ヤルノ・トゥルーリ:プロフィール
ヤルノ・トゥルーリ (Jarno Trulli)
所属:チーム・ロータス
カーナンバー:21
国籍:イタリア
生年月日:1974年7月13日
プロストチームでは、ウェットコンディションとなった1999年のヨーロッパGPで2位表彰台を獲得という結果を残した。その後、2000年にジョーダンチームへ移籍。すぐに頭角を現し、第7戦モナコGPと第13戦ベルギーGPでは予選最前列(2位)を獲得するという印象的な活躍を見せた。実際、このシーズン、全17戦中13戦で予選トップ10入りを果たしているが、決勝レースでは運に見放され、4位が最高位となった。翌年も予選を得意とする傾向は変わらず、17戦中15戦で予選4列目までに入っているが、決勝では4位2回がベストリザルトであった。
2002年、ルノーへ移籍。チームメイトのジェンソン・バトンよりは光る走りを見せたが、この年も最高位は4位に終わる。2003年は、新たなチームメイト、フェルナンド・アロンソとともに、最終的に最も競争力の高いパッケージを得られたシーズンとなった。この年、4年振りとなる表彰台を第12戦ドイツ(ホッケンハイム、3位)で獲得。そして2回の予選最前列スタート(第2戦マレーシア、第11戦イギリス、どちらも2番手)を果たした。
2004年は、ヤルノ・トゥルーリにとって注目すべき1年となった。彼は開幕戦から確実にポイントを獲得し、ついに第6戦モナコGPで、ポール・トゥ・ウィンという、彼のキャリアの中で最も輝かしい結果を果たす。その後、第14戦ベルギーGPでもポールポジションを獲得するが、中盤戦以降はフラストレーションの溜まるレースが続き、第15戦イタリアGP(モンツァ)を最後に、ルノーチームを去ることになった。
その後まもなく、彼はパナソニック・トヨタ・レーシングとの契約を発表。2004年の終盤2戦を、パナソニック・トヨタ・レーシングの一員として戦うことになった。そして、パナソニック・トヨタ・レーシングにとってこのシーズン予選最上位となる6番手を獲得(第17戦日本GP)するなど、貴重な経験を積んだ。
2009年末のトヨタF1撤退に伴い、2010年から新チームのロータス・レーシングに移籍。2011年もチーム・ロータスに名称を変更したチームに残留。
カテゴリー: F1 / ヤルノ・トゥルーリ / F1ドライバー / ケータハム
所属:チーム・ロータス
カーナンバー:21
国籍:イタリア
生年月日:1974年7月13日
ヤルノ・トゥルーリ プロフィール
ヤルノ・トゥルーリの名前は、カート世界選手権のチャンピオンとして、1996年にドイツF3を戦う前から知られていた。フラビオ・ブリアトーレの支援を受け、1997年の開幕戦オーストラリアGPにミナルディからF1GPデビュー。デビュー直後から好走を見せた彼は、シーズン半ばにして、怪我により欠場する事になったオリビエ・パニスに代わって、プロストチームへ移籍。第10戦ドイツGPホッケンハイムで4位に入り、第14戦オーストリアGPでは、大方の予想に反し、3番手グリッドから首位を快走。エンジントラブルでリタイアを強いられたが、その走りはF1界に驚きを与えた。シーズン終盤、オリビエ・パニスが復帰したことで一旦シートを失うが、翌年から2シーズンに渡り、オリビエ・パニスのチームメイトとしてプロストチームのレギュラードライバーに登用されることになった。プロストチームでは、ウェットコンディションとなった1999年のヨーロッパGPで2位表彰台を獲得という結果を残した。その後、2000年にジョーダンチームへ移籍。すぐに頭角を現し、第7戦モナコGPと第13戦ベルギーGPでは予選最前列(2位)を獲得するという印象的な活躍を見せた。実際、このシーズン、全17戦中13戦で予選トップ10入りを果たしているが、決勝レースでは運に見放され、4位が最高位となった。翌年も予選を得意とする傾向は変わらず、17戦中15戦で予選4列目までに入っているが、決勝では4位2回がベストリザルトであった。
2002年、ルノーへ移籍。チームメイトのジェンソン・バトンよりは光る走りを見せたが、この年も最高位は4位に終わる。2003年は、新たなチームメイト、フェルナンド・アロンソとともに、最終的に最も競争力の高いパッケージを得られたシーズンとなった。この年、4年振りとなる表彰台を第12戦ドイツ(ホッケンハイム、3位)で獲得。そして2回の予選最前列スタート(第2戦マレーシア、第11戦イギリス、どちらも2番手)を果たした。
2004年は、ヤルノ・トゥルーリにとって注目すべき1年となった。彼は開幕戦から確実にポイントを獲得し、ついに第6戦モナコGPで、ポール・トゥ・ウィンという、彼のキャリアの中で最も輝かしい結果を果たす。その後、第14戦ベルギーGPでもポールポジションを獲得するが、中盤戦以降はフラストレーションの溜まるレースが続き、第15戦イタリアGP(モンツァ)を最後に、ルノーチームを去ることになった。
その後まもなく、彼はパナソニック・トヨタ・レーシングとの契約を発表。2004年の終盤2戦を、パナソニック・トヨタ・レーシングの一員として戦うことになった。そして、パナソニック・トヨタ・レーシングにとってこのシーズン予選最上位となる6番手を獲得(第17戦日本GP)するなど、貴重な経験を積んだ。
2009年末のトヨタF1撤退に伴い、2010年から新チームのロータス・レーシングに移籍。2011年もチーム・ロータスに名称を変更したチームに残留。
カテゴリー: F1 / ヤルノ・トゥルーリ / F1ドライバー / ケータハム