フェルスタッペン フェラーリF1移籍の可能性に言及「感情では決めない」
マックス・フェルスタッペン(レッドブル)は、将来的にフェラーリへの移籍の可能性を否定しなかった。ただしその決断は「感情」や「ブランドの魅力」だけではなく、勝利できるチャンスがあるかどうかにかかっていると強調した。

イタリアGP(モンツァ)を前に記者団の質問に答えたフェルスタッペンは、ハミルトンのフェラーリでの苦戦についても言及。「簡単に結果を出せる環境ではない」とした上で、自身がもしフェラーリ入りを考えるなら「正しい場所だと感じた時だけ」と慎重な姿勢を示した。

フェラーリで走るという魅力は抗いがたいものがある。だがその一方で、そこには常に大きな重荷が伴ってきた。プレッシャー、内紛、 relentless(容赦ない)メディアの注目──これらすべてが情熱や感情、そしてF1界最高の社用車とともに付随してくる。

この“型”を作り上げたのはフェラーリの創始者、エンツォ・フェラーリだ。彼は自らを「人を扇動する者」と称し、特別なドライバー以外は単なる雇われ人と見なしていた。

1961年のF1ワールドチャンピオン、フィル・ヒルはこう書き残している。

「フェラーリのパフォーマンスに対する期待は組織全体に強い影響を与えており、ドライバーも例外ではなかった。レースはチーム全体で勝利する努力の集大成というより、まるで君というドライバーが渋々この珠玉のマシンを託されたような感覚だった。この天才の結晶を、君の本来持つ愚かさで壊してしまわないように願うしかなかったのだ。僕たちの誰かが勝っても、フェラーリがドライバーに祝福や感謝を示すことには消極的な雰囲気があった。むしろ勝利は二重にフェラーリのものだと感じていた。彼は他の全てのクルマよりも優れたマシンを作っただけでなく、ドライバーの破壊的な性質すら打ち負かすほどのマシンを作り上げたのだ、というように」

2025年、ルイス・ハミルトンはフェラーリで相当なプレッシャーの下にあるが、ここまでのところ期待通りの成果を出せていない。中国のスプリント勝利を除けば、チームメイトのシャルル・ルクレールに速さで優位に立つことができず、マシン自体もフロントランナーどころか勝てるポテンシャルを示すことさえ難しい状況にある。

今週、チーム代表のフレデリック・バスールは、ハミルトンをチームに統合する難しさを過小評価していたかもしれないと認めた。

そんな中、イタリアGP(モンツァ)を前にマックス・フェルスタッペンは、唯一まだ噂されていないトップチームであるフェラーリについて、そしてハミルトンのマラネロでの苦闘について質問を受けた。

「彼ら(フェラーリ)には来年も2人のドライバーが契約している。だから議論はない」とフェルスタッペンは英オートスポーツ誌などの取材陣に語った。
「可能性はあるか? もちろん、人生にはあらゆる決断のチャンスがある。今のところ視野にはないけど、誰にも分からない。僕自身、F1でどれくらい走り続けるかも分からない。未知のことがまだ多いんだ」

「正直、彼(ハミルトン)がメルセデスでどうだったのか、彼が個人的にどう感じているのか、フェラーリで今何が起きているのか、僕には何の情報もない。彼はすでに非常に強力なドライバーであるシャルル(ルクレール)がいるチームに加入したわけだから、すぐに入ってチームメイトを打ち負かすのは簡単じゃない。彼はチームに深く馴染んでいて、チームをよく知り、言語も話せるからね」

「でもF1のマシンは時にかなり複雑で、自分がなぜ速いのか、あるいは速くないのかを完全に理解するのは簡単じゃない」

マックス・フェルスタッペン F1 スクーデリア・フェラーリ

エンツォ・フェラーリは戦前の超危険なサーキットで名声を築き、その名を冠したチームは1950年の世界選手権初年度からF1の一部を成してきた。初戦には参戦しなかったが、それもブランドの本質に関わる事情からだった。当時は資金難で、イギリス遠征費用をどうするかを巡ってRAC(英国王立自動車クラブ)と合意できなかった。その往復書簡は今もシルバーストン博物館で見ることができる。

それほどの魔力を持つフェラーリには多くの人々が心を奪われ、冷静なキャリア志向を持つドライバーでさえ、勝てる体制ではないと分かっていてもマラネロに移籍してきた。だがフェルスタッペンは違う。

「フェラーリはとてつもなく大きなブランドだ。全てのドライバーが『フェラーリで走りたい』と自分を重ね合わせる。でもそれが間違いの元になる。ただフェラーリで走りたいから行く、ということになってしまうんだ」

「もし僕がいつかフェラーリに行きたいと思うなら、それは“フェラーリで走りたいから”じゃなく、“勝てるチャンスがある”と見ているからだ。そしてフェラーリで勝てたら、それはさらに特別なことになる。でもブランドの情熱や感情だけに流されてはいけない。そこが正しい場所だと感じるからこそ行くべきなんだ」

これはフェラーリへの暗号めいたメッセージと受け取れるだろうか。もしかするとフェルスタッペンは、かつてクリスチャン・ホーナーがトト・ヴォルフに言い放った言葉を借りてこう告げているのかもしれない──「クルマをちゃんと直せ(そしたら僕が乗ってやる)」と。

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カテゴリー: F1 / マックス・フェルスタッペン / スクーデリア・フェラーリ / レッドブル・レーシング / F1イタリアGP