レッドブルF1代表、チームのF1通算300レースを振り返る
レッドブルのF1チーム代表を務めるクリスチャン・ホーナーが、F1通算300レースを振り返った。

レッドブル・レーシングは、2020年のF1世界選手権 第14戦 F1トルコGPでF1通算300戦を迎えた。残念ながら、結果は、マックス・フェルスタッペンが6位、アレクサンダー・アルボンが7位と振るわなかった。

F1トルコGPの決勝に先立ち、クリスチャン・ホーナーが、レッドブル・レーシングのこれまでの歴史とイスタンブールの思い出を語った。

「11月15日に決勝レースが開催される2020シーズンのトルコGPで、レッドブル・レーシングはF1通算300レースを記録する。私たちはF1デビューを果たした2005シーズンからコンストラクターズチャンピオン4回、ドライバーズチャンピオン4回、優勝63回、表彰台180回を獲得してきた」とクリスチャン・ホーナーは語った。

「山あり谷ありではあったが、チーム全員がこれまでに成し遂げてきた功績を誇りに思っている。私は記録に拘るタイプではないが、今回の記録は非常に大きなものだ。チームは今日まで素晴らしい旅を続けてきたが、本当にあっという間だった」

「2005年1月に行われたコンコルド協定の会合を今も鮮明に記憶している。当時のチームプリンシパルが全員集合しており、私は初参加だった。私はまだ31歳で、バーニー(エクレストン)のような重鎮たちがマックス・モズレーとその場を仕切っていた。マクラーレンのロン・デニスとマーティン・ウィットマーシュは同じペンとフォルダ、シャープなスーツで揃えていた。フラビオ・ブリアトーレは騒々しかった。エディ・ジョーダンもいて、フェラーリはジャン・トッドを送り込んでいた。ペーター・ザウバーとサー・フランク・ウィリアムズもいた。錚々たる面々が揃っていた」

「会合は特にスケジュールが決められておらず、おそらく会合の前にすでにマックスと合意に至っていたと思われるテーマを、バーニーが次から次へ挙げていく感じだった。ロンとフラビオが揉め、ジャン・トッドはひとつも同意しなかった。会合は何時間も続いたが、私たちは大した成果を得られずにいた。しかし、最後はその場にいた全員が “今日は実に有益な会合だった” という意見で一致した。私は軽く混乱した状態でその場を去った。当時の私はまだこの世界を理解しようとしている段階だった」

「そして、私たちはF1デビュー戦のためにメルボルンへ向かった。私にとってもレッドブル・レーシングにとっても初のGPだった。レッドブル・レーシングが企画したピンク(アーティスト)のコンサートが開催され、決勝レースではジャガー・レーシング(編注:レッドブル・レーシングの前身に相当)の2004シーズン総獲得ポイントを上回るポイントをいきなり獲得できた。当時の私は獲得ポイントに応じて給与が支払われる出来高制の契約だったので、とてもハッピーだった(笑)。デビッド・クルサードが4位でフィニッシュしたおかげで、チームは素晴らしいスタートを切れた。また、レッドブルも最高の形でF1デビューを果たすことができた」

初タイトル獲得から10年
「チームが初タイトルを獲得してからもう10年が経ったとはにわかに信じられない。2010年11月14日のアブダビGPでセバスチャン・ベッテルがドライバーズチャンピオンを獲得し、レッドブル・レーシングもコンストラクターズチャンピオンを獲得した」

「当時、この成功をきっかけにしてチームが大きな成長を遂げるようになることを予想するのは不可能だった。フェラーリ(当時)のフェルナンド・アロンソが暫定首位に立ちつつ、ドライバー4人にタイトルの可能性が残された状態でシーズン最終戦を迎えたのは、F1にとっては最高の展開だった」

「私たちは2011シーズンに支配力を強めることに成功したが、2012シーズンは再びギリギリの厳しい戦いとなった。しかし、2013シーズンは強さを取り戻した。V8時代最後のシーズンだったが、ルノーと共に勝利を祝うことができた。勝利は麻薬のようなものだ。徐々にその味に取り憑かれていき、勝てなければ気分が優れなくなっていく。しかし、今もチームの目標は勝利であり続けている」

「メルセデスはコンストラクターズタイトルを7回も獲得し、大きな成功を収めている。彼らとルイス・ハミルトンが成し遂げてきたことには敬意を払う必要がある。彼らはハードルを大きく高めたが、私たちはその高さに挑みたいと思っている。スポーツには運が付きものなので、上手く上昇気流に乗り、常にタイトル争いに絡めるようにしておきたい」

「これまで獲得したすべてのトロフィーがファクトリーに飾られているが、毎日私が眺めるのはチャンピオントロフィーだ。誰もが自分の名前を刻みたいこのトロフィーは、私たちの目標であり続けている」

トルコGPの思い出
「前回のトルコGPは2011シーズンで、私たちは4ストップ戦略でワンツーフィニッシュを記録できたが、その前の2010シーズンは、同じくセバスチャンとマーク(ウェバー)を擁しながらもやや残念な結果に終わった」

「2010シーズンのトルコGPは苛立ちが募るレースになった。ワンツーフィニッシュを狙えたのに3位表彰台(ウェバー)のみに終わり、最大のライバルに最大ポイントを渡してしまったからだ(編注:メルセデスがワンツーフィニッシュ)。このレースではセバスチャンとマークが激しくやり合っていた。マークは表彰台に何とか残れたが、このレースが2人の確執のきっかけとなった」

「その2週間前、私たちはモナコGPでワンツーフィニッシュを記録していた。チームはピークを迎えていた。しかし、それからたった2週間後、1台がフェンスに突っ込み、1台がダメージを受けながら何とか3位表彰台に入るというレースをしてしまった。同じチームのドライバー2人が争っている姿は見たくないし、確執は最も避けたいことだ」

「トルコGPのあと、2人に頭を冷やしてもらうために、私たちは彼らをロンドンのグレート・オーモンド・ストリート病院に入院している子供たちの慰問へ向かわせた。2人の関係はかなり緊迫していたので、自分たちよりも厳しいチャレンジに直面している人たちがいることを教えることがとても重要だった」

「そんなことがあったが、トルコGPは毎回楽しんでいる。トルコを初めて訪れた2005シーズンを良く覚えている。レーストラックとの往復用にドライバーを1週間雇ったのだが、彼から交通渋滞で効果を発揮するという青い警光灯を自慢げに見せられた。しかし、私たちがいざ交通渋滞にはまり、彼がその警光灯を点灯させても、何も起きなかった。そして私たちの車が動かなくなると、20台ほどの他の車が同じ警光灯を点灯させた。その警光灯はただのカーアクセサリーだったというわけだ。ほとんど役に立たなかった(笑)」

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カテゴリー: F1 / レッドブル・レーシング