スーパーアグリのF1撤退を考える
スーパーアグリのF1撤退には、カスタマーマシン問題が大きな障壁となった。

スーパーアグリがエントリーした翌年の2006年、F1は2008年のエントリーを行った。募集は1枠。その1枠という狭き門に22ものチームがエントリーした。

なぜそんなにも多くのチームがエントリーしたのか?

当時、新しいコンコルド協定では、他のチームからのシャシー購入、いわゆるカスタマーマシンの使用が許され、FOMからの賞金の分配などの条件も良くなることになっていた。他チームのマシンを購入することができれば、チーム運営のコストは大幅に抑えることができる。

スーパーアグリが2005年末にわずか4ヶ月という期間で“奇跡の参戦”をしたのは、狭き門となる2006年のエントリー前にF1の世界へ飛び込むという意図があった。

しかし、状況は変わった。プライベートチームであるウィリアムズとスパイカー(現フォース・インディア)がカスタマーマシンの使用に異論を唱え、新しいコンコルド協定では、2008年と2009年の2年間はカスタマーマシンを認めるものの、2010年からは独自のシャシーを設計・製造しなければならなくなった。

それにより、マクラーレンからシャシーを購入し参戦予定だったプロドライブは参戦を断念。またレッドブルのマシンを使用するトロ・ロッソも2010年までのチーム売却を発表した。

カスタマーマシンは供給する側にもメリットがあった。コスト削減が進められているF1では、テストの走行距離が制限された。仮に1チームにシャシーを提供すれば、4台分のデータを収集できることになる。しかし、新しいコンコルド協定により、そのメリットもなくなった。

現在、F1チームの運営には小さなチームでも100億円、トップチームでは400億円以上の費用をかけていると言われている。

ホンダのシャシーを使用しているスーパーアグリには、その費用に加えて、2010年から独自にマシンを製造するリソースも必要となった。

“財政難”や“ホンダの支援”といったキーワードが取りざたされたスーパーアグリのF1撤退だが、直接の原因は、このカスタマーマシン問題にあった。
(F1-Gate.com)

このエントリーをはてなブックマークに追加

カテゴリー: F1 / スーパーアグリ