レッドブル・レーシング フェルナンド・アロンソ マクラーレン ホンダF1
レッドブル・レーシングのチーム代表クリスチャン・ホーナーは、過去にフェルナンド・アロンソとの契約に近づいていたことを明かした。

ルノーでタイトルを2連覇して2007年にマクラーレンに移籍したフェルナンド・アロンソだが、チームとの関係が悪化したことで契約を解消してチームを離れて、2008年に古巣のルノーに復帰。しかし、ルノーにはかつての競争力はなく、次シーズンの移籍が噂されていた。

「我々はアロンソとの契約に非常に近づいていた」とクリスチャン・ホーナーは Motor Sport Magazine にコメント。実際に彼とレッドブルのモータースポーツアドバイザーを務めるヘルムート・マルコが、フェルナンド・アロンソのマネージャーであるフラビオ・ブリアトーレと交渉していたことを明かした。

当時、レッドブルはまだ勝利を挙げたことがなく、2008年末で引退したデビッド・クルサードの後任を探していた。

「2008年末にヘルムートと私は、2009年と2010年シーズンのために彼のマネジメントに会いに行った。我々は2年契約をオファーした」

しかし、フェルナンド・アロンソが1年契約のみに固執したことで交渉は暗礁に乗り上げた。

「彼は1年だけの契約ならサインしただろう。我々は2年契約か無しかがレッドブルのポジションだと述べた。彼はそれにはコミットしなかった。我々は彼が2009年にフェラーリと契約しているのだと考えた」

だが、実際にはフェルナンド・アロンソは、2009年もルノーに残留し、フェラーリへの移籍が実現したのは2010年だった。

「フラビオも関与していたが、彼は当時マネージングしていたルノーに彼を迎えようとしていた。最終的に彼は10年間ルノーで走った」

フェルナンド・アロンソとの交渉が破綻した後、レッドブルはマーク・ウェバーのチームメイトとして、トロ・ロッソからセバスチャン・ベッテルを昇格させた。そして、2009年にチームとして勝利を挙げて競争力を増していったレッドブルとセバスチャン・ベッテルは、2010年から2013年までダブルタイトルを4連覇することになる。

もし、フェルナンド・アロンソが2009年にレッドブルへの移籍を決断していれば、F1キャリアは大きく変わっていたかもしれない。

「2009年の中頃に『シーズン途中に彼が加入することはできるか?』というアプローチがあった。彼らはクルマでチャンピオンシップに勝てると考えていた」とクリスチャン・ホーナーは明かす。

「その数年後の2011年から2012年に、彼はスパ空港のアルファ ロメオの後ろでまた別の会話をしたが、これも決して本気のものではなかった・・・最も真剣な交渉は最初のものだったし、そのチャンスを逃した」

レッドブルのタイトルの陰で、フェルナンド・アロンソはフェラーリでの5シーズンでタイトル獲得を果たせず、2015年に新生マクラーレン・ホンダに移籍。だが、ホンダのパワーユニットに競争力はなく、3シーズン目となる今年も表彰台はおろか、定期的なポイント獲得にも苦しむ状況。マクラーレンはホンダとのパートナーシップを今シーズン限りで解消し、2018年からはルノーのパワーユニットを搭載する。

2013年のスペインGPを最後に優勝には手が届いていないフェルナンド・アロンソは、2018年もマクラーレンへの残留が決定している。

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カテゴリー: F1 / レッドブル・レーシング / フェルナンド・アロンソ