F1ドライバーの初勝利:マックス・フェルスタッペン(2016年スペインGP)
マックス・フェルスタッペンがF1で初勝利を挙げたのはレッドブルでの初レースとなった2016年のF1スペインGP。F1最年少優勝記録を大幅に塗り替える18歳227日での初優勝を達成し、F1史上106人目のウィナーとなった。
2015年にトロロッソでF1デビューを果たしたマックス・フェルスタッペンは、デビュー戦のオーストラリアGPでは史上最年少出走(17歳165日)を記録。第2戦マレーシアGPでは予選6位から7位フィニッシュし、最年少入賞(17歳180日)も記録した。
2016年も引き続きトロロッソから参戦したマックス・フェルスタッペンは、第4戦ロシアGP後、ダニール・クビアトとのシート交換という形でレッドブルへ移籍することが決定。突然の交代の理由は「クビアトのプレッシャーを取り除くため」と説明されたが、「トロ・ロッソ内部の騒ぎを解消するため[」「フェルスタッペンがライバルチームに引き抜かれることを防いだという内情も明かされた。
第5戦スペインGPからレッドブルでF1を戦うことになったマックス・フェルスタッペンは、移籍初戦となるサーキット・デ・カタルーニャを舞台に素晴らしいパフォーマンスを見せ、見事なF1初優勝を記録した。
中盤にリードを奪ったフェルスタッペンだったが、後方からフェラーリのキミ・ライコネンによる激しいプレッシャーに晒され続けた。しかし、DRS圏内だったにも関わらず、2007年ワールドチャンピオンのライコネンはフェルスタッペンに対する0.5秒のギャップを最後まで埋めることはできなかった。かくしてフェルスタッペンはチェッカーフラッグを受け、F1での最年少優勝記録(18歳227日)・オランダ人ドライバーとしてのF1初優勝・F1での最年少リードラップ記録をすべてレッドブルへの移籍初戦で更新してみせた。
もちろん、マックスはレッドブル移籍前より将来を嘱望される若手ドライバーとして注目を集めてはいたが、このスペインGPを予選4位グリッドからスタートした彼の初優勝を予想できた者は誰ひとりとしていなかったはずだ。今回もメルセデスを駆る2人のドライバーが予選から圧倒的な速さを見せつけ、そのまま決勝レースでも彼らがフィールドを制圧するはずだと思われていた。
そのメルセデス勢が勝利を落とすとすれば、彼らに何らかのトラブルやアクシデントが起きた時に限られると思われていたが、今回のバルセロナではそれが現実となってしまった。予選2位からロケットスタートを決めたニコ・ロズベルグはスタート後1コーナーの進入でルイス・ハミルトンからリードを奪う。続く3コーナー、右に回り込む高速カーブで今度はハミルトンが早くも反撃を仕掛け、4コーナー進入のブレーキングでロズベルグのインサイドに飛び込む。しかし、ロズベルグが厳しくラインを寄せたため、ハミルトンはイン側の芝生にはみ出してしまう。突如グリップを失ったハミルトンのメルセデスはスピン状態に陥り、チームメイトのロズベルグに接触。そのまま2人はもつれ合ったまま4コーナー奥のグラベルへと消えていった。
かくして、大本命と思われていたメルセデスのスペインGP優勝はスタート後1分も経たないうちに可能性が消滅してしまった。アクシデント直後、モーターホームに引き上げたメルセデス首脳陣はチームメイト同士討ちという最悪の結果に対する善後策を協議。長い話し合いの後、首脳陣のひとりニキ・ラウダは以下のようにコメントした。「我がメルセデスの2台がたった2つのコーナーで揃ってレースから姿を消すなど、あってはならないことだ。ルイスがアグレッシブすぎたのは明らかだろう。ニコはレースをリードしていたのだから、どうしてわざわざルイスにスペースを与える必要がある? ニコに全く非がなかったとは言わないが、今回に関してはルイスにより多くの非があると言わざるを得ない」
1周目でメルセデスの2台が消えた後、戦列をリードしたのはレッドブルのダニエル・リカルド。2位にはフェルスタッペンが続き、3位にはスタート後の混乱でジャンプアップを果たしたトロロッソのカルロス・サインツが続き、後方にフェラーリのセバスチャン・ベッテルとライコネンを抑え込んでレース序盤が進行する。率直に言っても、これほどワクワクさせられる展開はここ最近のF1では長らく見られなかった。
息詰まる攻防が展開される一方、にわかに注目を集めたのは各ドライバーのタイヤ戦略。オフィシャルサプライヤーのピレリは理論上最も適しているとして2ストップ戦略を推奨していたが、レッドブルとフェラーリは共に各ドライバー間で戦略を分ける選択をし、リカルドとベッテルが3ストップを選び、フェルスタッペンとライコネンは2ストップで挑んだ。
そして、ベッテルが3回目のピットストップの際にリカルドに対するアンダーカットを成功させると、いよいよレースは手に汗握る終盤戦を迎える。タイヤの残りライフをケアしながらもDRS圏内で熾烈なトップ争いを続けるフェルスタッペンとライコネンの後方では、トップの2人よりも新しいタイヤでベッテルとリカルドが3位攻防戦を繰り広げる。レース残り20周の段階では、この4人のうち誰が勝ってもおかしくない展開が続いた。
しかし、最終盤になってリカルドの左リヤタイヤがパンクに見舞われて脱落。ライコネンは何度もフェルスタッペンのスリップストリームにつけながらも最後まで攻め落とすことが出来ず、フェルスタッペンが1位を守り切ったままチェッカーフラッグを受けた。その瞬間、F1の歴史は塗り替えられた。
マックス・フェルスタッペン (レッドブル)
「とても特別な気分だ。もちろん、優勝できるなんて予想もしていなかった。メルセデスの2人がクラッシュした後、表彰台を目標とするものだけど、まさかその頂点に立てたなんて信じられない。オランダ国家が初めてF1で流れて、父のことを考えずにはいられなかった。彼は泣いていたと聞いたけど、本当に信じられないよね。彼は僕のためにたくさんの時間を割いてくれたし、この業績は彼がいてくれたからでもある。レース中にナーバスでははなかった。とにかく集中してベストなドライビングをしていた。最後のストップを終えてから最後まで32周走らなければならなかったので、タイヤを持たせることにかなり集中していたけど、うまくいったよ! 残り5周でキミが少し落ちているのがわかった。彼は何度か抜こうとしていたので、もちろん、それでタイヤを傷めたんだろうし、そこからは『オッケー、これからはタイヤに集中してホームまで持ち帰ろう』と考えていた。この勝利は一生忘れないし、今はとにかく最高の気分だ。驚くべきことだし、言葉にならない。表彰台があのメンバーで良かった。キミは父ともレースをしていたなんて、とてもおかしいよね! インラップでは浮かれて騒ぎすぎて、ちょっとあちこち痛いけど、それも一部だ!」
カテゴリー: F1 / マックス・フェルスタッペン / レッドブル・レーシング
2015年にトロロッソでF1デビューを果たしたマックス・フェルスタッペンは、デビュー戦のオーストラリアGPでは史上最年少出走(17歳165日)を記録。第2戦マレーシアGPでは予選6位から7位フィニッシュし、最年少入賞(17歳180日)も記録した。
2016年も引き続きトロロッソから参戦したマックス・フェルスタッペンは、第4戦ロシアGP後、ダニール・クビアトとのシート交換という形でレッドブルへ移籍することが決定。突然の交代の理由は「クビアトのプレッシャーを取り除くため」と説明されたが、「トロ・ロッソ内部の騒ぎを解消するため[」「フェルスタッペンがライバルチームに引き抜かれることを防いだという内情も明かされた。
第5戦スペインGPからレッドブルでF1を戦うことになったマックス・フェルスタッペンは、移籍初戦となるサーキット・デ・カタルーニャを舞台に素晴らしいパフォーマンスを見せ、見事なF1初優勝を記録した。
中盤にリードを奪ったフェルスタッペンだったが、後方からフェラーリのキミ・ライコネンによる激しいプレッシャーに晒され続けた。しかし、DRS圏内だったにも関わらず、2007年ワールドチャンピオンのライコネンはフェルスタッペンに対する0.5秒のギャップを最後まで埋めることはできなかった。かくしてフェルスタッペンはチェッカーフラッグを受け、F1での最年少優勝記録(18歳227日)・オランダ人ドライバーとしてのF1初優勝・F1での最年少リードラップ記録をすべてレッドブルへの移籍初戦で更新してみせた。
もちろん、マックスはレッドブル移籍前より将来を嘱望される若手ドライバーとして注目を集めてはいたが、このスペインGPを予選4位グリッドからスタートした彼の初優勝を予想できた者は誰ひとりとしていなかったはずだ。今回もメルセデスを駆る2人のドライバーが予選から圧倒的な速さを見せつけ、そのまま決勝レースでも彼らがフィールドを制圧するはずだと思われていた。
そのメルセデス勢が勝利を落とすとすれば、彼らに何らかのトラブルやアクシデントが起きた時に限られると思われていたが、今回のバルセロナではそれが現実となってしまった。予選2位からロケットスタートを決めたニコ・ロズベルグはスタート後1コーナーの進入でルイス・ハミルトンからリードを奪う。続く3コーナー、右に回り込む高速カーブで今度はハミルトンが早くも反撃を仕掛け、4コーナー進入のブレーキングでロズベルグのインサイドに飛び込む。しかし、ロズベルグが厳しくラインを寄せたため、ハミルトンはイン側の芝生にはみ出してしまう。突如グリップを失ったハミルトンのメルセデスはスピン状態に陥り、チームメイトのロズベルグに接触。そのまま2人はもつれ合ったまま4コーナー奥のグラベルへと消えていった。
かくして、大本命と思われていたメルセデスのスペインGP優勝はスタート後1分も経たないうちに可能性が消滅してしまった。アクシデント直後、モーターホームに引き上げたメルセデス首脳陣はチームメイト同士討ちという最悪の結果に対する善後策を協議。長い話し合いの後、首脳陣のひとりニキ・ラウダは以下のようにコメントした。「我がメルセデスの2台がたった2つのコーナーで揃ってレースから姿を消すなど、あってはならないことだ。ルイスがアグレッシブすぎたのは明らかだろう。ニコはレースをリードしていたのだから、どうしてわざわざルイスにスペースを与える必要がある? ニコに全く非がなかったとは言わないが、今回に関してはルイスにより多くの非があると言わざるを得ない」
1周目でメルセデスの2台が消えた後、戦列をリードしたのはレッドブルのダニエル・リカルド。2位にはフェルスタッペンが続き、3位にはスタート後の混乱でジャンプアップを果たしたトロロッソのカルロス・サインツが続き、後方にフェラーリのセバスチャン・ベッテルとライコネンを抑え込んでレース序盤が進行する。率直に言っても、これほどワクワクさせられる展開はここ最近のF1では長らく見られなかった。
息詰まる攻防が展開される一方、にわかに注目を集めたのは各ドライバーのタイヤ戦略。オフィシャルサプライヤーのピレリは理論上最も適しているとして2ストップ戦略を推奨していたが、レッドブルとフェラーリは共に各ドライバー間で戦略を分ける選択をし、リカルドとベッテルが3ストップを選び、フェルスタッペンとライコネンは2ストップで挑んだ。
そして、ベッテルが3回目のピットストップの際にリカルドに対するアンダーカットを成功させると、いよいよレースは手に汗握る終盤戦を迎える。タイヤの残りライフをケアしながらもDRS圏内で熾烈なトップ争いを続けるフェルスタッペンとライコネンの後方では、トップの2人よりも新しいタイヤでベッテルとリカルドが3位攻防戦を繰り広げる。レース残り20周の段階では、この4人のうち誰が勝ってもおかしくない展開が続いた。
しかし、最終盤になってリカルドの左リヤタイヤがパンクに見舞われて脱落。ライコネンは何度もフェルスタッペンのスリップストリームにつけながらも最後まで攻め落とすことが出来ず、フェルスタッペンが1位を守り切ったままチェッカーフラッグを受けた。その瞬間、F1の歴史は塗り替えられた。
マックス・フェルスタッペン (レッドブル)
「とても特別な気分だ。もちろん、優勝できるなんて予想もしていなかった。メルセデスの2人がクラッシュした後、表彰台を目標とするものだけど、まさかその頂点に立てたなんて信じられない。オランダ国家が初めてF1で流れて、父のことを考えずにはいられなかった。彼は泣いていたと聞いたけど、本当に信じられないよね。彼は僕のためにたくさんの時間を割いてくれたし、この業績は彼がいてくれたからでもある。レース中にナーバスでははなかった。とにかく集中してベストなドライビングをしていた。最後のストップを終えてから最後まで32周走らなければならなかったので、タイヤを持たせることにかなり集中していたけど、うまくいったよ! 残り5周でキミが少し落ちているのがわかった。彼は何度か抜こうとしていたので、もちろん、それでタイヤを傷めたんだろうし、そこからは『オッケー、これからはタイヤに集中してホームまで持ち帰ろう』と考えていた。この勝利は一生忘れないし、今はとにかく最高の気分だ。驚くべきことだし、言葉にならない。表彰台があのメンバーで良かった。キミは父ともレースをしていたなんて、とてもおかしいよね! インラップでは浮かれて騒ぎすぎて、ちょっとあちこち痛いけど、それも一部だ!」
カテゴリー: F1 / マックス・フェルスタッペン / レッドブル・レーシング