レッドブルF1代表、激動のF1ハンガリーGPの週末を振り返る
レッドブル・ホンダF1のチーム代表を務めるクリスチャン・ホーナーが、2020年のF1世界選手権 第3戦 ハンガリーGPの週末を振り返った。
マックス・フェルスタッペンがハンガリーGP決勝レースのスターティンググリッドに着く前にクラッシュした瞬間、誰もが彼の出走を疑った。しかし、メカニックたちが超人的なハードワークで彼のRB16を超高速で修復したため、マックスはレースに出走できたばかりか、2位表彰台も獲得した。
レッドブル・ホンダF1のチーム代表クリスチャン・ホーナーが、ローラーコースターのように激しいレースウィークエンドとなった202年の第3戦ハンガリーGPと第4戦イギリスGPの舞台シルバーストンの思い出について語った。
マックス・フェルスタッペンのクラッシュ
アウトラップをモニタリングしていると、まず、ターン6・ターン7でマックスが外へ膨らんだのが見えた。そして、どこでグリップが得られるのかを確認しようとしていたマックスは、ターン12へ向かいながら8速に合わせようとした。8速に合わせるためには全開で走る必要があるのだが、当日のサーキットの路面状態はマックスが思っていたよりも滑りやすく、タイヤもまだ冷えていた。彼がバリアに突っ込んだ瞬間はチーム全員が目を疑った。
幸運なことに、マックスのエンジンは無事だったので、バリアから戻ることができた。ダメージがどれだけ深刻なのかは分かっておらず、彼をピットへ呼び戻すかどうかをすぐに判断しなければならなかった。しかし、ピットではなくグリッドへ向かわせることにした。グリッド上で作業が終われば、ポジションを失わなくて済むからだ。メカニックたちがマックスのRB16をグリッド後方で受けて前へ押していったが、時間内に修復作業が完了するかどうかはまったく分かっていなかった。
スクリーン上ですでにトラックロッドとプッシュロッドが破損しているのを確認していたが、サスペンションのウィッシュボーンとアップライトの状態は分かっていなかった。これらが破損していたらゲームオーバーになっていた。
チームワークの鑑
面白いことに、私は特にストレスを感じていなかった。マシンが修復可能な状態なら、私たちのメカニックたちならやってくれるだろうと思っていた。マックスがグリッドに着くと、メカニックたちはすぐに仕事に取り掛かったが、コンポーネントをひとつも壊すことなく細部まで調査していくことが何よりも重要だった。
調査の結果、問題ないことが分かったので、あとは時間内にパーツをすべて交換するだけになったのだが、これは非常に大変な作業になる。なぜなら、各パーツは非常に複雑なデザインをしているからだ。狭いスペースで指を動かし続けることができる優れたピアニストにならなければならない。F1マシンはそのくらいタイトにデザインされている。
全員がそれぞれの仕事をしてくれた。フロントエンド、ナンバーワンメカニック、チーフメカニックたちがシームレスに作業をしていった。もちろん、修復作業だけではなく決勝レーススタート前のいつもの準備も進めていかなければならなかったので、チームは見事な連携を取っていた。
制限時間の5分前にチーフメカニックが問題なさそうだということをウインクで伝えてくれた。そして25秒前にホイールを装着することができた。
グリッドを離れたあと、他のチームのメカニックたちが拍手で讃えてくれた。あれはチームワークの鑑だった。全員がシンクロして時間と戦い、仕事を終わらせた。あの “Don’t Crack Under Pressure” ぶりにはチームパートナーのタグ・ホイヤーも誇りに思っただろう!(編注:“Don’t Crack Under Pressure / プレッシャーに負けるな” はタグ・ホイヤーのキャンペーンコピー)
ガレージに戻ったメカニックたちは興奮していたが、もちろん、すぐに落ち着かなければならなかった。なぜなら、ピットストップを担当するのも彼らだからだ。そして彼らはレース中に2秒切りのピットストップをやってのけ、3戦連続でピットストップ最速記録をマークした。驚異的なチームパフォーマンスだった。
アレックスのスーパーサンデー
今シーズンの決勝レースのアレックスは素晴らしい。オーストリアでは開幕戦であわや優勝の素晴らしい走りを見せ、ハンガリーでも見事なリカバリードライブを披露した。私たちはパフォーマンスが安定しているマシンを土曜日からアレックスに用意する必要がある。これができれば、アレックスのリザルトは向上するだろう。
ハンガリーGPのハンガロリンクは私たちが得意としてきたサーキットだが、金曜日は少し途方に暮れてしまった。メカニックたちが夜を徹して改良を加えてくれたが、マシンのパフォーマンスが望んでいたレベルまで上がらず、ドライバーたちは想定外の挙動に苦しんでいた。また、不安定な天候がセッションとセッションの同条件の比較を難しくしていたので、準備を上手く進めることができなかった。
これらの理由から、予選は7位と13位に沈んでしまった。正直に言わせてもらえれば、土曜の晩の私たちは深く沈んでいた。全員が全力で仕事をしているのにひとつとして自分たちの望んでいる形に進まないレースウィークエンドだと感じていた。私たちが分かっていたのは、自分たちは絶対に諦めないということと、チーム全員が戦う気持ちを持っているということだけだった。
切り替えて日曜日を迎えていたので、マックスがクラッシュした瞬間の私たちがどんな気持ちになったのかは簡単に想像してもらえるだろう。
しかし、あのアウトラップのインシデントを乗り越えたあとは両ドライバーが素晴らしい仕事をしてくれた。マシンのパフォーマンスも予想より良かった。マックスはあのインシデントを完全に忘れて走っていた。これは彼が成熟したことを示している。また、アレックスも集中を維持して戦い続け、百戦錬磨のドライバーたちをオーバーテイクしていった。
メルセデスが非常に強力なパッケージを用意していることと、レーシングポイントが非常に速いマシンを手に入れていることは分かっているので、ハンガリーGPでアレックスがセルジオ・ペレスを上回り、マックスがメルセデス勢に割って入ったのは、難しいレースウィークエンドを迎えていた私たちにとって大きな救いとなった。
シルバーストンの思い出
次はイギリスGPだが、1991シーズンを思い出している。わたしの中で最も若いF1の記憶のひとつだ。当時の私は運転免許を取得してからしばらく経っており、ポルシェもどきというか、ビートルを1台所有していた。ポルシェのリアスポイラーを装着してエキゾーストをサイドから出していた。
当時のF1はグッドイヤーがタイヤサプライヤーで、イギリスGPの約1ヶ月前にシルバーストンで2日間のテストを行っていた。私は、フォーミュラ3に参戦していたジョニー・ハーバートやフォーミュラ・フォードに参戦していたエディ・アーバインを観るためにシルバーストンを訪れた経験があったが、サーキットを走るF1マシンはまだ観たことがなかった。
それで学校を1日サボり、シルバーストンまでビートルで向かうことにした。そして現地に着くとフェンスに穴が開いていたので、そこからピットレーンへ潜り込んだ。もちろん、すぐに去るつもりはまったくなかった。
私はウィリアムズのガレージの前まで行くことができた。当時のウィリアムズは非常に速いマシンを開発しており、ナイジェル・マンセルがテストを重ねていた。このマシンをデザインしていたのがエイドリアン(ニューウェイ)だった。
そこで私がナイジェルに話しかけると、彼は気前よく応対してくれた。そのあとピットの裏へ回ると、今度はアイルトン・セナに出くわした。私たちは向かい合う形になったのだが、セナが私のジャケットに目を留めた。私はかつて所属していたカートチームのジャケットを着ていたのだが、彼はカートメーカーの名前に気づき、カートについて私に質問を投げかけ始めた。
というわけで、この日の私は子供の頃からのヒーローだったナイジェルに会えたばかりか、もうひとりのアイコン、セナにも会うことができた。ビートルに乗って家路についた私は天にも昇る心地だった。学校のテストには一切役に立たなかったが、素晴らしい1日だった!
第4戦シルバーストン
観客がいないシルバーストンはとてつもなく奇妙に感じるだろう。通常なら、ファンはレースウィークの水曜日に到着するので、現地は天候を問わずフェスティバルのような雰囲気になる。シルバーストンのファンはベストに近いファンと言えるので、彼らがいないレースはとても不思議に思えるだろう。
しかし、シグナルが消えてレースがスタートすれば、私たちはサーキット上のマシンしか目に入らなくなる。周りで起きていることにはほとんど気付かない。ファンの歓声と拍手がないことを寂しく思うのは、レースを終えて表彰台に向かう時だ。
メルセデスには脱帽だ。彼らは戦えるマシンを開発した。私たちは彼らとの差を詰めなければならないが、チーム全員がここを強く意識している。今抱えている問題を修正する必要があるが、RB16は非常に優れたマシンになれる素質を備えている。マシンのハンドリングの問題を解決し、パフォーマンスを最大限まで引き出すだけだ。
カテゴリー: F1 / レッドブル・レーシング / ホンダF1
マックス・フェルスタッペンがハンガリーGP決勝レースのスターティンググリッドに着く前にクラッシュした瞬間、誰もが彼の出走を疑った。しかし、メカニックたちが超人的なハードワークで彼のRB16を超高速で修復したため、マックスはレースに出走できたばかりか、2位表彰台も獲得した。
レッドブル・ホンダF1のチーム代表クリスチャン・ホーナーが、ローラーコースターのように激しいレースウィークエンドとなった202年の第3戦ハンガリーGPと第4戦イギリスGPの舞台シルバーストンの思い出について語った。
マックス・フェルスタッペンのクラッシュ
アウトラップをモニタリングしていると、まず、ターン6・ターン7でマックスが外へ膨らんだのが見えた。そして、どこでグリップが得られるのかを確認しようとしていたマックスは、ターン12へ向かいながら8速に合わせようとした。8速に合わせるためには全開で走る必要があるのだが、当日のサーキットの路面状態はマックスが思っていたよりも滑りやすく、タイヤもまだ冷えていた。彼がバリアに突っ込んだ瞬間はチーム全員が目を疑った。
幸運なことに、マックスのエンジンは無事だったので、バリアから戻ることができた。ダメージがどれだけ深刻なのかは分かっておらず、彼をピットへ呼び戻すかどうかをすぐに判断しなければならなかった。しかし、ピットではなくグリッドへ向かわせることにした。グリッド上で作業が終われば、ポジションを失わなくて済むからだ。メカニックたちがマックスのRB16をグリッド後方で受けて前へ押していったが、時間内に修復作業が完了するかどうかはまったく分かっていなかった。
スクリーン上ですでにトラックロッドとプッシュロッドが破損しているのを確認していたが、サスペンションのウィッシュボーンとアップライトの状態は分かっていなかった。これらが破損していたらゲームオーバーになっていた。
チームワークの鑑
面白いことに、私は特にストレスを感じていなかった。マシンが修復可能な状態なら、私たちのメカニックたちならやってくれるだろうと思っていた。マックスがグリッドに着くと、メカニックたちはすぐに仕事に取り掛かったが、コンポーネントをひとつも壊すことなく細部まで調査していくことが何よりも重要だった。
調査の結果、問題ないことが分かったので、あとは時間内にパーツをすべて交換するだけになったのだが、これは非常に大変な作業になる。なぜなら、各パーツは非常に複雑なデザインをしているからだ。狭いスペースで指を動かし続けることができる優れたピアニストにならなければならない。F1マシンはそのくらいタイトにデザインされている。
全員がそれぞれの仕事をしてくれた。フロントエンド、ナンバーワンメカニック、チーフメカニックたちがシームレスに作業をしていった。もちろん、修復作業だけではなく決勝レーススタート前のいつもの準備も進めていかなければならなかったので、チームは見事な連携を取っていた。
制限時間の5分前にチーフメカニックが問題なさそうだということをウインクで伝えてくれた。そして25秒前にホイールを装着することができた。
グリッドを離れたあと、他のチームのメカニックたちが拍手で讃えてくれた。あれはチームワークの鑑だった。全員がシンクロして時間と戦い、仕事を終わらせた。あの “Don’t Crack Under Pressure” ぶりにはチームパートナーのタグ・ホイヤーも誇りに思っただろう!(編注:“Don’t Crack Under Pressure / プレッシャーに負けるな” はタグ・ホイヤーのキャンペーンコピー)
ガレージに戻ったメカニックたちは興奮していたが、もちろん、すぐに落ち着かなければならなかった。なぜなら、ピットストップを担当するのも彼らだからだ。そして彼らはレース中に2秒切りのピットストップをやってのけ、3戦連続でピットストップ最速記録をマークした。驚異的なチームパフォーマンスだった。
アレックスのスーパーサンデー
今シーズンの決勝レースのアレックスは素晴らしい。オーストリアでは開幕戦であわや優勝の素晴らしい走りを見せ、ハンガリーでも見事なリカバリードライブを披露した。私たちはパフォーマンスが安定しているマシンを土曜日からアレックスに用意する必要がある。これができれば、アレックスのリザルトは向上するだろう。
ハンガリーGPのハンガロリンクは私たちが得意としてきたサーキットだが、金曜日は少し途方に暮れてしまった。メカニックたちが夜を徹して改良を加えてくれたが、マシンのパフォーマンスが望んでいたレベルまで上がらず、ドライバーたちは想定外の挙動に苦しんでいた。また、不安定な天候がセッションとセッションの同条件の比較を難しくしていたので、準備を上手く進めることができなかった。
これらの理由から、予選は7位と13位に沈んでしまった。正直に言わせてもらえれば、土曜の晩の私たちは深く沈んでいた。全員が全力で仕事をしているのにひとつとして自分たちの望んでいる形に進まないレースウィークエンドだと感じていた。私たちが分かっていたのは、自分たちは絶対に諦めないということと、チーム全員が戦う気持ちを持っているということだけだった。
切り替えて日曜日を迎えていたので、マックスがクラッシュした瞬間の私たちがどんな気持ちになったのかは簡単に想像してもらえるだろう。
しかし、あのアウトラップのインシデントを乗り越えたあとは両ドライバーが素晴らしい仕事をしてくれた。マシンのパフォーマンスも予想より良かった。マックスはあのインシデントを完全に忘れて走っていた。これは彼が成熟したことを示している。また、アレックスも集中を維持して戦い続け、百戦錬磨のドライバーたちをオーバーテイクしていった。
メルセデスが非常に強力なパッケージを用意していることと、レーシングポイントが非常に速いマシンを手に入れていることは分かっているので、ハンガリーGPでアレックスがセルジオ・ペレスを上回り、マックスがメルセデス勢に割って入ったのは、難しいレースウィークエンドを迎えていた私たちにとって大きな救いとなった。
シルバーストンの思い出
次はイギリスGPだが、1991シーズンを思い出している。わたしの中で最も若いF1の記憶のひとつだ。当時の私は運転免許を取得してからしばらく経っており、ポルシェもどきというか、ビートルを1台所有していた。ポルシェのリアスポイラーを装着してエキゾーストをサイドから出していた。
当時のF1はグッドイヤーがタイヤサプライヤーで、イギリスGPの約1ヶ月前にシルバーストンで2日間のテストを行っていた。私は、フォーミュラ3に参戦していたジョニー・ハーバートやフォーミュラ・フォードに参戦していたエディ・アーバインを観るためにシルバーストンを訪れた経験があったが、サーキットを走るF1マシンはまだ観たことがなかった。
それで学校を1日サボり、シルバーストンまでビートルで向かうことにした。そして現地に着くとフェンスに穴が開いていたので、そこからピットレーンへ潜り込んだ。もちろん、すぐに去るつもりはまったくなかった。
私はウィリアムズのガレージの前まで行くことができた。当時のウィリアムズは非常に速いマシンを開発しており、ナイジェル・マンセルがテストを重ねていた。このマシンをデザインしていたのがエイドリアン(ニューウェイ)だった。
そこで私がナイジェルに話しかけると、彼は気前よく応対してくれた。そのあとピットの裏へ回ると、今度はアイルトン・セナに出くわした。私たちは向かい合う形になったのだが、セナが私のジャケットに目を留めた。私はかつて所属していたカートチームのジャケットを着ていたのだが、彼はカートメーカーの名前に気づき、カートについて私に質問を投げかけ始めた。
というわけで、この日の私は子供の頃からのヒーローだったナイジェルに会えたばかりか、もうひとりのアイコン、セナにも会うことができた。ビートルに乗って家路についた私は天にも昇る心地だった。学校のテストには一切役に立たなかったが、素晴らしい1日だった!
第4戦シルバーストン
観客がいないシルバーストンはとてつもなく奇妙に感じるだろう。通常なら、ファンはレースウィークの水曜日に到着するので、現地は天候を問わずフェスティバルのような雰囲気になる。シルバーストンのファンはベストに近いファンと言えるので、彼らがいないレースはとても不思議に思えるだろう。
しかし、シグナルが消えてレースがスタートすれば、私たちはサーキット上のマシンしか目に入らなくなる。周りで起きていることにはほとんど気付かない。ファンの歓声と拍手がないことを寂しく思うのは、レースを終えて表彰台に向かう時だ。
メルセデスには脱帽だ。彼らは戦えるマシンを開発した。私たちは彼らとの差を詰めなければならないが、チーム全員がここを強く意識している。今抱えている問題を修正する必要があるが、RB16は非常に優れたマシンになれる素質を備えている。マシンのハンドリングの問題を解決し、パフォーマンスを最大限まで引き出すだけだ。
カテゴリー: F1 / レッドブル・レーシング / ホンダF1