してくれている人たちに少しでもいいニュースというか、いいエナジーを送りたいと考えていました。いつも応援してもらっているエナジーを返すというか、元気が出るニュースを日本に送りたいなと思っていたんですね。そういう気持ちで今シーズンに挑みました。

このシーズンをステップにして来年はMoto GPクラス参戦となるわけですが、新しいチーム、新しいクラス、青山選手自身の展望はいかがですか?
今日はじめてMoto GPのバイクでテストしたんですけど(インタビューは最終戦レース翌日)、まだバイクのフィーリングっていうのが掴めてないんですね。Moto GPのバイクは250と違ってカーボンブレーキという違う素材のブレーキを使っていて、そのブレーキの特性がまったく違うので、今はそのフィーリングがまったく掴めていません。もう少しバイクのフィーリングが掴めてきたら、僕の中でのクリアな目標点が見えてくると思います。

来年になったら新しいチームの新しいマシン(テストはScotのチームのMoto GPクラスのマシンを使用)でレースが始まりますが、来年の目標、また来年以降の青山選手のキャリアの目標であったりを、今はどう考えていますか?
今現在は、正直なところあんまり先々のことまで考えられていないですね。昨日まで本当にチャンピオン取ることだけを目標に、それだけを考えてやってきたので。今はとりあえずこの大事なチャンスをもらって、新しいバイクに乗って感覚をつかみたいというのが第一の気持ちで、その後先の展開というのはまだ自分の中で描けてないです。もう少し時間がたって落ち着いたら見えてくるんだと思います。

今回の青山選手の活躍で新しくファンになったような人たちもいると思います。今までのファン、これからのファンに、メッセージを願いします。
Moto GPクラスにステップアップするって言うのは僕の中で目標であり、夢だったんですね。その前に250のチャンピオンを取るというのがまたひとつの目標であり、夢だったんです。昨日その夢がひとつ叶って、今日は二つ目のMoto GPにステップアップするという目標をスタートすることが出来て、僕にとって本当にポジティブなステップを踏んでいます。もちろんMoto GPカテゴリーというのは世界最高峰のクラスで、バレンティーノ・ロッシや、ダニー・ペドロサという世界超一流のライダーが走っていて、そのライダー達と戦わなければいけないわけです。そう考えると、そう簡単にいい結果を残させてもらえないと思いますが、そういう有力な選手たちに絡んでいけるように僕も僕自身の実力をその中で磨いていって、彼らと競り合って行きたいと思っています。そういう気持ちでいるので、今後もどんどん皆さんには応援してもらいたいですね。まだまだな自分ですけが、今後も応援よろしくお願いします。

関連:青山博一、MotoGP 250ccクラスのチャンピオン獲得! - 2009年11月8日

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カテゴリー: F1 / F1関連 / MotoGP