F1特集 | ジェンソン・バトン 歴代F1マシン
ジェンソン・バトンのF1キャリアを歴代のF1マシンで振り返る。
2000年に20歳の若さでF1デビューを果たしたジェンソン・バトンは、ブラウンGPでF1ワールドチャンピオンを獲得。マクラーレン所属時の2016年末にF1を引退したが、2017年のF1モナコGPでインディ500に参戦したフェルナンド・アロンソの代役として1戦限りのF1復帰を果たしている。
ホンダとの繋がりが強く、18年のキャリアで11台のホンダのF1エンジンを搭載したマシンをドライブ。2006年にはホンダF1 第3期で唯一となる勝利を挙げている。
マクラーレン MP4-14 (1999年)
1998年のマクラーレン/オートスポーツ・ヤングドライバー・オブ・ザ・イヤーを受賞したご褒美としてシルバーストンでF1マシンは初走行。
プロスト AP02 (1999年)
アラン・プロストから直々にオファーを受けバルセロナでテスト。レギュラードライバーのジャン・アレジを上回るタイムを記録して注目された。
ウィリアムズ FW22 (2000年)
トライアウトを勝ち抜いてF1シートを獲得。チームメイトはラルフ・シューマッハ。ウィリアムズ FW22はBMWのV10エンジンを搭載。デビュー2戦目のブラジルGPで6位入賞を果たし、約40年ぶりに最年少入賞記録を更新(20歳67日)。12ポイントを獲得しランキング8位でシーズンを終える。
ベネトン B201 (2001年)
ウィリアムズとの契約が残っていたが、ファン・パブロ・モントーヤが加入したことでベネトンへレンタル移籍。チームメイトはジャンカルロ・フィジケラ。ベネトン B201は戦闘力に欠け、2ポイントの獲得でランキング17位に沈んだ。
ルノー R202 (2002年)
ルノーがベネトンを買収してワークス参戦。14ポイントを獲得してランキング7位とチームメイトのヤルノ・トゥルーリを上回るランキング7位で終了。しかし、チームは翌年にむけてフェルナンド・アロンソを昇格することを決め、チーム離脱を余儀なくされる。
BARホンダ 005 (2003年)
B・A・Rに移籍し、ジャック・ヴィルヌーブがチームメイト。17ポイントを獲得してランキング9位。ヴィルヌーヴとはメディアを通して舌戦を繰り広げるなど関係は良好ではなかった。シルヌーヴが日本GPを棄権し、テストドライバーを務めていた佐藤琢磨が代役を務めた。
BARホンダ 006 (2004年)
ジャック・ヴィルヌーヴがチームへの不満を漏らして離脱し、佐藤琢磨がチームメイトに。BAR 006は高い戦闘力を発揮し、第2戦マレーシアGPを3位でフィニッシュしF1初表彰台、第4戦サンマリノGPでは自身初のポールポジションも獲得するなど、ドライバーズランキング3位を獲得。チームもランキング2位で終えた。だが、当時、ホンダは将来の参戦計画を明らかにしておらず、バトンはウィリアムズと2年契約を締結。しかし、BARは契約の無効を申し立て、この契約は無効となり、翌年も残留することになる。
BARホンダ 007 (2005年)
前年とは一転してBAR 007に競争力はなく、第9戦アメリカGPまでノーポイント。だが、第10戦から復調し、最終戦まで10戦連続で入賞を果たす。2回の2位票油台を獲得してランキング9位に沈む。ウィリアムズと2006年の契約を結んでいたバトンが、ウィリアムズがワークスBMWエンジンを失ったことから翻意し、違約金(チームから前借)を払ってBARに残留する。
ホンダ RA106(2006年)
ホンダがBARの株式100%を取得し、フルワークス参戦。ルーベンス・バリチェロがチームメイトとなる。第13戦ハンガリーGPにおいて参戦115戦目で待望のF1初優勝を飾り、表彰式では21世紀初の君が代が流れた。その時点で125戦のルーベンス・バリチェロ、119戦のヤルノ・トゥルーリに次いで、史上3番目に遅い初優勝であった。この勝利はホンダF1にとって第3期で唯一の優勝となる。バトンはランキング6位でシーズンを終える。
ホンダ RA107(2007年)
引き続き、バリチェロがチームメイト。メインスポンサーのBARが撤退したため、マシンのカラーリングはスポンサー広告を排除して地球をイメージした「アースカラー」を採用した。だが、RB107に競争力はなく、第8戦フランスGPで1ポイントを獲得。合計6ポイントでランキング15位。バリチェロはノーポイントに終わった。
ホンダ RA108(2008年)
バトンはB・A・R時代を含めてチームとの6年目、ルーベンス・バリチェロは3年目のシーズン。だが、マシンは前年に続いて戦闘力はなく、スペインGPの6位入賞のみで3ポイントにとどまりランキング18位。2008年12月5日にホンダF1チームはF1撤退を発表した。
ブラウンGP BGP001(2009年)
ホンダF1チームをロス・ブラウンが買収してブラウンGPが誕生。バトンとバリチェロが残留。BGP001は、本来ホンダRA109になるはずだったマシンにメルセデスのエンジンを搭載。ダブルディフューザーを搭載したBGP001はプレシーズンテストから好タイムを記録し、開幕戦でバトンはポール・トゥ・ウイン。バリチェロも2位と1-2フィニッシュを達成。4連勝を含めた6勝目を挙げ、開幕から一度もポイントリーダーの座を譲らずにワールドチャンピオンを獲得した。
マクラーレン MP4-25(2010年)
ブラウンGPと年俸の交渉が折り合わず、ルイス・ハミルトンのチームメイトとしてマクラーレンに移籍。第2戦オーストラリアGPにおいてマクラーレンでの初勝利。ランキング5位でシーズンを終えた
マクラーレン MP4-26(2011年)
引き続きルイス・ハミルトンがチームメイト。雨となったF1ハンガリーGPでは200戦目、自身初優勝を飾ったハンガロリンクで2度目の優勝。日本GPでは優勝は、ベッテルの2度目のチャンピオン獲得を阻止して鈴鹿初勝利。チームメイトのハミルトンを抑えてランキング2位でシーズンを終えた。
マクラーレン MP4-27(2012年)
引き続きルイス・ハミルトンがチームメイト。開幕戦オーストラリアGPで優勝するも、その後は失速。第12戦ベルギーGPではマクラーレン移籍後初のポールポジションを獲得し、2勝目。MP4-27はシーズン最速マシンという見方もあったが、信頼性トラブルやピット作業のミス、セッティングに苦しみランキング5位に終わった。
マクラーレン MP4-28(2013年)
ルイス・ハミルトンがメルセデスに移籍し、セルジオ・ペレスをチームメイトに迎える。MP4-28はマシン開発に失敗してパフォーマンスを発揮できず、表彰台に一度も乗りことなくランキング9位でシーズンを終えた。
マクラーレン MP4-29(2014年)
チームメイトにルーキーのケビンマグヌッセンが加入。開幕戦ではダニエル・リカルドの失格によって2年ぶりの表彰台を獲得。その後は低迷したが、シーズン後半に盛り返してランキング8位。
マクラーレン MP4-30(2015年)
マクラーレンはホンダのF1エンジンを搭載してマクラーレン・ホンダが復活。チームメイトには2度のF1ワールドチャンピオンであるフェルナンド・アロンソが加入。しかし、ホンダのF1エンジンは信頼性とパフォーマンスにかけ、Q2進出すらできないレースが続き、4度の入賞で16ポイントを獲得してランキング16位。
マクラーレン MP4-31(2016年)
マクラーレン・ホンダは若干競争力を挙げ、2014年イギリスGP以来およそ2年ぶりの3番グリッドを獲得。決勝でも上位3チームに次ぐ6位入賞を果たした。ランキング15位でシーズンを終了。マクラーレンは来季からストフェル・バンドーンの起用を発表し、バトンはアンバサダー兼リザーブドライバーとして残留することが決定した。
マクラーレン MCL32(2017年)
フェルナンド・アロンソのインディ500参戦によって、モナコGPで代役として1戦限りの復帰を果たす。予選ではQ3進出を果たすも、パワーユニット交換によって再開まで降格。フロアを交換してピットレーンからスタート。決勝ではパスカル・ウェーレインと接触してリタイア。次戦3グリッド降格ペナルティを科せられたが、その後は出走せずにシーズンを終えた。
カテゴリー: F1 / ジェンソン・バトン / F1マシン
2000年に20歳の若さでF1デビューを果たしたジェンソン・バトンは、ブラウンGPでF1ワールドチャンピオンを獲得。マクラーレン所属時の2016年末にF1を引退したが、2017年のF1モナコGPでインディ500に参戦したフェルナンド・アロンソの代役として1戦限りのF1復帰を果たしている。
ホンダとの繋がりが強く、18年のキャリアで11台のホンダのF1エンジンを搭載したマシンをドライブ。2006年にはホンダF1 第3期で唯一となる勝利を挙げている。
マクラーレン MP4-14 (1999年)
1998年のマクラーレン/オートスポーツ・ヤングドライバー・オブ・ザ・イヤーを受賞したご褒美としてシルバーストンでF1マシンは初走行。
プロスト AP02 (1999年)
アラン・プロストから直々にオファーを受けバルセロナでテスト。レギュラードライバーのジャン・アレジを上回るタイムを記録して注目された。
ウィリアムズ FW22 (2000年)
トライアウトを勝ち抜いてF1シートを獲得。チームメイトはラルフ・シューマッハ。ウィリアムズ FW22はBMWのV10エンジンを搭載。デビュー2戦目のブラジルGPで6位入賞を果たし、約40年ぶりに最年少入賞記録を更新(20歳67日)。12ポイントを獲得しランキング8位でシーズンを終える。
ベネトン B201 (2001年)
ウィリアムズとの契約が残っていたが、ファン・パブロ・モントーヤが加入したことでベネトンへレンタル移籍。チームメイトはジャンカルロ・フィジケラ。ベネトン B201は戦闘力に欠け、2ポイントの獲得でランキング17位に沈んだ。
ルノー R202 (2002年)
ルノーがベネトンを買収してワークス参戦。14ポイントを獲得してランキング7位とチームメイトのヤルノ・トゥルーリを上回るランキング7位で終了。しかし、チームは翌年にむけてフェルナンド・アロンソを昇格することを決め、チーム離脱を余儀なくされる。
BARホンダ 005 (2003年)
B・A・Rに移籍し、ジャック・ヴィルヌーブがチームメイト。17ポイントを獲得してランキング9位。ヴィルヌーヴとはメディアを通して舌戦を繰り広げるなど関係は良好ではなかった。シルヌーヴが日本GPを棄権し、テストドライバーを務めていた佐藤琢磨が代役を務めた。
BARホンダ 006 (2004年)
ジャック・ヴィルヌーヴがチームへの不満を漏らして離脱し、佐藤琢磨がチームメイトに。BAR 006は高い戦闘力を発揮し、第2戦マレーシアGPを3位でフィニッシュしF1初表彰台、第4戦サンマリノGPでは自身初のポールポジションも獲得するなど、ドライバーズランキング3位を獲得。チームもランキング2位で終えた。だが、当時、ホンダは将来の参戦計画を明らかにしておらず、バトンはウィリアムズと2年契約を締結。しかし、BARは契約の無効を申し立て、この契約は無効となり、翌年も残留することになる。
BARホンダ 007 (2005年)
前年とは一転してBAR 007に競争力はなく、第9戦アメリカGPまでノーポイント。だが、第10戦から復調し、最終戦まで10戦連続で入賞を果たす。2回の2位票油台を獲得してランキング9位に沈む。ウィリアムズと2006年の契約を結んでいたバトンが、ウィリアムズがワークスBMWエンジンを失ったことから翻意し、違約金(チームから前借)を払ってBARに残留する。
ホンダ RA106(2006年)
ホンダがBARの株式100%を取得し、フルワークス参戦。ルーベンス・バリチェロがチームメイトとなる。第13戦ハンガリーGPにおいて参戦115戦目で待望のF1初優勝を飾り、表彰式では21世紀初の君が代が流れた。その時点で125戦のルーベンス・バリチェロ、119戦のヤルノ・トゥルーリに次いで、史上3番目に遅い初優勝であった。この勝利はホンダF1にとって第3期で唯一の優勝となる。バトンはランキング6位でシーズンを終える。
ホンダ RA107(2007年)
引き続き、バリチェロがチームメイト。メインスポンサーのBARが撤退したため、マシンのカラーリングはスポンサー広告を排除して地球をイメージした「アースカラー」を採用した。だが、RB107に競争力はなく、第8戦フランスGPで1ポイントを獲得。合計6ポイントでランキング15位。バリチェロはノーポイントに終わった。
ホンダ RA108(2008年)
バトンはB・A・R時代を含めてチームとの6年目、ルーベンス・バリチェロは3年目のシーズン。だが、マシンは前年に続いて戦闘力はなく、スペインGPの6位入賞のみで3ポイントにとどまりランキング18位。2008年12月5日にホンダF1チームはF1撤退を発表した。
ブラウンGP BGP001(2009年)
ホンダF1チームをロス・ブラウンが買収してブラウンGPが誕生。バトンとバリチェロが残留。BGP001は、本来ホンダRA109になるはずだったマシンにメルセデスのエンジンを搭載。ダブルディフューザーを搭載したBGP001はプレシーズンテストから好タイムを記録し、開幕戦でバトンはポール・トゥ・ウイン。バリチェロも2位と1-2フィニッシュを達成。4連勝を含めた6勝目を挙げ、開幕から一度もポイントリーダーの座を譲らずにワールドチャンピオンを獲得した。
マクラーレン MP4-25(2010年)
ブラウンGPと年俸の交渉が折り合わず、ルイス・ハミルトンのチームメイトとしてマクラーレンに移籍。第2戦オーストラリアGPにおいてマクラーレンでの初勝利。ランキング5位でシーズンを終えた
マクラーレン MP4-26(2011年)
引き続きルイス・ハミルトンがチームメイト。雨となったF1ハンガリーGPでは200戦目、自身初優勝を飾ったハンガロリンクで2度目の優勝。日本GPでは優勝は、ベッテルの2度目のチャンピオン獲得を阻止して鈴鹿初勝利。チームメイトのハミルトンを抑えてランキング2位でシーズンを終えた。
マクラーレン MP4-27(2012年)
引き続きルイス・ハミルトンがチームメイト。開幕戦オーストラリアGPで優勝するも、その後は失速。第12戦ベルギーGPではマクラーレン移籍後初のポールポジションを獲得し、2勝目。MP4-27はシーズン最速マシンという見方もあったが、信頼性トラブルやピット作業のミス、セッティングに苦しみランキング5位に終わった。
マクラーレン MP4-28(2013年)
ルイス・ハミルトンがメルセデスに移籍し、セルジオ・ペレスをチームメイトに迎える。MP4-28はマシン開発に失敗してパフォーマンスを発揮できず、表彰台に一度も乗りことなくランキング9位でシーズンを終えた。
マクラーレン MP4-29(2014年)
チームメイトにルーキーのケビンマグヌッセンが加入。開幕戦ではダニエル・リカルドの失格によって2年ぶりの表彰台を獲得。その後は低迷したが、シーズン後半に盛り返してランキング8位。
マクラーレン MP4-30(2015年)
マクラーレンはホンダのF1エンジンを搭載してマクラーレン・ホンダが復活。チームメイトには2度のF1ワールドチャンピオンであるフェルナンド・アロンソが加入。しかし、ホンダのF1エンジンは信頼性とパフォーマンスにかけ、Q2進出すらできないレースが続き、4度の入賞で16ポイントを獲得してランキング16位。
マクラーレン MP4-31(2016年)
マクラーレン・ホンダは若干競争力を挙げ、2014年イギリスGP以来およそ2年ぶりの3番グリッドを獲得。決勝でも上位3チームに次ぐ6位入賞を果たした。ランキング15位でシーズンを終了。マクラーレンは来季からストフェル・バンドーンの起用を発表し、バトンはアンバサダー兼リザーブドライバーとして残留することが決定した。
マクラーレン MCL32(2017年)
フェルナンド・アロンソのインディ500参戦によって、モナコGPで代役として1戦限りの復帰を果たす。予選ではQ3進出を果たすも、パワーユニット交換によって再開まで降格。フロアを交換してピットレーンからスタート。決勝ではパスカル・ウェーレインと接触してリタイア。次戦3グリッド降格ペナルティを科せられたが、その後は出走せずにシーズンを終えた。
カテゴリー: F1 / ジェンソン・バトン / F1マシン